Posted by ブクログ
2022年04月14日
泣かせの浅田次郎。
久々に我慢できない水準。
疲れてるのかも。
看護師の母の手ひとつで育てられたので、将来は同じ職業につくと決めていた。だが高校生になると欲が出て、医師を夢見るようになった。
私立の学費はとうてい無理にしても、国公立の医学部ならばどうにかしてもらえるのではと、母に相談した。
しかし...続きを読む母は反対した。学費の件はさておくとしても、割に合わぬ仕事だと言った。過酷な勤務や研修医の志位勝也、父と同じ感染症の危険などを母は諄々と説いた。ベテラン看護師の目から見た医師という仕事は、そうしたものであるらしかった。
それでも数日後の夜勤明けに、母はくたびれ果てて帰宅するなり、「ナッちゃん。あんた、ドクターにおなんなさい」と言ってくれた。
なぜ母の心が翻ったのかはわからない。脆くてあやうい決心に思えたから、何も訊き返せなかった。
当直の医師か同僚に相談したのだろうか。それとも夜勤の静寂の中で、考え続けたのだろうか。いずれにせよ古賀夏生にとって人生を決めた瞬間は、大学の入試でも医師国家試験でもなくて、母の許しを得たのそのときだった。
割に合わぬ仕事。
母のその一言は、古賀夏生の心にずっと居据わっている。
六年間の大学と二年間の臨床研修。浪人も留年もせず一人前になっても、大学病院の医局に残った古賀夏生の収入は、大会社に入った同級生よりもずっと低かった。
(中略)
時間は蜂の巣のように、規則正しくみっしりと詰まっていた。
そうした同じ時間割の中でも、器用に恋愛をし、結婚をし、出産する医師たちを、古賀夏生は真似ることできなかった。チャンスがなかったはずはないのだが、幾度もあったそれらは、顧みてそうとわかるだけだった。
(中略)
介護生活に入ってから、母ひとり子ひとりの境遇を初めて苦労に思った。社会的地位もたかだかの経済力も、その生活の中ではほとんど無力だった。母が必要としていたのは、娘とともにある時間だけだった。だが、医師にはその時間がなかった。
(中略)
また、呆けた母を母とも思わず、かつて母であった何者か、と考えていたのもたしかだった。自分自身の行動よりも、その意識のほうが古賀夏生には許しがたい。心ひそかに、母を厄介者としていた自分自身が。長い介護生活にどれほど疲れ果てていたとしても。
(中略)
おめえもな、ナツオ。
もうは、けっぱらねで良えがら、たんと飯さ食て、のへらほんと生きてけろ。
おめはんほんによぐやった。誰がほめてくれなくても、母は力いっぺえほめてやる。そんで良へ、ナツオ。
【P84-104】