あっという間に読み終えてしまった。
まず、言いたいのは、こんなにもあっさりした終わりを迎えてしまってよかったのだろうか?ということ。
『もののあはれ』を詠ったということは誰が見ても明らかで、失われゆくものの儚さをとらえているのだから、それを出し切ってしまえば紡ぐものはなくなるのだと、それは、理
...続きを読む解している。
ただ、町田さんはやはり海外に行ってしまって、オペラを通じて再度合唱部は集うのだけれどもその中に町田さんはいない。
二年後、再度みなが集うことになったのだけれど、その折、町田さんが言った。『うた』からはそう簡単に離れることはできなくて、気づけば隣にいるから『離れていた』と形容するには少し違った、と。
自分が気づいていなくても、ずっとみんなといっしょにいた。物理的な距離はとてもとても大きくて、でも、こころの中ではみんな、考えていることはおんなじだった。
逃げ、を選択した町田さん。
でも、実際には、逃げることができていなかった。
だから、二年も経過したあと地元に戻り、世界的なシンガーとなったゆたかと、ウラジーミルが、テノール・デュオ・コンサートをひらいて――ちなみにコンサート名は『COSMOS』である――それを聴きに来たのだ。
水戸さんは相変わらず女性性に嫌悪をいだいているらしく、ばっさりと女の子らしいショートではなく男の子のようなつるんとした髪型にし、服装もまるで男の子のよう。
みな、変わっていく、でも、それを感じ取りながら、前を歩いていくのだと、町田さんは心内つぶやく。
番外編もあり。ウラジーミルが、ソリストとして活動し始めるまでの物語。
まあありがちな、嫉妬のおはなし。
気づけば、些細な音のずれが、幽霊のようにまとわりついて、気になってしまうウラジーミル。
合唱そのものはすきなのに、違うということが許せなくなってくる。自分が完璧だからこそ。なぜそこでまた半音ずれるの、高音になりすぎるの、エトセトラエトセトラ。
そうしていつしか、ひとりで唄うとそのずれが気にならなくなって、だんだん、もっと、目立ってくる。
あるとき、同じ寮の、同じ部屋で過ごす男の子に声変わりが始まっていることに気づいて、なぜだか笑いがこみあげてきて、そんな自分に愕然とするウラジーミル。
ソプラノのこの声が消えるまで自分は歌い続けようと心に決めて、夜のとばりがあけるまで、歌い続ける。
終幕。