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カネもコネも語学力もない。夢を叶えるための武器は胸に秘めた情熱だけだった──。28歳の時に、著者は闘牛士になることを夢見て単身スペインへと渡る。そこで彼を待ち受けていたのは、想像を絶するような苦難の連続だった。何度も挫折しそうになりながらも、著者は一歩一歩階段を上り続ける。「諦めないということは、どこまでも自分を信じ続けるということだ」。世界唯一の日本人闘牛士による、胸揺さぶる感動の自伝!
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Posted by ブクログ
すごい! 現代の冒険活劇! ツテ無しで、単身スペインに渡り、現地の人々の助けを得て 本当に闘牛士になった人の実話です。 読むと、自分の夢に向かっていく勇気が持てます。 マンガ版があったら、子どもに読ませたい! 以下、好きな場面を3つ挙げる。(要約版です) ○はちゃめちゃ!(p.72) あな...続きを読むたが車から降りて、倒れている男へ恐る恐る近づいてみると、 おもむろに男は起き上がって、ヒッチハイクさせてくれ、などと 厚かましく訴えるのだ。 私は、捨て身の作戦にみごとに成功した。 ○勇気と度胸(p.96) 「お前危ないからどいてろよ!今、牡牛を出すからよ!」 と扉係の男が注意する。 「聞いてくれ。俺はポルタ・ガジョーラをやる!」 私は、彼に向かって叫んだ。 「何行ってんだよ!できる訳ないだろう!」 「どうでもいいから早く牡牛を出せ!」 : : 牡牛は微かにカポテをとらえかけたが、そのまま私の間近を 走り抜けていった。私の両膝は地面から一歩も動かなかった。 この瞬間、私には観客の姿も声援も何も届かなかったが、ビクトル によると雷のような歓声だったそうだ。 ○退屈な仕事でも(p.174) 私はそういう考えを持たなかった。 オレンジを切れば、切るほど、よりマタドール・デ・ロスに 近づけるのだと自分に言い聞かせていると、時には作業に熱中 するあまり、高揚感に酔いしれて涙することまであった。
情熱の国スペインに相応しい情熱的な著者。諦めたら試合終了だよ、というスラムダンクの安西先生の言葉を思い出しました。夢が叶うか、叶わないかは諦めるか、諦めないか、なんだなあと。何度も苦境に立たされながらも絶対に諦めない著者に、読んでいる私まで胸が熱くなりました。夢を追いかける全ての人に読んでほしい本で...続きを読むす。
「かつて古き良き時代には、闘牛士になるのは将来も何もない餓えた若者たちであることが多かったのだが、現代において闘牛士となるのは有名な闘牛士の息子や牧場主のそれなど、経済的にも人脈的にも恵まれたものたちがその圧倒的な主流となっている。一般にノビジェロ・シン・ピカドール(満2才牛の仕留め士)から始め、ノ...続きを読むビジェロ・コン・ピカドール(満3才牛の仕留め士)を経て、最高位であるマタドール・デ・トロスへ(満4才牛の仕留め士)と到達するまでに、少なくとも日本円で三千万円以上の資金が必要とされるからだ。」 高校を出て10年間フリーターだった男がわずかな時間テレビで見たのをきっかけに闘牛士になりたいと聞くとどう思うだろうか。多くの人がなれるわけがないと思うだろう。濃野平は1997年に28でスペインに飛んだ。当時はまだ何でもググれる時代ではなく、どうやれば闘牛士になれるかどころか日本にいてどこで闘牛が開催されているかすらはわからない。少なくともスペインに行かなければ闘牛士になれないことは確かだ。 濃野がたどり着いたのは大西洋に面したスペインの西の港町ウエルバこの町の近くで闘牛があったからだ。スペイン語は全くしゃべれず、辞書と会話集を頼りに闘牛学校が有るか聞く濃野、セビリアに有ると聞き街を離れようとする濃野を「セビリアに行くなここに残れ」と止める若い男がいた。10才年下で闘牛士を目指すビクトルは濃野の親友となり目標ともなった。このころのビクトルはノビジェロ・シン・ピカドールの資格は持っていたがまだプロ闘牛士としてのデビューは果たしてなかった。 闘牛の練習を始めて4日目濃野はいきなり生きた牝牛相手に練習することになる。闘牛士が使う道具は両手で持つ大きなマントのようなカポテと右手で剣を持つ際に左手で持つムレタと言う布。闘牛は人間と牛との戦いではなくカポテやムレタで牛をコントロールし一体となって様式美を完成させる芸術のようなものだ、そして最後に牛の肩甲骨の間に剣を突き刺し牛を殺すことで芸術は完成する。しかし一度この布になれた牛はその後は人間を狙ってくる。牛が闘牛に使えるのは一度きりだ。殺された牡牛は肉になる。(食用と育てられたわけではないが)ごく並外れた働きを見せた牛だけは余生を種牛として暮らすことが出来る。 では練習はどうするかと言うと運が良ければ4日目の濃野のように牧場の雌牛を相手に出来る。練習で良い反応を見せた牝牛は繁殖用に残されそれ以外はやはり肉となる。初めての練習で2才未満とは言え100KGを超える牛に濃野は吹っ飛ばされるが逃げることはなく踏ん張った。 ビクトルと練習できる牧場を探す間にヒッチハイクのために濃野は道路脇で死んだ振りをする。この時からビクトルが濃野の見る目が変わった「お前って凄いぜ、人の出来ない馬鹿なことをやれるってのは才能だし、とてつもなく勇気が有るってことなんだよ」 濃野の草闘牛のデビューもビクトルと一緒だった。基本技を身につけていない濃野はポルタ・ガジョーラと言う大技一発にかける。門の前でカポテを大きく広げ両膝をついて牛を待ち、一瞬の判断でカポテを振って牛をやり過ごす技だ。あくまで優雅にゆったりとした動きで。最初にやるはずだったビクトルは躊躇する草闘牛でそこまでのリスクは取れないと。一方の濃野はそれでもやり成功させた。闘牛修行わずか4ヶ月目であった。 正式な闘牛士になるためにはヴィザが必要だが何度申請しても却下される。そこを助けてくれたのだ下宿の主ホアキンで伝手を頼ってヴィザ免除申請と言う方法を見つけ出す。金のない移民がとっている方法だ。1999年濃野はプロ闘牛士免許を手に入れた。ようやくスタート地点に立ったのだ。10月第二回ウエルバ闘牛士学校主催の試合に成績上位10名の内一人として抜擢されたのが濃野のデビュー戦だった。しかし、その3日前に借金をして練習用の牡牛を買った濃野はハプニングに見舞われる。満2才とは言え400Kgある牛対峙し始めての仕留めを試す濃野の剣は牛の勢いに負け右肩を脱臼しはねとばされ病院送りにされた。通常の医者は半年のリハビリが必要と言うが闘牛士専用の医師は鎮痛剤を打てば出場は可能だと言う。既に変わりの闘牛士を捜し始めた主催者を説得したのはホアキンの妻ドロレス、勝ち気と押しの強さで評判のアンダルシアの中年女性が押し勝った。 出番が来た濃野はまた扉の前に向かう。ポルタ・ガジョーラだ。濃野は負傷した右手でやってのけた。技術的には褒められたものではなかったかもしれないがこの日一番観客を湧かしたと自負できるものであり、メディアからの賞賛も受けた。しかし、その後3年間濃野が試合に出ることはなかった。 闘牛士の世界は基本足の引っ張りあいだ。稼げる闘牛士はごく一部でほとんどのものは試合に出るために手配師に金を払う。見込みのないものは食い物にされ使い捨てにされる。またノビジェロ・コン・ピカドールに上がったら上がったで銛り士と言われる助手を雇ったりとやはり金がかかる。自分が練習するためには他人には嘘の情報を流し、練習牛は横取りをする。夜中の牧場に忍び込み勝手に練習したりもする。見つかれば袋だたきだ。ビクトルはノビジェロ・コン・ピカドールの資格試験を前に練習の邪魔をされ昇格に失敗し闘牛士に見切りを付けた。 濃野は資金繰りに行き詰まり帰国を繰り返したりで、じり貧になっていた。そんな時に起死回生を目指してかけに出る。飛び入りだ。ちゃんと準備をしない飛び入りは怪我のリスクも高く、上手く行ったとしても闘牛士免許の剥奪や国外退去もあり得る。2002年9月5日のラ・セルメ闘牛場の百周年記念闘牛で3人目の闘牛士が対する6頭目、最後の牛が狙い目だった。最初の演技者が登場し開始10分1頭目の牛の様子がおかしい。脚の故障で囲い場に戻されようとしている。ここだ、濃野は躊躇なく跳んだ。牛の前に立った濃野は両膝をついて牛を待つ。一発目、左に角による攻撃は見事にムレタを駆け抜けた。二発目、両膝立ちのまま向きを変え待ち受けると今度は右の角の攻撃はムレタではなく体を狙ってくる。濃野は危機一髪立ち上がり窮地を脱する。反応しなくなった牛を置いて競技場を出る濃野は正面の観客に向かって「ポル・ウエルバ(ウエルバのために)」と叫ぶ。一層の喝采が巻き起こった。 今では日本人として初めてノビジェロ・コン・ピカドールの資格を持つ濃野だが闘牛士としての成功はまだまだ先だ。結婚しウエルバで奥さんと日本食のテイクアウトを始めながら徐々に試合をこなしていっている。(ちなみに結婚式は和服で人力車に引かれ闘牛場まで行進している動画が見られる) 濃野の物語は闘志や度胸と言うよりこの本で何度も使われているドス・コホネス(ど根性)が似合う。夢は叶うと信じていると言うのでもない。くじけそうになり、あきらめかけそれでも何とか前進を続ける理性を超えた濃野の突き抜けっぷりがすごい。
『闘牛士になりたい』という、途方もない夢を叶えてしまったトンデモない日本人の自伝。読んでいる途中、著者のあまりの行動力に違和感のようなものを感じた。しかし読み進めるにつれ、それは決して異質なものではなく、著者の夢に対する想いの強さの現れである、と思うようになった。とにかく夢を強く強く強~く意識する事...続きを読むが、未知の行動力を引き出す唯一の方法であると、著者は身をもって証明している。
たまたま聴いていたラジオの番組に、この本の著者、濃野平さんが出演されていたのをきっかけに購入。 「諦めないということは、どこまでも自分を信じ続けるということだ。」 本の帯に記されているこの言葉は、自己啓発本などで散々使われていそうな言葉ではありますが、いくつもの挫折を味わいながらも自分を信じ続け40...続きを読む歳を超えた今も日本人初のマタドール・デ・トロス(最高峰の闘牛士)を目指し努力を続ける著者が語ると果然説得力を増します。 年齢を重ねると、自分自身の夢や目標が見えにくくなる。でも、どんなに年齢を重ねても、大人になっても、夢は追いかけ、つかみ取るもの。諦めて、忘れるものではないんだなと気づかせてくれる一冊です。
何かに懸けている人の清々しさ。 無鉄砲で向こうみず、というか無茶なのだけど、グイグイと引き込まれる。
日本人闘牛士の挑戦を描いたノンフィクション。必ずしもサクセスストーリーではなく現在進行形。日本人がスペインで闘牛士になるというのは、スペイン人が日本で歌舞伎役者になるようなもので、途方も無い挑戦。保守的かつ競争の激しい世界で、しかも外国人。時には夜の牧場に忍び込んだり、掟破りの飛び入りを試みたり、病...続きを読むに倒れたり、目標を見失ったり。しかし最後まで目標をあきらめない姿勢は起業家に通じるものがある。若干自己陶酔を感じさせる文章ではあるがそれでなくてはやっていけないのだろう。日本人の挑戦の物語としても面白い。ものすごい情熱、そしてドス・コホネス!(ど根性!)
成功者の成功譚ではない 成功するかもしれないけど マタドールに挑戦しようとした日本人というだけで 終わるかもしれない でもこの本にはまさにすごい情熱を感じた マタドールになるには金が必要だ そのためにこの本を書いた 最後にそんな記載がある なんと現在進行の挑戦だろう 成功譚でなく夢のために金がいる...続きを読むから本を書く とても貪欲だし成功譚を読まされるより とても気持ちいい スペインに渡るまで 逡巡があったというのも とてもうれしくなった 高齢(いまの僕ほどではないが)での挑戦も 背中を押されるようだ
【私はこの動物を殺す。剣の一撃によってだ。食べるためではない。毛皮を剥ぐためでもない。この大きな角を持った猛獣を、大勢の観客の前でただ殺すのだ。】 この序文だけで、やられる。 現役日本人スペイン闘牛士の本。 大きな意外性は無いが、著者のその情熱。そして栄光と挫折には、胸を熱くさせられる。 夢を諦めず...続きを読む、我が道を進む。そんな生き方が賞賛される傾向がある現在。 著者は、まさにそんな人生を歩んでいる。しかし、それが甘いものではないということ、美辞麗句を並べ立ててもむざむざと見せつけられる現実を余すところなく書いてくれる。 この本は、夢を諦めない大切さではなく、その大変さがメインとなっている。 その辺が共感しやすい。
一人の男が闘牛士になるためにスペインへ渡る―― 濃野さんの生き方に感銘を受けた。スペイン語は満足に話せない(渡西1週間前に勉強を始めたというから驚きだ)、知人はいない、金もない、など困難な状況にも関わらず、自らの夢に向かって突き進む姿がかっこいいと思った。 ただ、それと同時に闘牛士界の厳しさも知...続きを読むることができた。まず、コネがないことが非常に不利だということ。もちろん、そうゆうコネがなくても最高位のマタドール・デ・トロスになった人もいるけども、やはり父が闘牛士だったとか、あるいは闘牛牧場を経営してるなどの環境にいる人のほうが上に行くには有利だということ。 上に行くには試合をこなさなければならない。試合のためには練習が必要だ。しかし、著者のような外国から来た素人同然の人にとって、闘牛と一緒に練習するということは非常に難しいことなのだ。一応方法は二通りある。一つは「テスト」についていくこと。闘牛牧場では、闘牛を試合に出すに値するかどうかをチェックするために、力のある闘牛士に実戦させる機会を設けているのだそうだ。それについていく(運よく誘われればだが)。それで、先輩方が終わった後で下っ端が練習させてもらえるわけです。ただ、闘牛というのは、十数分もすると慣れちゃって、カポテ(マントっぽいやつ)ではなく人間に向かって突進してくるのだそうです。だから、先輩の後にやる後輩は難易度があがるし、危険度も増します。でも、数少ない実戦経験だから四の五の言ってられないということ。 もう一つは牛を買うこと。そうすれば、自由に練習できるからです。ただ、これはリスキーなんだとか。というのも、牧場の主が必ずしも良質な牛を売ってくれるとは限らないからです。酷い場合は、雑種の牛を平気で売ることもあるのだとか。 正式にはこの二つです。ただ、おもしろいのが「月夜」とよばれる練習方法があります。これは、牧場に忍び込んで、月明かりの下、闘牛の練習をするというものです。好き放題練習できるため、実戦経験の少ない闘牛士たちにとってムフフな状況です。しかし、牧場の管理人に見つかると大変なことになるため、この行為は素人目から見ても非常にリスキーだと思うのですが、著者によれば、この「月夜の闘牛」は今もなお闘牛士志願者によってなされているらしい。 闘牛士界はピラミッド型になっていて、下っ端の闘牛士(あるいは志願者)がこのようなリスキーな行為を犯している一方で、上にいる闘牛士が甘い蜜を吸っている状況なのだそうだ。僕はその構図に怒りを覚えるわけではないけれども、やはりこうゆう場合は弱者に同情してしまうもので、チャンスを平等に与えてあげればいいのにとは思ってしまう。 努力すれば夢は叶う、なんてことは絶対とは言えない。ちょっと残酷だけれども。運も必要だ。お金だって必要かもしれない。著者は(本書でも述べているが)人との出会いに恵まれていた。外国で言葉もわからない、金もない。どうなるんだろうと思ってたけど、意外となんとかなるもんだなと思ってしまった。どこにだって人はいる。人がいればなんとかなる。楽観的だろうか。「外国に行って何かやりたい!」そう思ってる方は少なくないはず。「言葉が...」とか「お金が...」とか言ってないで、行ってみようか。ただし、断固たる決意と信念を忘れるな。それでも心配なら、この本持ってけば?これは言い過ぎだろうか。アツいのが好きな僕にはたまらない一冊であった。
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情熱の階段 日本人闘牛士、たった一人の挑戦
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