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院政期の上皇が、鎌倉時代の武士が、そして名もなき多くの民衆が、救済を求めて歩いた「死の国」熊野。記紀神話と仏教説話、修験思想の融合が織りなす謎と幻想に満ちた聖なる空間は、日本人の思想とこころの源流にほかならない。仏教民俗学の巨人が熊野三山を踏査し、豊かな自然に育まれた信仰と文化の全貌を活写した歴史的名著が、待望の文庫化。
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Posted by ブクログ
まだ熊野古道が世界遺産になるずっと前の1967年出版と半世紀以上前に書かれたものとは思えないほど、神仏習合・修験道・そして原始宗教の織りなす、総合文化たる熊野を多面的に味わえる名著。
2013.1記。 世界遺産にもなった熊野古道は、熊野本宮大社をはじめとする社寺を参詣するための道々の総称。 山と鬱蒼とした森によって隔てられた熊野は「隠国(こもりく)」、すなわち「死者の国」の古語を地名の由来とするとも言う。民間信仰、神道のルーツ的なエリアでありながら、平安期の阿弥陀信仰の盛り上...続きを読むがりにより「浄土」のイメージが重ねられ、日本独特の神仏習合の聖地となっていく。時宗の開祖一遍上人が熊野「本宮」を目指す旅路は一遍上人聖絵という絵巻物の傑作に残され、聖人の内面の葛藤と当時の習俗を今に伝える。 1960年代に執筆された本書は、市井の怪奇譚から荘園支配を巡る伊勢神宮と熊野仏教勢力の訴訟まで、歴史学・民俗学的に深く検証しながら、同時に著者自身が古道を踏破し見聞きする風景のエッセイを各所に挟み込み、違和感なく共存させている。 そこを歩けば亡くなったはずの知人とすれ違うとも言われた熊野路の信仰の源流を、著者は深い森、峻嶮な山々、美しい滝など人知の及ばない自然環境にこそ見出す。今は整備された観光地なのかもしれないが、山道の険しさは変わらないはず。主要なルートだけでも一度歩いてみたいものだ。
予備知識も何もない状態でとりあえず読み終えた今の理解、 ⑴ 熊野は古くから葬送において独特で、天皇家が火葬を採用してひろまるまでは墳墓がほとんどなく、風葬・鳥葬がとりわけ発達していた。 ⑵ 人の死骸を啄み、空高く舞い上がる烏を、おそらく古代の人は天の使いのようにみた。熊野ではこれがとりわけ発達してい...続きを読むた為に、烏と熊野の印象的な結びつきがうまれた。 ⑶ 熊野では、自らの両足を縄でしばり、崖淵に結びつけて跳び下り、宙吊りで果てるという変わった自殺方法をとる信仰が古くからあり、現世で苦しめば苦しむだけ来世では安楽が得られるという信仰もあって、聖が同様の自殺、もとい、捨身をすることもしばしばあった。 ⑷ 死者の国として発展していった熊野は、神の国である伊勢と表裏をなすようになり、それがやがて伊勢と熊野の同体説を産んだ。 ⑸ 熊野詣には、主に庶民が辿った女道の伊勢路と、主に貴族らが苦行として辿った男道の紀伊路と、二通りあり、伊勢詣から続けて熊野を詣でることも多かった。 ⑹ 熊野神道が発展していくと熊野の死者信仰は穢れとみなされるようになったが、那智滝を信仰対象として那智信仰がうまれた後、その奥之院として法華宗の法妙山は熊野古来の死者信仰を引き継いだために、熊野神道から那智信仰における異端とみなされるようになった。 ⑺ 浄土教が流行すると、熊野に仏教勢力が跋扈するようになり、更に死者の国の印象と結びついて熊野は浄土そのものであるという信仰が生まれた。仏教浄土である以上、神道の伊勢とは切り離さねばならず、伊勢路はそういった体面的問題からも廃れていったが、それは庶民とは関係のないことであった。 ⑻ 浄土の思想が根付くと、海の向こうは浄土であるという信仰も生まれ、丘の風葬・鳥葬に対し、浜の水葬も流行った。 ⑼ 熊野は死という穢れを拒まず受け容れてきたことから、一遍を開祖とする浄土教の一派・時宗は積極的にその特性を利用し、癩病患者を中心とする社会から締め出された人々の受け容れを熱心に行い、様々な宣伝を通じて勢力規模を拡大した。現代では、熊野社あるところに時宗寺院ありと研究者が見当をつけるほど、両者の結びつきは強かった。 ……と、いうところまでは概ね楽しく読んで、理解もできたつもりだが、そのあとの熊野別当の話はさっぱりわからなかった。笑 中世日本史ほどいみのわからないものはない。仏教が日本独自のガラパゴス化して上から下にまで浸透し、武士勢力が擡頭してから何でもかんでもよくわからない漢字語で表すようになって、厚化粧してブランド物で着飾ったおばさんの素顔くらい嫌悪感を催す代物になってしまった。その心は、近寄りたくない。 ただ、とりあえず当時の熊野には領主として大変権勢をほこる人が君臨し、僧兵や山伏を抱える一大国家的勢力を築いていたということはわかった。それが源平合戦に影響を与えるほどであったということもわかった。それ以外は正直興味すらわかずさーーーと流し目王子もびっくりの流し読みで駆け抜けた。 伊勢路と紀伊路の説明が割と細かいのに地図がないので、えらく不親切な編輯部だなと思って読み終えたら、巻末にしれっと地図あった。これから読む人はまずさきに巻末へ。笑 --- 著者曰く、初期の浄土教には後の世のチャランポランな浄土宗とちがって、滅罪というとっつきにくく、近寄りづらいものがあったらしい。それは読んで字の如くで、悪いことしたらその分だけ苦しんだり、功徳をつんだりして、身の不浄を洗い落とさないと浄土にはいけないということらしく、「南無阿弥陀仏」(現代語訳:アミダまじエモイ) と口で唱えるだけで浄土にいけると説く親鸞などの浄土宗とは根本的に違ったらしい。それが平安末期になると熊野はチャランポラン浄土宗の説くところの浄土として認識されるようになり、心に余裕のない底辺層、一般庶民をぐっと引き寄せたらしい。ただ、著者は初期浄土教の滅罪信仰を日本独自の罪穢・禊祓の固有信仰に基づくものだというが、中国の清朝宮廷ドラマ(大河ドラマ)にも滅罪思想はよく出てくるから、日本の固有信仰ではないと思う。 --- 本書の地理案内でしばしば「王子」という地名が現れるので、東京都北区王子が真っ先に浮かび、何かの地形を表す詞なのかと思っていたら、熊野社がいまの北区王子にあったから、王子らしい。東京では八王子をのぞいて「王子」のつく地名は多分ほかにない、と思う、ので、珍しいっちゃ珍しいが、和歌山の熊野一帯は反対に王子様だらけらしい。(本書の情報) --- 最後に、気になった一文: p.65 「……鴨長明の編といわれる『発心集』の……ある禅師……が、……捨身往生をねがって……はじめは身燈(焼身自殺)をしようと鍬を真赤に焼いて両脇にはさんでみたが、大したこともないとやめて、補陀落渡海にふりかえた……。」 真赤に焼いた鍬を脇に挟んで大したことないというその根性で生を全うできんもんだろうか。
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