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1945年9月2日、日本降伏。1948年11月12日、東京裁判結審。全てをみてきたインド代表判事の綴る、マッカーサーも恐れた“真実の意見書”。「博識な同僚判事たちによる判決および判定に同意できないことを、本官は心から遺憾に思う。本件裁判の持つ重要性、ならびに、本件裁判に関連している法と事実関係への疑問に鑑み、本裁判所の判定に対して生じたさまざまな疑問に対する本官の見解を示すことは本官の義務であると考える次第である。」――――ラダビノード・パール
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Posted by ブクログ
英はアヘン戦争やインド侵略に対する謝罪もしないまま他国を非難できない。米は原爆や都市空襲、民間人の無差別殺戮への謝罪もないまま他国を非難できない。▼米政府が日本に送った通牒と同じものを受け取った場合、モナコ王国・ルクセンブルク大公国のような国でさえも、米に対して武器をとって立ち上がっただろう。『パー...続きを読むル判決書』 ※占領軍により日本での発表禁止 ※インド人 *************************** ハリー・ホワイト。ソ連のスパイ。F・ルーズヴェルト(民主党)政権の財務次官。国務省の高官アルジャー・ヒス(ソ連のスパイ)とともに日本への最後通牒(ハル・ノート)を作成。当時、ソ連は独の進軍によりモスクワ陥落寸前。日米戦争が始まれば、日本にソ連を攻撃する余力はなくなり、米は独と戦うソ連に援助を開始する。ハル・ノートは日本を日米開戦に踏み切らせる最後の切り札だった。
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