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ふるさとに帰ってみると、おかんが「老いて」いた――。母の老い、本当の「ワタシ」、仕事の選択。心揺さぶられる大人のアイデンティティ問題を取り上げた「ほぼ日」連載の大反響コラム集。
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Posted by ブクログ
「親の老い」「本当のワタシ」「仕事の選択」の3部構成でズーニーさんの経験から生まれた問いに対して読者が意見(メール)するという内容。ほぼ日の連載をまとめた本のようです。 本の中で「ほぼ日刊イトイ新聞の読者の質は、ネットの奇跡と言えるほど高い」とズーニーさんが言うように、 読者から寄せられた文章の上...続きを読む手さにとても驚かされました。 そしてその心のこもった文章、ひとつひとつに心を打たれました。 これこそがズーニーさんの伝えたい「あなたには書く力がある」ということなんだろうな。 私もこんな風に誰かの心に届くような文章を書いてみたい、と思いました。
“自分を生きている”“ズタボロになりながら日常を戦っている”ズーニーさんに励まされ、勇気をもらえる本。 定期的に自転車のタイヤに空気を入れるように、 読み返して、自分に空気を送り込みたい。
親の老いを受け止めることの難しさと大切さを書いています。 やり方は人それぞれに違うけれど、自分にとっての正解に近づくために有効な本です。
親子だからこそ、許せなかったり認められなかったり。でもそれは自然なことで、救われる人がたくさんいると思う。 子どもでもあり、また親でもある私。 親の老いも自分の老いも、感じることが多々あり、仕事のこと、ありのままの自分、心に響くものがたくさんありました。
親の老いを知り、青春の終わりを感じる。 護られる方から護る方に移るとき、次のステージに行くのかな。 そして護るべきものが巣立って、また自分が護られる方になって。 今まで見てみぬフリをしていた人生の次のステージに、腰を据えてぶつかろうと思える本だった。 読者のメールも本文に負けず劣らず考えさせられる...続きを読む。 「おかんの昼ごはん」が強烈だっただけに、後半のトピックスはちと印象が弱いかな。 でも、「ありのまま」とは、とか、「仕事の選択」とか、生きる上での普遍的なテーマも興味深い。
―――あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように、私の人生の終わりに少しだけ付き添ってほしい(樋口了一/手紙)――― 他人に許せることが、なぜ身内だと許せないのか。 何度も同じ話をすることが許せなかったり、自分と同じことができない親を否定的に思ってしまう。 たとえば、パソコンやDVDの操...続きを読む作ひとつとっても、私が調べることと、親が調べて実行に移すことの大変さは全然違う。 親が老いていくことを、子どもである私には許容できない。 期待している。 いつまでも、親が親でいてくれることに。 親が老いるということを「肯定」するという考え方を、初めて、した。 そんなこと思っていいんだ!? 私だけじゃないんだ! 新鮮な驚きがたくさんあった。 自分でも抑えられないくらい爆発力のある怒りを、そのまま放出してしまう相手は、私にとって、母親だけだ。 そして恐ろしいくらいの後悔と罪悪感でお風呂場でしくしく泣いたことが何度もある。 この感情の源を、私は自分が少しおかしいからだと思っていた。 ヒステリーの最上級のとっても醜い、恥ずかしい、感情。 でも、私だけじゃなかった。 それは、すごく自分にとって救われることだった。 この本には、救いが書いてある。 親が老いて、いままでできていたことができなくなってしまうのは、とても悲しいことだけれど、至極当然のことだ。 人は、不老不死ではないから、ずっと若くはいられないし、ずっと生きてはいられない。もちろん、今の私は親を亡くすことをこれっぽちも許容できないし考えたくないけれど、いずれは、くる。 人をこの世に送り出すことが母親の役目であれば、この世から送り出すことは子どもの役目。 来たるべき日のために、すこしだけ、先走って涙がでた。 本書は、ズーニーさんが提示したコラムに対して 「私はこう思った」 「いま、私はこういう状態です」 と、読者のみんながとってもわかりやすく体験談を交えて発言しあっている。 質の高いしゃべり場だなあと感心しきりだった。 私たちの人生は、「青い春」があり、「朱い夏」に変わっていく。 あこがれや、外の世界を見ていた時期を経て、外を見ている場合じゃないと、内っかわに目を向けるようになっていく。 それは、親が元気な時に蓄えた財産だ。 親が元気な時に伸ばした「分母」のなかで、いざというときに選べる「分子」が決まる。 これは新発見でした。 なんと素晴らしい見解だろう。 せいいっぱい、目の前の現実を生きれば生きるほど、じぶんの選択の幅は広がる。 わかっていたようでわかっていなかった。 それもこれもぜんぶ、親が元気でいてくれるからできること。 私の親も、ことしで還暦をむかえます。 腹の立つこともあるけれど、だいじにしたい。 老人ホームに預けっぱなしのおばあちゃんにも会いに行こう。
大いに揺さぶられる本。 義務教育が終わっても 一人暮らしを始めても 初任給をもらっても 独り立ちしたという気分がなかった わたしは親に甘えていたんだなと思う 祖母が老いて、 お見舞いに何度となく行くようになり、 親とも家族とは少し離れた視点で話すようになった これまで気づくことの出来なかった...続きを読む、 素直に受け取れていなかった、親からの愛情を しっかり受け止めてかみしめる時間となった これまで、何かになりたい、なりたい、と願いながら いつも半歩先を小走りで駆けていたわたし 過去を脱ぎ捨てて、足跡をつけることにやっきになって、そうすれば自分自身のことをいつか好きになれると思っていた でも、いつも「いつか」に先送りしていたのは私だった それは、私を幸せにしてくれていたのかな? わたしにとってのありのままは、 「したいことを、したいときに、する。」 こと。 後ろめたく思ったり恥ずかしく思ったりしなくてもいい。だって、どんな選択肢でもわたしが決めたことだから。どちらが偉いとか優れているとかはないのだから。今はそう思えるようになった。
医療と福祉と教育 この違いは何か?考えさせられますね。 病気を治す。マイナスをゼロにするのが医療。 そのままの状態で快適に過ごせるようにするのが福祉。 より先に一歩進めようとするのが教育。 ありのままの君が好き なんて言ってるだけでは駄目なのかな。
前半、「親の老いに向き合う」これに悩んでいる人が他にもいることが分かって少し心強くなった。後半は他の著書でも語られている「教育」の話。
ほぼ日イトイ新聞、おとなの小論文教室2011〜2012から3テーマ。死と老いを受け入れ、春の終わりを知ること。多様なキャラクターがあつまった組織のような自分。医療、福祉、教育の仕事の持ち場。 久しぶりのズーニーさん。相変わらずすごいし、ますます成長してる。読者メールも、世の中を支えているまっとうな...続きを読む人たちだと思いました。
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おかんの昼ごはん 親の老いと、本当のワタシと、仕事の選択
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