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建武三年(一三三六)、京都を制圧した足利尊氏は新天皇を擁して幕府を開いた。後醍醐天皇は吉野に逃れ、二帝が並び立つ時代が始まる。北朝の天皇や院は幕府の傀儡だったと思われがちだが、歴代将軍は概して手厚く遇した。三代義満による南北朝の合一以降、皇統は北朝系が占めた。一見無力な北朝は、いかに将軍の庇護を受け、生き残りに成功したか。両者の交わりをエピソード豊かに描き、室町時代の政治力学を解き明かす。
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Posted by ブクログ
鎌倉幕府滅亡後の南北朝時代。南朝を率いるのは後醍醐という個性の強い天皇。天皇親政を再び取り戻すという理想に邁進する。京都は奪われたが、北朝内部で対立があれば、その一方を南朝側に引き込んでは、カムバックを目指す。何度敗けても、そのたびに起き上がる様は日本人好みだ。 しかし、高い理想と人気だけでは現実...続きを読むの波を渡ることはできず、南朝は滅亡する。 結局、生き残ったのは北朝。地味で存在感が薄く、足利将軍の傀儡のような存在だった。が、北朝は徹底的に将軍の「ヒモ」に徹する。社会正義や治安、政治、ときには皇位継承の順番決めまでも将軍に押し付け、儀式に必要なカネを出させる。駄々をこねる子供にしょうがないから駄菓子を買ってやる親子のような関係だ。 代々の北朝天皇はこうして時の将軍にすり寄り、理想やプライドを捨て、家を絶やさないことだけに注力した。彼らは本能的に「君臨すれども統治せず」という未来のヨーロッパの言葉を知っていたのだろう。 こうしてみると、弱者であることを最大の強みにした北朝天皇は実に人間臭い。
【「理想を追うのではなく現実を受け入れ、そのなかで自分の価値を最大限に生かす」という姿勢こそ、北朝天皇家の生命力であったと思われる】(文中より引用) 南朝に比べて人気の点ではいささか劣るとも言われる北朝。ではその北朝はいかにして南北朝の動乱を乗り越え、室町期にも命脈を保ち続けることができたのか。北...続きを読む朝天皇家の「サバイバル術」を明らかにした歴史作品です。著者は、日本中世史を専門とする石原比伊呂。 ところどころ軽い筆致も☆5つ
室町時代という極めて分かりにくい時代を、平易な文章で活写した名著。朝幕関係を通じて、なぜ室町幕府が京都に置かれたか、応仁の乱を契機としてなぜ衰退したか、など興味深いテーマについて、容易に理解することができた。何度も読み返したい。
南北朝の合一で後亀山天皇は上皇となり、京で暮らすことになった。足利義満は後亀山院に自分が注いだ酒を飲ませることで、自分が格上と印象付けた。この種の醜い宴会文化は現代日本にも残っている。 後亀山院は両統迭立が反故にされたことに反発した。 「持明院統と室町幕府は、三種の神器と皇位を掠め取った。その罪は...続きを読む万死に値する」 後亀山院は京を出奔して再び大和国の吉野に潜伏する。南朝の遺臣達が集まり、後南朝の活動が続いた。後亀山院には義満のアルハラへの反発もあっただろう。 室町時代は将軍家と朝廷の宴会が多かった。応仁の乱の最中も宴会三昧であった。室町幕府は将軍の権威を高めるために朝廷の権威を利用した。朝廷も幕府が必要であった。このために将軍と朝廷は近しい関係であると演出する必要があった。実際に仲が良くなくても、本音は嫌でも付き合わなければならかなった。現代日本の飲みニケーションと重なる。 これに対して室町幕府第九代将軍の足利義尚は朝廷関係者との酒宴や公的な儀礼を嫌った。遅刻、早退、欠席が多い(石原比伊呂『北朝の天皇 「室町幕府に翻弄された皇統」の実像』中公新書、2020年、216頁)。蚊に刺されてかぶれたという欠席理由がある。仮病によるサボりも多かっただろう。酒が飲めない訳ではない。むしろ義尚は大酒飲みであり、それが死因になった。 趣味の和歌では公家とやり取りしており、興味のある分野では積極的にコミュニケーションをしている。義尚が嫌ったものは儀礼的な付き合いである。儀礼的な付き合いを無駄と考える現代人的な合理主義精神を持っていた。 これには歴史的な必然性がある。応仁の乱後は守護在京制が崩壊し、将軍と朝廷の儀礼的昵懇関係を守護大名達に見せつける必要性が低下した(『北朝の天皇』225頁)。義尚が儀礼的な宴会を嫌ったことは歴史の流れに沿っている。 これは現代の忘年会スルーにも重なる。昭和には飲み会は仕事という感覚があった。 「今も昔も日本社会における酒宴は、ただの遊興ではない。社交の場であり、“政治”の場でもある(ゆえに特に若手にとって忘年会などはストレスを感じる場となるのだが、それでも参加しておいた方が何かと合理的なのである)」(『北朝の天皇』210頁)。 しかし、人間関係だけで仕事するような無能公務員は別として、アウトプットで評価するならば宴会参加の意味はなくなっていく。宴会参加強要はアルハラでしかなくなる。
タイトルからは南北朝時代における北朝天皇家を取り上げた本かと思ったが、それだけでなく、むしろ南北朝合一後の儀礼的昵懇関係をベースとした北朝(系)天皇家と足利将軍家との関係に重点を置き、中世を生き抜いた北朝天皇家の生命力を描写している。 室町時代の北朝系天皇は、高校日本史などでの存在感はなきに等しいの...続きを読むで、光厳から後柏原に至るそれぞれの天皇の個性豊かなエピソードをたくさん知れて、天皇好きの自分としてはとても興味深かった。持ちつ持たれつの儀礼的昵懇関係を基調としつつ、それぞれの天皇と将軍の個性や相性によりお互いの関係性は様々であり、人間らしくて面白く感じた。天皇家と将軍家の関係性の変容の契機ともなったという、応仁の乱の最中に天皇家と将軍家が同居していて、夜な夜な宴会をしていたというエピソードが特に印象的だった。また、後光厳流と崇光流の分裂やそれに伴う伏見宮家の誕生という事実について、ほとんど認識していなかったので、勉強になった。
知らない事が多くて面白かった。 義教は何処までいっても厄介で、 お寺で勉強してた方がなんぼか皆んな平和に 生活出来たろうと 甘え上手というか、金無いというか ギブ&なんとかなんだろうけど 社会における人間の相性はいずこも変わらじ
室町時代を生き抜いた北朝天皇家の実像を、将軍家との関係を軸に描き出す一冊。応仁の乱発生後の将軍家・天皇家の同居状態において、酒宴が頻繁に催されていたというのは儀礼の形骸化という文脈で中々印象深いエピソードだった。
北朝の天皇と室町幕府との関係が儀礼的昵懇関係という言葉で表されている。将軍家は自身の権威の拠り所として天皇家を頼り、天皇家は自身が足利家によって地位に就かせてくれたというそもそもの成り立ちから将軍家を離れては生きていけない、というお互いを頼ることで中世を生き抜いた。 個々の将軍と治天の君、天皇との個...続きを読む人的エピソードが人間臭く面白い。
ちゃんとした?学者先生なのだが、語り口が面白い。 大変だったんだなあ、という感じ。 とにかく、学校で習う歴史が嘘ばっかりというか一面ばっかりなんで、こういう観点は面白い。 武家社会と言いながら、まあ、皇室も色々時代に流されてるんだが、どんな権力者も、皇室を壊そうとはしてないんだよ。 立憲民主...続きを読む党とか、聞いてるか。 日本ってなんなのかちょっと考えろ。
一般読者なので印象論に過ぎないが、最近は室町幕府研究が活況を呈しているような感じを受ける。 本書レーベルの中公新書をとっても、『応仁の乱』や『観応の擾乱』のように、資料に実証的に拠りつつ、新しい見方、知見を与えてもらえた。 本書は、両統迭立以降、建武新政を経て南北朝時代、義満時代の両統合一か...続きを読むら戦国時代前夜までの、北朝皇統にスポットを当てる。 天皇家と室町将軍の持ちつ持たれつの関係を、儀礼的昵懇関係ととらえ、そうした関係が、応仁の乱による天皇家と将軍家の同居により儀礼性が弛緩してしまったこと、また守護在京制の崩壊により、足利将軍家の権威を天皇権威によって裏打ちする社会的ニーズが失われてきた、といった著者の考察が、大変興味深かった。 皇族や公卿の日記等が残っているからであろうが、上皇・天皇と足利将軍個々の、とても生々しい遣り取りがエピソードとして取り上げられており、為政者のウマが合う、合わない関係が波紋を広げてしまう辺りが、実に面白い。
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北朝の天皇 「室町幕府に翻弄された皇統」の実像
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