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歌舞伎の女たちを鋭く楽しく読み解く一冊 忠義のために我が子を差し出す女、初めての男が忘れられず、姫から遊女に身を落とす女、嫉妬する女、罪な女、だめんず好きの女…歌舞伎に登場する女性たちには時を越えた共感と驚きがある。今昔の女性を見続けてきた著者の“目からウロコ”の分析が冴え渡り、歌舞伎が身近に感じられる楽しい一冊。市村萬次郎氏との対談を特別収録。
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Posted by ブクログ
最近歌舞伎に興味が出てきて、よく見に行くようになったので、手に取った。この本をガイドにして、どんどん見て行きたい。
女を観る歌舞伎。女形って歌舞伎の超特徴的な一面ですが、やはり時代背景もあってか、お芝居のなかで大活躍するのは立役(男役)であることが多い。女暫とか、女団七とか、あえて「女」を主役にしている演目もあるが、逆に何も言わなければ主人公はだいたい男性。私もどちらかというと立役の魅力を重視して見てしまう。そん...続きを読むな歌舞伎のいくつかの演目を、「性愛以外においては女にしか興味が持てない」というくらい女観察が好きな酒井さんが、女性の振る舞い、生きざまに焦点を絞って解説。複雑な時代物のあらすじも華麗にすっとばして、ただひたすらに女。 すごく雑にいうと、歌舞伎の中の女性はだいたい不幸、しかも自ら不幸な(、と私たちには思える)選択をすることさえあります。現代の人権意識ではあまりに理解不能すぎて、「そういうものなんだ…」とわかったようなわからんような感じで呑み込んで観てしまいがちですが、酒井さん、そこは同じ女同士と斬り込んで、私たちにも通ずるようにタイプ分けしていきます。「罪な女」「リードする女」「だめんず好きな女」等々。 これですっきり昔の女の気持ちがわかった!とまではいきませんが(そこまで封建社会甘くない)、あ~こういう女の人いるいる、こういうことあるある、という理解から歩み寄ることはできそうです。 実はこれが初・酒井順子さんだったがそういう意味ではチョイスを間違えたかも。初めて順子節を味わってみようとしている私からしたら、歌舞伎は題材として強すぎるというか…。せっかくいただいた新鮮な食材もカレーに入れたらカレー味だわな、みたいな。そっちは別のものでリベンジしようと思います。
・まだ読み終はつてゐないのに書き始めた酒井順子「女を観る歌舞伎」(文春文庫)、 かういふ見切り発車本はたまにあるのだが、それでも一応は読んでみるかと最後まで読むことが多い。今回はそれも面倒と書き始めた。読んでない部分は更におもしろいかもしれないが、それはそれ、とりあへずは60頁あたりまで読んだとして...続きを読む書く。本書のおもしろさのポイントは書名にある。つまり、歌舞伎に登場する「女」を見ることから本書はできてゐる。大体、歌舞伎といふもの、その中心には男がゐる。そちらを横に置いて女を見る。するとどうなるか。これがおもしろいのである。いや、それ以前にかういふ一文がある。歌舞伎や文楽でよく眠たくなる「そんな私を眠くさせない芝居とはどんなものかといえば、舞台上の色彩が豊かなものとなるわけで、そこには絶対女性、というか女形が必要なのです。」(11頁)これはよく分かる。あの色彩美あつての歌舞伎である。もちろんキラキラと華やかだけが色彩美ではないと承知はしてゐても、やはりあの色彩豊かな情景が歌舞伎の中心にあると思ふ。踊りだと立役の衣裳もかなりきらびやかなのだが、さうでなくとも女形の衣裳はきれいできらびやかである。赤姫でも頭の簪に始まつて爪先まで、実にきれいである。それだけで見とれてしまふ。赤姫だけではない。揚巻のやうな花魁も、地獄宿の桜姫も美しい。きれいである。さうして、「歌舞伎の『きれい』は、常に不幸と同居している」(同前)といふのである。実際にはきれいでなくとも不幸は同居してゐる。四谷怪談の御亡堀の女非人、あれは武家の女のなれの果てである。しかも殺される。これが不幸でなくて何であらう。しかし、これは本当に目立たない。へたをすればこれが終はつた頃に席に着く観客もゐよう。といふわけで、確かに「きれい」は不幸と同居してゐるのであつた。 ・最初の「嫉妬する女」、まづは妹背山、賤の苧環のお三輪、求女を追つて御殿に侵入して殺される若き女性である。この最終評価、「『あなたのためになるのなら私、死んでも本望よ。でも最後に一目会いたい。』とはド演歌の世界ではありませんか。」(16頁)続けてかうある、「女としては『あわれ』を通り越し て腹立たしい。嫉妬もおちおちしていられないではありませんか。」(同前)私もお三輪を健気だと思つてはゐても、そこから「嫉妬もおちおちしていられな い」などと考へたことはなかつた。続く天網島、小春ではなくおさんである。小春は嫉妬される側である。ここではまづ「私がおさんであったら、さっさと離縁することでしょう。」(17頁)とある。ところが歌舞伎はさうではない。「忠」なのである。あくまで夫に尽くす。これを「ここまでくると『この時代の女性には、嫉妬の自由もなかったのか』と思えてくるのでした。」(20頁)といふわけで、私は、さうか、さう考へるのかと思ひつつ、男と女の思考はかくも違ふ のかと考へてしまふのでした……とはならずに、「反対に考えてみると、男性の作者達は、『こんな女がいたらいいなぁ』という願いを込めて、彼女達を作ったような気もする」(同前)とあるのを、ごく公式的に、そんな時代だから、言はば「忠義」に生きるといふ時代の要請を、歌舞伎の作者も登場人物も生きてゐたのだと思つてみたりする。かういふのが筆者の忌み嫌ふ男の思考なのであらうとは思ふものの、おもしろいからといつても素直に筆者に共感できないところがあ るとも思ふ。これは男と女といふより、「私だつたら」と書いて思考を進める作者に対する考への違ひであらう。それでも本書はおもしろい。いや、それだからこそおもしろいのかもしれない。
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女を観る歌舞伎
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