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一九六〇年代後半から七〇年代初め、高校生が学校や社会に激しく異を唱えた。集会やデモを行うのみならず、卒業式を妨害し、学校をバリケード封鎖し、機動隊に火炎ビンを投じた。高校生は何を要求し、いかに闘ったのか。資料を渉猟し、多くの関係者の証言を集めることで浮かび上がる、紛争の実像。北海道から沖縄まで、紛争の源流から活動家たちのその後の人生までを一望する、高校紛争史の決定版。
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Posted by ブクログ
1969年をピークとする高校紛争を記した一書。 当事者が体験をもとに記した安田講堂1968-1969と異なり、 資料や聞き取りが中心となるがその数は圧倒的であり、 それでいてよくまとまっている。 何者でもない自分と、何かを成し遂げたい自分という 高校生らしい情動の中で、 複雑な時代のうねりに飛び込...続きを読むんで行く学生と、 それに翻弄され、時に向き合う学校。 しかしその経緯・環境・主張から生まれるドラマは多様で、 それぞれに考えさせられるものがある。 個人的には、葛西工業高校や首里高校のエピソードは 他と境遇が異なり興味深かった。 巻末第七章で「高校紛争という史実」と題し、 この事実を埋没させるべきではないとする筆者の主張には 素直に同意させられた。 確かに高校生の主張は未熟で、 中身を伴わない受け売りも多かったのだろうと思うが、 紛争を通して生まれる学校と学生の関わり合いの中に 本質はあると感じた。 大変読みやすいので、ぜひ多くの方におすすめしたい。
本書の目的は,主に1969~70年に発生した高校紛争の原因や要求,その伝播や解決に至るまでの道を解明するとともに,その後高校はどう変わったのか,今日の高校教育制度にどんな影響を与えたのか,検討する点にある。二次文献に留まらず,通説を覆す証言や,当事者から提供された資料(機関誌,ビラ,職員会議議事録...続きを読む)に基づいて書かれているため,生徒と教師両方の立場から当時の苦悩と葛藤を生々しく伝えている点で,非常に興味深い。 ただ,私が本書を読もうと思った動機は,上述の理由だけではない。私自身は,「自由放任で,受験向けの教育に力を入れなくなった」(273頁)都立高で3年間を謳歌してきた。(おかげで,さらに1年の受験期間を要した。)だが,九州に赴任してみると,同じ公立高校でも全く異なる教育システムの存在にカルチャーショックを隠しきれない。ゼミ生と懇談すると,「なんで都立高には制服や朝課外(0時間目の授業)が無いの?」という話題になるが,「無いものは無い」という回答しか出しようがなく,客観的な説明力に欠けていた。そうした公立高校の教育や生活における地域差の源流を見出したかった点に,講読動機があった。(ちなみに,「制服自由化」の地域差・学校差は,90-97頁を参照。) 本書に対してはさまざまな切り口で評価できようが,以下,いま述べた自分の関心に沿ってのみ記しておく。各都道府県の公立進学校における紛争状況は,明らかに東高西低だった(143頁)。「校内集会・デモ」,「授業妨害・ハンスト」,「卒業式妨害」,「封鎖・占拠」,「警官導入・校内逮捕」という5つの主要な紛争事項は,札幌南(北海道),県立千葉(千葉),日比谷(東京)の各高校で全て発生していた。我が母校も,日本共産党系の原水爆禁止高校生連絡協議会(原高連)が発足したり(36頁),反戦高連の拠点だった生徒会室を,他の高校生解放戦線(ML派)に襲撃されて印刷機が奪われたり(168頁)と,この手のエピソードに事欠かない。これに対し,修猷館(福岡),佐賀西(佐賀),大分上野丘(大分),鶴丸(鹿児島)では,上記の紛争事項がほとんど発生していない。九州島内の高校紛争で大規模に取り扱われているのは,作家・村上龍が生徒として関わった佐世保北(長崎)だけである。 以上のような事実は明らかになったものの,これほどの地域差がなぜ発生したのかは十分解明されたわけではない。「自民党の支持基盤が強かった地域では,反体制運動はもってのほかであり,地元の高校,しかも名門校で紛争が起こったり,活動家が生まれたりするのは容認できなかった」(118頁)という見解も指摘されるが,おそらくそれだけではなかろう。同時代の大学紛争や労働運動との関係,さらに遡って旧制中学時代との連続性や,藩校をルーツとする建学の精神などに注目すると,もっといろいろな解釈が生まれるのではないかと,期待してやまない。 いずれにしても重要なのは,高校の生徒と教師が深く対立しなければならなかった時代の存在を,我々「若い世代」が認識しておくことである。現在の高校教育は,良かれ悪しかれ,この高校紛争の経験と影響を大きく受けているだけに。
著者とほぼ同世代としてこの本に横溢するちょっと上の先輩たちに対する隠しきれないシンパシーにシンクロして一気読みしました。制服斗争(闘争じゃないんだよね…)という言葉に眩しさを感じたことを思い出します。第二次世界大戦やベトナム戦争という戦争からの距離感、新制高校という制度の歴史、そして高度経済成長の実...続きを読む感、そういう時代的な状況と十代の多感という不変な季節が重なることで生まれた1969-1970という一瞬。大学紛争の縮小版とは違う歴史なのだと知りました。それは終戦時、アメリカに子供と言われた日本社会自身が青春に突入した瞬間なのかもしれません。
私は高校紛争世代の後の世代。服装の自由選択権、学内での言論の自由(検閲の拒否)、殆どの校則の撤廃、受験対策学習の廃止という遺産のおかげで、人生で最高の時間を満喫できた。歴史の記録としては内容のバランスはよいが、現在でも重要な課題として、高校生の政治活動の是非、高校の学習内容はどうあるべきか、という二...続きを読む点については、その後の高校の歴史も踏まえて論じて欲しかった。コスタリカの教育を紹介した本「平和をつくる教育」では、お祭りノリでの小学生からの政治活動教育?が。日本はこの点では1969年から全く進歩していない。
「高校生は政治活動をしてはいけません」。本書を読むまでそんな 文部省通達があったことさえ知らぬ世代である。 制服の廃止、生徒心得の廃止、受験対策授業への反発。そして 巷に蔓延していた政治的関心の大きさは、高校生にも波及した。 しかし、高校紛争は大学紛争のように長期化しなかった。何故か。 活動に熱...続きを読む心だった学年が卒業することで終焉に向かった学校も あった。機動隊の導入という実力行使で鎮静化された学校も あった。 また、過激化する活動や大学生同様の内ゲバの発生で一般生徒の 共感を得られなかった学校もあった。 それが高校紛争が歴史の影になってしまった要因なのだろう。 本書はそんな埋もれた歴史を、当時の関係者への聞き取りや 各高校の学校史、多くの資料に当たって掘り起こした良書だ。 当時を知らぬ者から見れば、紛争が頻発していたのはエリート校に 多いので「頭でっかちがお祭りごっこをしていただけではないのか」 との感想を抱いてしまう。 実際、「バリケードを築いたりするのが楽しかった」との回想もある。 そして彼らが無意識のうちに持っていたであろう特権意識と、実業 高校を見下したような思想には嫌悪感さえ与える。 同じ時期、日本返還前の沖縄の高校でも紛争があった。だが、それは 「当事者」としての紛争であり、本土の高校生が熱病に罹患したように 反戦や安保のデモに参加したことは趣を異にしている。 以前、東大安田講堂に立て籠もって機動隊と対峙した当事者の 回顧録を読んだ。その時、「これは「戦争ごっこ」をしていたことを 美化していないか?」と思った。 大学生が「戦争ごっこ」なら、高校生は「お祭り気分」だったのだの だろうか。 自治を求めて学校側に要求を突きつける気持ちは分かる。実際、 私も高校時代に同じような要求を掲げたことがあった。だが、それが ゲバ棒・ヘルメットで武装し、火炎瓶や石を機動隊に投げつけると なると話は違う。 「反戦」を叫んでデモをする一方で、武装闘争する矛盾に気付く ことはなかったのか。機動隊は権力の象徴かもしれないが、 隊員ひとりひとりは誰かの子であり、被搾取階級の出身なのだ。 さて、高校紛争は学校教育に一石を投じられたのか。結果は 「何も変わらない」ではなかったのだろうか。
本書末に付された紛争史年表によれば、私の母校である都立国立高校で紛争が発生したのは、69年の2学期から3学期にかけてで「デモ・集会・乱入」から始まり、「封鎖・占拠」や「スト・授業妨害」が発生している。私が東京都立国立高校に進学した年が7年後の1976年。その頃には紛争の記憶はすでに過去のものであった...続きを読む。 しかし、放送部の部室(放送室)に置かれていた大きな古めかしい木の机を指して、大学生の先輩が「この机で放送室にバリケードを作ったんだ」と説明されたことはよく覚えている。活動家の生徒が放送室を占拠しようとしたとき、それから守ったということだ。 放送部はその後学校の放送業務を一手に引き受け、先生方といえども勝手に校内放送をおこなうことをせず(一部例外はあったが)、すべて放送部に校内放送を依頼するということになっていた。生徒の自主性を重んじ、かつ放送部は活動家などからも距離を置いていたので信頼されていたということであろう。紛争を経てほかにもさまざまなルールが確立していったようにと思う(現在はどうなっているのだろう?)。 本書の記述にはなかったが、国高でも確か逮捕者や退学者が出ていたと思う。生徒会室には校門のバリ封鎖の写真も残っていた。生徒会の某が民青の活動家だというような話も聞いたことがある。 今の高校生は自分たちの高校で何があったのかを知るものはほとんどいないだろうし、先生方も紛争時の古株はすでにほとんどが退職されているだろう。しかし、紛争の総括は本書も指摘するように非常に不十分である。当時の高校生たちが振り回した理屈や行動のほとんどは取るに足らないものであったかもしれないが、社会のさまざまな問題を当時の高校生がどう考え、行動したのかは今後ともきちんと検証されていくべきであろう。
1960年代後半に起きた学生紛争に派生した高校紛争を多くの資料と証言から解き明かす。今では学校現場にその見る影もないが、高校生の主体性の欠如という状況を見るたび、学生紛争の時代の高校生の姿に興味がわいた。 キャリア教育の課題として、主体的に進路を見つめ、選択させるといったことが挙げられるが、その手段...続きを読むとして、学生運動に従事した高校生とそれに対峙した教員たちの姿というのが参考になるのではないかと思われる。 さらに詳しい記録が待ち遠しい。
親世代が彼らの後輩だった世代なので、当時の空気を吸っている訳でもなく、どこか不思議な時代だったように思われるのみである。 本書を読む限り、高校紛争はやはり大学での紛争のミニチュア版であったようだ。昨今の高校の状況ならばいざ知らず、当時の高校の様子、さらに紛争が話題にのぼる前の様子を知らないので、なん...続きを読むとも言えないが。
高校生の学生運動について書かれた本。 村上龍や三田誠広は直撃世代で、「69」や「高校時代」はそのときの思い出をもとにした作品。 ただ暴れたいだけの高校生もいれば、受験教育に疑問を持ち人間として成長できる授業をしてほしいと要求する高校生もいるし、過激派にとりこまれている高校生もいる。 学校側の対...続きを読む処も様々で、問答無用で退学や警察の介入をする学校がある一方で、生徒の政治活動を自主性の尊重として認める学校もある。学校側が教育の仕方を自省する機会になったこともある。 このとき運動に参加していた高校生が大人になってマルクス主義経済学の学者になっていたりして、むしろまだ卒業していなかったのかと驚く。
赤松英一氏のお勧めで読んで見た。 1969年頃の都内の高校生活動家と紛争高校の発端から終息迄を纏めた書物。大手前高校も掲載されている。それなりに当時の高校の状況や活動家のことがわかる。しかし、当然ではあるが当時のコアは全共闘運動と新左翼諸セクトの動向であり、高校紛争はそのミニチュア版にしか過ぎない...続きを読む為、隔靴掻痒の感有り。記録としてもソコソコである。
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高校紛争 1969-1970 「闘争」の歴史と証言
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