1945年8月に雑誌「ニューヨーカー」の全頁を使って掲載されたジジョン・ハーシーによる広島の被爆者に対する取材記事 “HIROSHIMA” 。
アメリカ政府はそれまで広島と長崎の現地調査で被曝による人体への影響をつぶさに観察、認識していながらも、原子爆弾の被害者には後遺症など確認されていないという主
...続きを読む張を一貫して続けていた。これは原爆の驚異的な破壊力のみを強調し、その非人道的な側面をアメリカ国民から隠すことで第二次大戦後の東西冷戦における核兵器開発を有利に進める為の戦略だった。
そのため、原爆や、被爆地、被爆者に関する記事は必ず軍の検閲を受けなければならず、それをくぐり抜けようとして密かに編集社に送った記事が消えたり、撮影したフイルムが紛失したりする事も起こっていた。
それでは何故ジョン・ハーシーの記事は「ニューヨーカー」に掲載されたのか?そしてアメリカ政府がアメリカ国民から隠していた放射能が人間の身体に及ぼす影響について詳細に描写していた記事の公開が許されたのか?
そして、すでにピューリッツァー賞も受賞して有名になっていたジョン・ハーシーはなぜ広島を取材しようと思ったのか。
「ニューヨーカー」は硬派な雑誌ではなく、軽く、ユーモアに溢れた雑誌であった。ではなぜ編集者はその全ページを使用して広島の惨状を伝える特別号を発行しようと考えたのか?
“HIROSHIMA” が世に生まれ出ることができた背景を追った作品。