ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
4pt
だれしも母を選ぶことができないように、生まれてくる子どもにはことばを選ぶ権利はない。その母語が、あるものは野卑な方言とされ、あるいは権威ある国家語とされるのはなぜか。国家語成立の過程で作り出されることばの差別の諸相を明らかにし、ユダヤ人や植民地住民など、無国籍の雑種言語を母語とする人びとのたたかいを描き出す。
ブラウザ試し読み
アプリ試し読みはこちら
Posted by ブクログ
▼素晴らしい本です。馬鹿を承知で煎じ詰めると、方言がことばであり、文法とか正誤など些事であり、そこにヒトの愛着と歴史があり、国家なんぞ超えた普遍の価値がある。国家は国家のために言語にマルバツをつけてレッテルを貼るが、それはそれそのように理解せねばあかんぞな、というような。 ▼(引用)人の精神には弱...続きを読むいところがあって、何かきちんとした数字が示され、それが教科書などに印刷されると、やっと落ちついた気分になって安心できるというところがある。 ▼(引用)言語とは、それを構成するさまざまな諸方言をまとめて、その上に超越的に君臨する一種の超方言とする考え方である。それは頭のなかだけで描き得るきわめて抽象的なものであるから、誰にも話されていない、いわば日本語という名と、それについての観念とだけがある抽象言語とも言えよう。したがって言語とは、多かれ少なかれ頭のなかだけのつくりものである。別の言いかたをすれば、言語は方言を前提とし、また方言においてのみ存在する。それに対して方言は、言語に先立って存在する、よそ行きではない、からだから剝がすことのできない、具体的で土着的なことばである。それが観念のなかのことばではないという意味において、首都で話されている日常のことばは、厳密な言いかたをすれば、極度に観念のなかの標準型に近づけられた首都方言である。 ▼スカして言えば、「そうに決まってるやんか」ですが、それをねっとりと情熱プラス実証で語る本書は、時を超えて残したい名著です。しかも平易です。たれでも読めます。
“ことば”というものを“国家”との関係性で見つめることが無かったの自分に愚かさを感じさせられた。 “母語”はそこに暮らす“なかま”たちのコミュニケーションのための必然として生まれてきたものであり、それがそのなかまたち(民族)の文化を作り上げ継承してきたものなのだから、それを奪われたり、他の“こと...続きを読むば”を強要されることは、その断絶を意味することなのだ。だから、地域紛争は複雑で国家が操る政治で決着をつけようとすると必ず拗れることになる。 単一民族の日本人だからこのことを知らなかったのは仕方がないと、言い訳がましい言い訳を考えていたが、アイヌ、そして琉球で起きた“日本語”への統制の歴史を知らされ、彼等の嘆きを想像すると、 またしても、“国家”というものへの不信感を強め、それらにも思いが至らなかった自分の歴史観に愚かさを抱いた。 良書。見えなかった視点をくれた。
言葉には話し言葉と書き言葉があります。 歴史的に見て、勿論話し言葉先にありました。 多くの人びとが文字によって自分の思うことを伝えはじめたのは本当に近年のことであります。 医学博士・野口英世の母は使い慣れない文字で外国にいる息子に、 すべてひらがなで、「はやくきてくたされ」と3度も繰り返しす一通の手...続きを読む紙を送りました。 明治の世ですらこのような状態でした。 でも、野口英世はその母からいろいろなことばを教わり、その世界を広めていったのです。 ここにことばに関する名著があります。 田中克彦著「ことばと国家」(岩波新書)であります。 「こどもが全身の力をつくして乳を吸いとると同時に、かならず耳にし全身にしみとおるものは、 またこの母のことばであった」著者はこれを母語とよんでおられます。 だれしも母を選ぶことができないように、生まれてくる子どもにはことばを選ぶ権利はないのです。 したがって、すべての母語は厳密にいえば皆違っております。 でもその地域の母語は概ねおなじでしょうが、他の地域とは異なり、 さらに民族によってはまるで違ってきます。 人類の歴史のうえではこうした状態が長く続いたことでしょう。 時代が下るとその地域を束ねる人がやがてあらわれてきます。 彼がやらなければならないことは沢山ありました。 時間、暦、尺度、貨幣など統一などですが、 何より急務はが文字を使ってのことばを統一することではなかったでしょうか。 一部のエリート層によって文字を書き、読む、 それを話し言葉でその内容を民衆に伝えるだけで十分だったのです。 この著書の中で、その特異な例として、 フランス語そしてユダヤ人のことばについて詳しくのべられています。 フランスという国はいわゆるフランス語の他に今でも オック語、ブルトン語、アルザス語など多くの言語があるそうです。 しかし国内ではフランス語以外の授業がおこなわれることはほとんどない。 また名前もナポレオン法典にで示されたわずか500余りの名前しか使えないそうです。 ユダヤ人に関しては流浪の民といわれるように、彼らには固有の言語がほぼ失われてしまった。 イベリア半島のユダヤ人や中・東欧のユダヤ人(アシュケナージ)などは その地域で生きゆくためそのことばに同化していかざるをえなかった。 つまり母語が時代、住む地域によって変わっていったのである。 ロシアに流れ着いたユダヤ人たちはレーニン、スターリンなどによって徹底的に無視された。 そのユダヤ人たちが、英国、米国の画策によってイスラエルという国を与えられた時、 彼らがまず直面したのがことばの問題であった。 中・東欧のユダヤ人の話言葉のイディシュ語だけでなく、 世界から集まったユダヤ人のことばさまざまであった。 そこで統一言語として使われたのが聖書にあるヘブライ語であった。 ヘブライ語は聖典にのみ使われる聖なることばで、 日常語として使われることばタブーとされていたのである。 そして今、ヘブライ語は母語になっているのでしょうか? 私はこの本を読むことによって、 ことばと文字がいかに時代、政治、社会によって変貌をとげるものかということを 目からウロコが落ちる思いで一気に読み上げました。 最後にこの言葉によって締めたいと思います。 『言語は差異しかつくらない。その差異を差別に転化させるのは、 いつも趣味の裁判官として君臨する作家、言語評論家、言語立法官としての文法家、 漢字業者あるいは文法的精神にこりかたまった言語学者、 さらに聞きかじりをおうむ返しにくり返す一部の新聞雑誌製作者等々である。』
社会言語学というのか、とても面白くて理解が浅いながらもサクサクっと読んでしまった。古い本だけどおれ的には中身は古くない。 母語と母国語の違い、アルザスの最後の授業の話、ラテン語が「たえず変化することによって、新しい歴史的状況に適応していおうとすることばの性質に反して、文法とは、真の意味におけることば...続きを読むでないことばをつくる作業」により書き言葉として固定され死んでしまったこと、各地における方言に対する抑圧、イディッシュ語やピジン、クレオール語の成り立ちなどなど、興味深いテーマがぎっしり。
20年以上前に書かれた言語の国家政策に関する名著。文章が非常に分かりやすく、説得力に富んでいる。 現代にも非常に重要な示唆を与えてくれる。言語がいかに政治と分かちがたいものか。 (2015.9)
痛快な文体で国家とことばの関わりについて述べた本。「国語」の始まりは日本の西欧化と密接な関わりがあること、方言滅ぼし教育の存在があったことなど、日本の中央集権的国家語統制の確立の道具としての国語の存在という視点を学ぶことができた。現在の標準語を特に違和感なく使用している自分の普段の生活をあらためて振...続きを読むり返るための色んな考えを享受して頂きました。すばらしい名著だ!
かつて、イタリア中部の一部属の話していたラテン語は、ローマ帝国の言語として、その支配地域と共に拡大していった。もちろん各地には、それぞれすでに話されていた言語があり、ラテン語は、支配階級の言語として、そこに覆い被さっていったのである。土着の言語はラテン語の影響を受けて、今日のロマンス諸語など俗ラテン...続きを読む語を形成していった。そして、ラテン語はその格式を守る為、より厳格に古典的硬さを強めていった。実は、このことこそラテン語の死を意味していたのである。ラテン語はローマ帝国唯一の書き言葉としてなお君臨し続けたが、もはや誰もそれを話さなくなってしまった。人の営みはその心と共に移ろい、くずれず、乱れず、変化しない言葉で、何を表現できるだろうか。言語は、それを話す人と共に、生きているのである。
言語の分類は常に恣意的で、政治の力が働くということを 「フランス語」や「ドイツ語」、「イディッシュ」が形成された経緯を見ながら説明しています。 今現在の、例えばベルギーを見れば、国家における言語の果たしている意味というのはいまだ変わりません。 30年前の本ですが、時代に左右されない内容のみで構成され...続きを読むています。 人文系のタイトルですが、政治学に興味がある人こそは本書を読むと良いと思います。
今ではなにげなく使っている、「国語」という言葉の成立過程のくだりには、はっとさせられ、言語と国家を切り離して考えることの難しさが、あらわれている。「母語」って言葉、いい響きですね。
神です。 うちの学類に入学したら読まないとダメだと言われた。 ことばの在り方、国語という概念、今までの常識。 いろんなことを考えさせられた。 あたしの考えの根源にはこの本の影響が間違いなくある。
レビューをもっと見る
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
新刊やセール情報をお知らせします。
ことばと国家
新刊情報をお知らせします。
田中克彦
フォロー機能について
「岩波新書」の最新刊一覧へ
「社会・政治」無料一覧へ
「社会・政治」ランキングの一覧へ
漢字が日本語をほろぼす
言語学者が語る漢字文明論
ことばとは何か 言語学という冒険
ことばは国家を超える ――日本語、ウラル・アルタイ語、ツラン主義
シャマニズム 1
「田中克彦」のこれもおすすめ一覧へ
▲ことばと国家 ページトップヘ