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圧倒的な優位にたつ西洋文明を向うにまわし漱石は「自己本位」の立場を同時代のだれにもまして痛切に生きた。血のにじむようなその苦闘の跡を示す「現代日本の開化」「私の個人主義」など五篇の講演記録を中心に、かれの最も奥深いところから響いてくる肉声というべき日記・断片・書簡を抄録した。『漱石文芸論集』と対をなす。
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Posted by ブクログ
同期から誕生日プレゼントとしていただいた作品。 文学好きで知らない人はいない評論の名著との紹介を受けた。 こんな粋なセンスを持った人と当たり前のように繋がれる今の自分の環境には本当に感謝したい。 現代日本の開花、私の個人主義、模倣と独立の3つだけ読んだが、本当に笑っちゃうくらいの洞察力に基づいた説得...続きを読む的な内容。 他者の個性を尊重して自己本位に生きる、自己の標準に沿って模倣でなく独立を重んじて生きる、これからの生きる指針にしたい。
いやーこの人すごいね。現代の種々の問題を当時すでに。将来日本を動かすような高校生大学生に読んでほしい。
自分は、まだ会社に1人一台パソコンがなかった頃に就職した。その内パソコンが当然に与えられ、Excelの使い方を覚え、海外含む顧客とのやりとりがメールになり、様々な業務はあっという間にインターネットを前提とするものになった。 仕事は楽になったか?感覚的には寧ろ逆だった。加速度をつけて仕事は増え、余裕...続きを読むはどんどんなくなる。おかしくねえかと思いながら考える暇もなく渦に巻き込まれた。 で、これは内発的か?というとやっぱり違う。海の向こうからやってきた技術に否応もなく(あるいは積極的に)「俄然外部の圧力で飛び付かなければならなくなった」訳で、スマホいじってパソコンの前で青息吐息で仕事にとりかかるたび「皮相上滑りの開化」と言う言葉がぴったりのような気がしてしまう。でも、事実やむを得ない。致し方ない。目を瞑って、この消極的開化の末路を、涙を呑んで上滑りに滑っていかなければならない。 彼の言葉は開国後の日本人にむけたモノだったけれど、110年後の今、どこに届くだろう。 国を飛び越え、たくさんの人に届くんじゃないだろうか。上滑りに滑ってく、世界中の人間 それは、漱石自身も、多分思いもよらないものだと思う。 ... 「社会的状況を形造る貴方方の心理状態、それにピタリと合うような、無理の最も少ない型でなければならない」(中身と形式)という言葉から、同性婚や入管法のニュースを思い出す 「この世に存在する以上どう藻搔いても道徳を離れて倫理界の外に超然と生息する訳には行かない」(文芸と道徳)という言葉からネット論客と呼ばれる人たちの極端な言説を思い出す 言葉のひとつひとつ、本当に100年以上前の言葉なんだろうか?と思うほど膝を打つ表現が多くて、結局文庫にめっちゃくちゃ折り目をつけてしまった ... 文庫本の最後は久米正雄と芥川龍之介宛の書簡だ。大正4年、死の前年に、20代の若い作家に綴った言葉が、中年の自分には妙に心に残った。 「勉強をしますか。何か書きますか。君方は新時代の作家になるつもりでしょう。僕もそのつもりであなた方の将来を見ています。どうぞ偉くなって下さい。しかしむやみにあせっては不可ません。ただ牛のように図々しく進んで行くのが大事です」 「私はこんな長い手紙をただ書くのです。永い日が何時までもつづいていてどうしても日が暮れないという証拠に書くのです。そういう心持の中に入っている自分を君らに紹介するために書くのです。それからそういう心持でいる事を自分で味って見るために書くのです。日は長いのです。四方は蝉の声で埋まっています。以上」 繊細で神経質で、様々な事に悩み囚われとても図々しくとはいかなかったように見える夏目漱石からの手紙。蝉の音が本当に聞こえるような、目の前に心情が浮かぶような言葉で締めくくられていた。
漱石が近代人として評価されていることの真の意味を知った。学習院での講演「私の個人主義」では、小説だけでは見えにくい漱石の思想の遍歴が披露される。 明治期、様々な外来思想が輸入され社会が大きく変わる時代のなかで、戸惑いのなかに生きる漱石が啓示のように感じたであろう自己本位の思想。先進的な社会であろうと...続きを読むも後進的な社会であろうとも、外部の環境に影響されない自己本位の思想。自己が価値判断の基準となること、そのためには自分勝手という意味ではない真性の個人主義が必要となること。そんな漱石にとっての切実な悩みと回答が学生の前で力説されている。 絶対的な身分社会の江戸期には生じない思想であろうし、輸入品としての西洋思想こそ正しいとされた文明開化期の思想でもない。社会漱石の語る近代性は、きっと大正デモクラシーの下地になっている。
今春高校生になる娘への課題で出たので読んでみた。 「私の個人主義」は、これから様々なことを学び リーダーシップをとっていく人たちにとって 大切なことが解りやすく書かれているので 高校生にぜひ読んでもらいたい。
夏目漱石は森鴎外と同様に、西洋文明を丸々コピーすることには反対していた知識人であった。今や、西洋的考えを否定することはできなくなってしまった。それほど、日本の中に多くの西洋物が存在する。厳密に言えば、日本は、純日本的なものと中国・朝鮮などの東洋諸国の文化が日本式になったいわばハーフの文化が存在して...続きを読むいた中に、明治になって外科手術的に西洋文明を上書きしてしまったと言える。 今まではそうやって外のものを自分たちの良いように上手く吸収して日本になじませる(言わば、守・破・離のような)形式で、中国や朝鮮などの文化を自分たちのものとしてきた。しかし、西洋文明は今、十分に消化されているのか?そもそも、西洋的な考えは東洋とは相容れない部分が多い。例えば、排中律や二項対立。これらは仏教的な考えには存在することが難しい概念である。排中律でどうやって生=死を証明しろ、というのか。 西洋がダメで、東洋が素晴らしい、という議論をしたいのではない。それでは、Binarismにおける第1項と第2項との立場が入れ替わっただけでしかない(「美が望まれるべきで、醜は避けられるべき」が、「醜が望まれるべきで、美は避けられるべき」に変わったところで、根本的なBinarismの構造は変わらない。Parallaxでしかない)。 今は、そこの所を再考するべきなのかもしれない。西洋がどうだ、とか東洋がどうではなく、日本にとって、どう西洋・東洋を吸収すればいいのか?を考えるべきなのではないか。 だから巷に出ている、勝間和代のような西洋に傾きすぎた人間は、ちょっと危険だと思う。そして、自分の親が子どもだった頃やもっと前の頃(「古き良き日本」とでも呼べばいいのか?)の考え(伝統?)を日常的に触れるのが難しいのはさらに怖い、ように思う。 抽象的であまり現実味がないが、こんなことを考えさせるような本だった。
中学校の読書感想文のテーマに「ぼっちゃん」が指定されて以来、小説家としての夏目漱石って嫌いでたまらないのですが、やっぱり近代日本を代表するインテリであることには間違いありません。 そのことを確信してしまった本がこれ。
「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「こころ」 どれもこれも夏目漱石の代表作であるけれど、 まったくぴんとこない。 「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。 情(じょう)に棹(さお)させば流される。 意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。 とかくに人の世は住みにくい。」 この文をよんですこ...続きを読むし漱石がすきになる。 「私の個人主義」 「現代日本の開化」 講演を文章化したものを読んで、漱石の良さがはじめてわかった。
夏目漱石の公演記録、日記、書簡などをまとめた本。教師をしていた漱石が当時の教え子達に向けて書いた「愚見数則」は学生のうちに一度は読んでおきたい。甘えた人生観に鞭をいれられるようです。月に一度は読み返したくなります。
この本に収録されている講演って、本当は漱石のべらんめえ口調で語られたのでしょうね。 録音機材が当時に有ればなあ。
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