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18世紀末、コルシカ島出身の一軍人から皇帝にのぼった英雄ナポレオン。父帝に憧れ軍功を焦るが、病のため夭折した2世。二月革命を経て大統領に当選、その後クーデタで皇帝となった甥の3世。帝政復興の期待を背負うも、英兵として赴いた戦地で落命した4世。二組の父子、そして一族は栄華と没落という数奇な運命を辿る。革命と激変の時代に「ナポレオン」はどう生き、民衆に求められたか。ボナパルト家から近代史を読む。
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Posted by ブクログ
軍事の才能を発揮し、フランス革命によるカオス社会でのし上がったナポレオン1世。皇帝となりフランスを統治するが、退位し、島流しに。しかし、彼はカムバックを果たし、再び皇帝となる。しかし、ロシア遠征の失敗をきっかけに再び退位、島流し、そして死去。山あり谷ありの人生を一気に駆け抜けた歴史に残る英雄だ。 ...続きを読むここまではよく知られている世界史の話。本当におもしろいのはナポレオン1世の息子2世、甥の3世、3世の息子4世、それぞれの数奇な運命だ。と、語る著者は彼ら4人をほぼ同ページ数で紹介。フランス革命以後のヨーロッパ社会でナポレオンファミリーは名誉貴族のような存在で好意的に受け入れられていたようだ。今の日本で実績のない2世政治家に票が集まるようなものか。 そして、この一族の4人が皆、フランス国外で亡くなっていることはなんとも皮肉だ。
ナポレオンの家族史といった内容、政治・軍事に関する深堀はなかった ボナパルトとは、フランス語読み、ブオナパルテで、コルシカ系、もともとは、イタリアジェノバのリグーリア地方に由来する 母レティティアも、コルシカ移住のジェノバ人の家系である。また、ナポレオンには、妹、ポリーヌがいた。 ナポレオンは、...続きを読むもともと、コルシカの出身で、フランスに疎外感をもっていた。自分がフランス人であるというよりも、コルシカ人であるという自覚のほうがずっと強かったのである。 1785年、15歳でパリ士官学校を卒業したときは、58人中42番の成績であった、だが、通常4年かかる課程をわずか1年で卒業できたことは極めて優秀であったとする説もある。 ナポレオンの軍事的成功をおおまかに一瞥すれば、まず何と言っても、1796年3月にイタリア遠征軍総司令官としてオーストリア軍とたたかったことを上げなければならない。 最初の妻、ジョセフィーフは、ナポレオンとあったときは、未亡人であった あいつぐ戦勝の結果、ナポレオンはロシアを除く、ほとんどのヨーロッパを征服するに至った 1810年2人目の妻、マリ=ルイーズと結婚した。 正妻以外の女性、マリア・ヴァレフスカ、ポーランド妻といわれていた。マリアの息子アレクサンドルは、ナポレオン3世を支え、政界の有力者として君臨することとなる。 2度目の妻、マリ=ルイーズとの間の子どもが、ローマ王、ナポレオン2世である。 ナポレオンの軍隊を構成していた兵士の多くは、農村から徴兵された青年たちであり、ナポレオンが没落したのち農村への帰還していった。 ナポレオン伝説は、そうした、帰還した老兵が崇拝していたナポレオンとの従軍体験を語ったものである。それがナポレオン待望論につながっていく。 復古王政ののち、実施されて選挙で行われた大統領選で、ルイ・ナポレオンは大統領に選出されて、そして皇帝に推戴された。これが第二帝政である。ルイ・ナポレオンは、ナオポレン3世となった。 ナポレオン3世は、妻に、スペイン貴族の娘であるユジェニ・ド・モンティジョを選んだ。 ナポレオン3世は、パリを改造して開放的で衛生的な都市へと整備した。また、パリ万博を2度も開催した。ただ、こうした功績に比して、パリには、ナポレオン3世の遺構はそれほど多くはない。 3世のユジェイとの子、ルイは、4世として、第3帝政の復活を期待されたが、イギリスへ亡命し、イギリス軍人として亡くなった。 <参考:ブルボン王朝以後のフランス政治史> ブルボン王朝 ルイ14・15・16世 フランス革命 第一共和政 第一帝政 ■ナポレオン一世 復古王政 ルイ18世、シャルル10世 七月王政 オルレオン家 ルイ・フィリップ王 第二共和政 第二帝政 ■ナポレオン三世 第三共和政 第1次世界大戦 第2次世界大戦 ドイツによるフランス制圧、ビシー政権と自由フランス 第四共和政 第五共和制 ドゴールの憲法改正後、現行体制 目次 まえがき 序章 ナポレオンの家系 第1章 皇朝の創設者 ナポレオン一世 第2章 ドイツ貴族になったナポレオン ナポレオン二世 第3章 囚人から共和国大統領、皇帝へ ナポレオン三世 第4章 帝国復興の期待の星 ナポレオン四世 終章 その後のポナパルト一族 あとがき 主要参考文献 関連年表 ISBN:9784121025296 出版社:中央公論新社 判型:新書 ページ数:288ページ 定価:860円(本体) 発売日:2019年02月25日
1回目読み終わりました。ナポレオン3世に関して、マルクスが著した「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」(講談社学術文庫)でしか触れたことがありませんでした。そのため、同書に記された凡庸な人物という評価に引っ張られて、大した人物ではないと先入観を持ってしました。情け無い事です。 しかし、本書を読んだ...続きを読むところ、そのような先入観に基づいては、ナポレオン3世の意思や業績を率直に評価する事が出来ないことに気付かされました。 もちろん、著者の記した本書が絶対に正しい評価とも限りませんが、改めて自らの愚に気付かせてくれたことに感謝しています。 ナポレオン1世から現代のナポレオン一族に至るまで言及されていますし、一族にのみスポットライトを当てていますので、話があちこちに飛ばず、個人的には読み易かったです。 良い本であると思います。時間を空けて読み直したいと思います。
興味のあったナポレオン3世の偉業であるパリの都市計画も、結構あっさりでびっくりした。 ナポレオン1世は世界的に有名であるが、子孫達はどうだったのか?という疑問に答えるフランス名門一家の波乱に満ちた人生の評伝は、面白い。 一番、苦労をしたのは、ナポレオンの実母だと思う。息子は英雄・皇帝から流刑人という...続きを読むジェットコースターの様な人生を皇太后として以上に母親として見守りつづけたのだから。
有名な二人のナポレオンだけでなく、当然ながら第2世、第4世がいた!この二人がどんな人だったか、フランス政界における存在感の大きさも初めて認識した。そして現代の7世にまで至る。今なお、ナポレオンという名前のフランスにおける影響の大きさの背景が理解できる。ナポレオン3世の評価が愚かな皇帝という低すぎる中...続きを読むで、実は立憲君主制の見識のある指導者であったし、現代のパリの街づくりへの貢献への著者の評価の高さが新鮮。1世のコルシカ人としての意識で、フランスからの独立を望む立場、むしろイタリア寄りのスタートが面白いところ。
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ナポレオン四代 二人のフランス皇帝と悲運の後継者たち
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野村啓介
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