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主人公はすべて女性。キリリと生きる魅力溢れる女性たち、そしてその傍らには男性。ふとした出会いや記憶から、紡ぎ出される物語。すべて書き下ろしの短編全7編収録。
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Posted by ブクログ
作家:片岡義男の好きな女性像が想像できる短編集。 各短編にひとりずつの女性がモチーフとなっている。 どの女性も自立していて、長身で、美しい清楚な人を想像させる。 その女性を引き立てるのが、必ずそばにいる男性である。物語は主に、主人公らしい女性と引き立て役の男性で構成されているのだが、ふたりの会話が気...続きを読む障だけどすっきりしていて心地いいのだ。 こういうのを雰囲気小説というのだろうか。とりたてて事件が起こる訳ではないけれど、ふたりの間に流れる雰囲気や余韻、女性の魅力をふわっと感じ取れて、都会的なカタルシスがある。
久々の片岡義男ワールド。美しくかっこいい女性が紡ぎ出す物語。 キーワードは、時間、写真、ひとり。 からりとした文体はいつも通り。
片岡義男らしい短編です。特にカメラが出てくるものは、雰囲気がよくて楽しめました。 何かつい手にとってしまいます。
片岡義男の小説に出てくる女性はいつも精神的に独立している。今回の7篇の短編小説もそうだ。そのほとんどが小説家や詩人など、孤独を肯定的にとらえて暮らす都会の女性が主人公だ。かたわらに男性が現れ、よどみのない会話から絵画的なまぶしさのある場面へと続く。 表題作には、平日の夜、偶然同じ電車に乗り合わ...続きを読むせたイラストレーターの女性と翻訳家の男性が登場する。そのひと月ほどまえ、夏の陽ざしの只中で、彼女は220円の誕生日プレゼントを彼に渡した。色違いの水鉄砲を2丁。まずは彼が2丁を手にして彼女を、次に彼女が彼を射ち、そして並んで残りの水の全てを頭上に向けて射った……。この場面を機に、男性は小説の創作を決断する。小説が生まれる過程が惜しげもなく登場人物たちによって明かされる。記憶だけを材料にして創作するという著者の女性への関心が、物語に不思議な明るさをもたらしている。 (「週刊朝日」 2011/9/16 西條博子)
久々の片岡義男の短編。 近著ということで、最近はどんな風かなと思ったが、 いい意味でも悪い意味でも変わらずの作風。 でも、そこがいいなと個人的には思う。 バイク・コーヒー・写真・・・ 安心して読める安定感。
洒落たタイトルである。時間と空間とがねじれた格好でくっついている。いつもながら片岡義男のスタイリストぶりは変わらない。タネを明かせば集中の一篇の題名で、「木曜日」とは、その中に看板だけ登場するバーの名前。表題は初めて訪れた店を再び訪ねるための道順をあらわしている。 もう何冊目になるのだろうか。片岡...続きを読むがこのスタイルで短篇を書きはじめてから。主人公は女性。それもとびきりの容姿の持ち主で、無論独身。職業はフリーランスの写真家であったり、小説家であったりすることが多いが、独りで生きていくための能力を充分すぎるほど身につけている。美貌の持ち主で、その上実力があるから仕事は放っておいても向こうからやってくる。 季節は圧倒的に夏が多い。白い袖なしのブラウスや膝が見える丈のスカートにサンダルやパンプスといった出で立ちが定番。脚の美しい女性が好みのようで、女性美の規準は、この作家の場合脚にあるといっていい。相手役の男が写真家の場合、まずこの脚を撮ろうとする。しかし、そこまでだ。互いに好感を持っていることは知っているのに、再会を約束して話は終わってしまう。余韻たっぷりである。 両親はすでに亡く、実家には兄が一人いる。自分は東京のアパートや借家で独り住まい。男嫌いではないが、目下のところ独りといった立ち位置を好む。つまりは孤独で自由な生活がしたい。調理師免許を持つ腕前で食事は自分で作る。深炒り珈琲とサンドイッチ、鯛焼きが好き。 片岡はあとがきで、フィクションとして自分の対極にあるものとしての女性を主人公にしていると述べている。しかし、虚構なら女性にしても、もっといろいろなタイプの女性が考えられるだろう。虚構というより理想の女性像ではないのか。こんな女がいて、こんな町に住み、こんな生活をしてたら。作家の思いのままに描けるのだから何でもありだ。それが、このシンプルさ。 片岡義男の書く小説には不快なものが登場しない。人通りの絶えた盛り場や忘れ去られたような商店街、どこにでもある歩道橋や私鉄のホームといったありふれた背景に容姿端麗な美女を一人置くだけでストーリーが動き出すのだ。不必要な脇役や話が横道にそれるような夾雑物は徹底的にあらかじめ排除されている。 作家の目に映るのは、作家が見ようとしたものだけ。つまりはお気に入りの商品だけで構成されたセレクトショップのような小説集。あまり現役の日本人作家の小説を読まないので比べようもないが、こんな短編集ってほかでは見たことがないような気がする。 舞台背景と人物名を変えたら、『ニューヨーカー』あたりに連載できそうな匂いがしている。日本の夏から湿気を取り去り、男から汗くささ、女から世間体を気にする不自由さを取っ払ったような、全然日本的でない味わいの短篇小説集である。好きな人にはたまらないが、理解できない人には何の意味もない、嗜好品のような小説集、といったら言い過ぎだろうか。 久しぶりにお気に入りの喫茶店に入ったらいつもの味と香りの珈琲が出てきた。そんな味わいの短編集。
退屈だ。 相変わらず退屈な物語だ。 だから読む。上質な退屈をしてみたいから片岡義男の描く退屈な日常を読む。 日常といっても非日常なんだけれど。話し言葉ひとつとってもそう。あんなしゃべり方する人はいない。 あっ、でも戦場カメラマンの渡部○○さんがいるか。
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