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居場所を見失い、路地裏に迷い込んだ少年。そこには、見た事のない世界が広がっていた。不思議な住民達に誘われるように、奥へ奥へと進む少年…その先で彼を誘惑するのは? 月刊IKKI新人賞・イキマンから、鳥や蝶、昆虫、植物などを緻密なタッチで描きつつ、叙情的な物語を紡いでゆく新たな才能が登場。イキマン受賞作や同人誌掲載作品、未発表作品を一挙収録した、著者初の作品集。『土星マンション』の岩岡ヒサエ氏推薦!
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Posted by ブクログ
絵が好き〜 ただマーカーで、「菜月様へ」の文字と作者さんのサインが書かれていて、これ古本屋で買ったけどいいのかな...?って思いました。
絵も不思議な雰囲気のストーリーも本当に大好きです。この作品に出会って、ムライさんのファンになりました!
完全なるジャケ買い。そして正解。 凄く細かく丁寧に描いてはるなあ~。 なのでたくさんは描かれへんでしょうけど、これからも素敵な作品を描き続けて欲しいです。 児童書の挿絵などにも合いそう。
表紙買いしてよかった。絵も世界観も発想も素敵。独創的ですごく引き込まれる。アラームと乳草と霧の中のアパートメントが大好きです。アラームはすごく深い話だと思った。ムライさんについては知らなかったので、また他の漫画も買ってみたいです。
これは、すごくおもしろい!すごく好きです。絵も話も。 独特な奇妙なかわいい不気味なキレイなおもしろい絵とキャラクターで、それだけでポストカードにしても、おしゃれな感じです。 星新一のような童話みたいな短編集です。すごく独特な世界だけど、親しみがもてる、おもしろい感じです。 また、この人の短編集...続きを読むとかでたら買いますね。すごく気に入りました!
ムライさんの作品『路地裏第一区(2012)』を読んでみた。 とても独特な世界観で楽しめた。”虫”や”鳥”のことを知りたくなった作品とも言える。 お気に入りは・・・”みそら”と”孤蝶の狐”と”トリコの学校”がGood!!
子供の頃の夢って表した感想見てすっきりした。一番分かりやすくエンタメしていた『霧の中のアパートメント』がお気にいり。生物と機械、動物と植物を組み合わせたキャラクター造形とカケアミの妙が光る寓話たち。
グロテスクできれいで、ちょっと怖くてファニー。独特のタッチ描かれた世界が面白かった。作品集のせいか、作品毎にばらつきを感じたので★3つ
ものすごい引力とクセのある作品だった。 初の作品集とは思えない完成度の高さ。おそろしくなった。 ストーリーもおもしろかったし、すごい。 漫画としての静かな迫力があった。 ……という中で★3なのは、 単純に絵が私の趣味でなかったから。表紙はものすごく好きだったのだけれど。 しかし、ジャケ買いしたのは...続きを読む正解だった!
この世界観は好きかな。 虫とか鳥がたくさん出てくるところがいい。 (追記) 昨日夢見に考えたことを記しておこうと思う。 私は、同じ事を何度も繰り返し考えていた…という夢を見た。 その考えていたこと。 以前付き合っていた外国人の人に、新しい日本人の彼女ができ、彼女と私の違いを...続きを読む考えるに当たって、「国際性を身に着けているか否か」ではないか、と言われ、必死でNO!といっている自分が、繰り返しその違いを訴えていた、というわけのわからん夢なんだが。 (元彼に彼女ができたかどうかなんて知る由もないし、たとえいたところで、どうでもいい話なんだが、なんでこんな夢をみたんだか全然わからない。ので、その夢について考えてみる) 日本人は、多くを単一の民族が占めるので、集団で生活するときに、「違い」を見出そうとする。 一方、アメリカとかカナダとか様々な民族がいる中で、集団で生活をするということは、根本が違うのだから、「同じ部分」を見出そうとするほかない。 だから、日本人として、日本人が生活する中で、我々の多くは「差異」に目を向ける。「人と違うこと」や、「変わっている」ということを、多くが否定的に捉える。私の話で言えば、「お前さんは変わり者だ。」「人と考えていることが違う」と、様々な人に言われて育ってきて、個人的にはその「違う」ということが、いったい何が違っているのか、なんにも分からずに、「違う」ことをそのままに、ただ主張せずにいることを生きる術として育ってきた。だから、滞り無く生きていくために、「社交辞令」が大切になる。心からそう思っていなくても、うまくやっていくために必要な言葉というものが出てくる。「違う」ということに対して、それをなきものにしようとする諦観が、その根底には付随している。 一方多民族国家では、違うことが当たり前なので、「共通点」を見つけるために、「認め合う」ことをする。カナダに住んでいて思ったのは、みんな褒めるのがうまい。 私は別に、褒めるのがうまいということを、「日本より素晴らしいことだ。」と言うつもりは毛頭ない。 いや、ほめられることは嬉しいし、認め合えることはたしかに素晴らしいことだけれど、それは、その人の本心かと聞かれたら、わたしは別にそうは思わないからだ。 「(別に自分にとってはどうでもいいことだけど)その人の良さを上げるんならこの部分だね。」という客観的なスタンスが、どこかにある気がするのは…そう感じるのは、私だけだろうか。 つまり、「認め合えるって素晴らしいことよね。」としながらも、結局始めの立場が違うがために、アウトプットの方法が逆転してしまっただけで、とりあえず褒める、認め合う方向でいってるけど、それが心からの賛辞でなく、「認め合わなきゃいけないがための社交辞令的な言葉」である可能性は全くもって否定出来ないことなんじゃないかと、私は思う。 「日本人は社交辞令を言うから、何考えてるかわかんない。」とか言うけれど、結局同じ事なんじゃないかと。 海外の人が日本に来てそう感じるのは、言葉が悪いけど「異質なもの」だから。日本人じゃないから、我々の感覚を共有できない、でも自国の「根本が違う」という価値観をそのまま引き継いでしまう。まぁ仕方のないことなんだけど、でも「日本の社交辞令」どうこうっつうのは、別に「他人のいいことを社交辞令的に言って『認め合ってる』感覚に陥ってる人たち」と何か違いがあるんだろうか。どうせ分かり合えないんだから、いいところを探しておこうという諦観の「認め合い」だと思ってしまう部分があるのは、わたしがあまりにひねくれた発想をしているんだろうか。 何言ってんだかよくわかんなくなってきたぞ。 日本は「国際的基準」だの「グローバルスタンダード」だのを目指そうとしているけれども、そしてそれは別に悪いことじゃないし、どんどんやってください、って思う。 でも、自国を否定して、「差異に怯えることなく、人の良さを認めていく価値観を築いていこうぜ!」って思ったって、なんだろう…自分で何言ってるかよくわかんなくなってきたんだけど、それが国際基準かどうかって言われても、果たしてそれは確かなことなのか、って思ってしまう。 「違いをなきものにして、社交辞令でごまかす」も「諦観のうち違いを認める」も、さして大きな違いではないのではないか、ってことだろうか。 わたしは、「あんたは変わり者だ。」と言われ続けてきた。でも自分はなぜそう言われるのかが、まったくもって分からない。だから、どうせわかってもらえないという諦観の元、「それでもまぁ、人のことは悪く言わんでおこう。どうせ我々は違うのだ」というスタンスで生きてきた気がする。 それは、到底人なんか理解できないし、理解されっこないという考えのもと生きてる。それは、日本であろうが多民族国家であろうが変わりはないっていうかね。 だから、なんだろうかね。 日本人的な考え方も、多民族的な考え方も、さして違いないように思える、っていうことは「日本的考え方」も「多民族的認め合い」も、区別する時点で「日本的」というか。「グローバル基準にしてこうぜ」っていう時点で最早「日本」に囚われてる感じがしてしまい、ひどく滑稽に思えてくる感じがするというか。 よくわからなくなってしまったけど、 そんなことを必死で訴える、自分の夢を見ました。
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