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神への祈りの言葉から始まった,中世の教会音楽.多声音楽が花開いた,ルネサンス期.オペラが誕生し,器楽が興隆した,バロック時代.そして「芸術としての音楽」が追究された,古典派,ロマン派,モダニズム.時代を代表する作曲家と作品,演奏法や作曲法,音楽についての考え方の変遷をたどり,西洋音楽史を俯瞰します.
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Posted by ブクログ
とっても分かりやすくて、そのうえ示唆に富んでいる。中世から20世紀までを各時代ごとに概観していくのだけど、相対的に評価するスタンスをとっていて、これがいい。 とはいえ、芸術っていかに独自性を出せるか、新しい試みに挑んでいるかに価値があると信じている人間にとって、芸術性も相対的に評価される現代は辛いな...続きを読む。特に音楽がビジネスになっちまった今、音楽を通して芸術性を求めていくってどういうことなんだろうね。
中世のグレゴリオ聖歌から二十世紀初頭の前衛の作曲家たちと、それが衰退するというところまで「前後の時代とのかかわりを意識しながらもそれぞれの時代の音楽様式の特徴と特質を描きだすこと」(p.7)を中心に語られる西洋音楽史。 2冊前に読んだ中公新書の『西洋音楽史』よりも著者独自の見解みたいなものはだい...続きを読むぶん後ろに退き、たぶん、もっとオーソドックスな、それなりにたくさんの作曲家が紹介され、目次もきちんとついている、そういう本だった。 次に印象的だった部分のメモ。実はすごく小さい時に教会に行ったことがあって、そこで歌われるあの独特な「詩編の朗唱」というのが頭に残っているが、「歌詞の文章のほとんどの音節が、同じ一つの高さの音のくり返し―その音を『朗唱音』と呼びます―で歌われ、文章の始め、途中の節目、最後で、その十庫からほんの少し外れて別の音に動きます。つまり、朗唱音からの逸脱が、文章の区切りを示して、歌詞の意味を伝えやすくしている」(p.17)というのは、なるほどと思った。そして、こういう「音楽(旋律)」は第1章のタイトルにもなっているように「聖句の乗りもの」、「大切な言葉を神の耳元に丁重に運び届けるための豪華な乗りもののようなもの」(p.20)というのも納得した。あと、今の時代に当たり前のように言う「ドレミ」を発案したのは、グイード・ダレッツォという人らしく、「《あなたのしもべたちが》という聖歌の六行の菓子の各行を歌う旋律の冒頭の音が、それぞれ(略)二度ずつ高くなっているのをみて、グイードは、それらの音をそこについている歌詞の言葉の始めの音節(ut, re, mi, fa, sol, la)で呼ぶことにした」(p.26)らしい。へえ。それから音楽の話よりも歴史の話になるが、ルネサンスについて、都市の市民たちが、中世の神の摂理と意志に基づく伝統的な権威から離れ、「神への深い信仰を保ちつつも、人間の尊厳を意識し、自ら知識を求め、自らの眼で観察し、自らの力で理解し、自ら何かを為すことが大切だ。」(p.48)と感じ、そのために「古代ギリシアでも、人間の眼で事実を見極め、理性によって世界を解明して理解しようとしてたから」(同)古典古代に強い関心を抱いた、というのも分かりやすかった。それからバロックの時代、イギリスでオペラが受け入れられなかった理由は、一つはこの時代が「国王と議会の対立に明け暮れた不安定な時代でしたから」(p.119)余裕がなかったということと、「この国に、シェイクスピアに象徴されるような演劇の強い伝統があった」(同)から、というのも納得だった。そしてフランス革命の時代から、「音楽(とくに、大勢で歌う歌)は、人々の集団への帰属感と一体感を強く導くためのひじょうに有効な手段として、どのような政治集会でも、そしてこんにちではスポーツの応援などにも、欠くことのできないものとなっています。」(pp.163-4)というところも面白かった。そういえば今年オリンピックやっているけど、みんなで歌う曲、ってないんじゃないかなあと思った。サッカーとかはあるのに。そして、音楽を娯楽というより、政治利用するというのは、最後の前衛音楽のところにもあって、自由主義諸国の前衛の作曲家たちは、結局「西側の反共産主義政策の中に重要な文化的手段の一つとして組み込まれていた」(p.274)というのも、発見だった。こういう曲がなくなっていくのも冷戦時代が終わったから、という時代背景もあるのかなあと思った。それから、ベートーヴェンの第9。って全編を聞いたことがあって、なかなかあのフレーズが出てこなくて退屈、としか思っていなかったけど、「さまざまな種類の音楽様式をその一曲のなかに統合し、それによって、素朴なものから深奥なものまですべてを包摂する一つの巨大な世界への希望をひらき示そうとしていたように思えます(そこには(略)いくつもの小国に分かれていたドイツを一つに統合しようという機運が高まっていたことが反映しているのかもしれません)」(pp.170-1)の部分は面白いと思い、改めて聞いてみたいと思う。あとショパンの曲は少し知っているけれど、その曲名は抽象的な形式名で、「例えば、『ワルツ』、『マズルカ』、『ポロネーズ』といった舞曲名(後二者はポーランドの民族舞曲)、『ノクターン』(略)、『前奏曲』、『練習曲』(エチュード)などといった具合です。」(p.179)ということらしい。エチュードって演劇でも言うけど、音楽にもあるんだ、と知った。 あと、聞いてみたいのはベルリオーズの《幻想交響曲》。「あこがれの女性のイメージを表す一つの同じ旋律(略)を、物語の展開のいろいろな状況や雰囲気に応じて変形しながら何度も用いる」(p.186)というのが聞けるらしい。それから自分が大好きな《カルメン》は、「作曲者の死後まもなく、語りによる台詞の部分が過少(レチタティーヴォ)に置き換えられて―つまり、オペラ・コミックから、『本格的な』オペラの形に直されて―、一九世紀フランス・オペラの傑作のひとつとして、こんにちでもなじみの演目になっています」(p.193)ということらしいから、台詞の部分でもいいなあと思う旋律があるけど、あれはビゼーじゃないところもあるってことだろうか。他にもオペラだったらロッシーニの「ベル・カント」(p.195)というのも聞いてみたいなあ。他にもモダニズムのところでは、中公新書の『西洋音楽史』でも出てきた「十二音技法」(p.243)というのがあったが、他にも「神秘和音」(p.230)、「複調」(p.234)、p.253「セリー」といった技法があるらしく、どれも興味はある。 ただこの本全体を読んで思ったのは、やっぱり音楽そのものを聞かないことには何とも言えない、というのを強く感じ、単純に時代の流れや作曲家のことを学んでも、結局どんな音楽なのか分からないというのは致命的ということをあらためて感じ、ちゃんと勉強するなら本を読むだけではなあ、ということが、当たり前なのだろうけどよく分かった。(21/08/19)
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