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なぜ、論理的思考が議論の場で使えないか。その理由は、それが対等の人間関係を前提に成立しているからである――対等の人間関係などない実社会で使える詭弁術の数々!
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Posted by ブクログ
アリストテレスの考え方が秀逸 詭弁と言わず、表現の工夫 正にその通り 修辞学者リチャード・ウィーバーの言 言葉に独自のスタイルを待っている人間は内容でなくスタイルで強く印象付けられる
やっぱり猛烈におもしろい。皆この先生のものを1冊は読むべきだよな。6割ぐらい本気だろうし。巡回指導に来てくれたら授業料払って弟子入りしてもいいなあ。
面白かった。詭弁を題材として、論理的思考をレトリックの立場から批判的に検討しようとしている本。詭弁の正当性を論理的に説明していて、思わずなるほどと納得していまう。引用している例え話も面白い。今までにない新しい視点、考え方を身に付けられる。知的快感を味わいたい人向け。
『論より詭弁 反論理的思考のすすめ 』。タイトルが既に挑発的であり、論争的である。しかし内容は、選ばれし者たちの都市国家の広場ではないこの現世において、論理をそらし、外し、俗論に逃げ込む者たちとの「間の取り方」「呼吸法」が解説されている。 著者は、偽悪的な装いを好むようであるが、不快ではない。 ...続きを読む 本書は、思考の錆落としに適している。
淳良さを欠いた著者が、無菌室で純粋培養された非形式論理学の弱点を徹底攻撃する。 論理学の素養がある人は、例示された詭弁が著者によって市民権を与えられるのをどう捉えるのだろうか。それでもより広い視点ではその論法がやはり詭弁であるとして打ち棄てるのか。そのあたりの感覚があればもっと面白く読めそう。 ...続きを読む面白かった点を何点か。 事実と主張の区別は難しい。いかなる客観的な陳述も、それが陳述の対象として選択されている時点で、価値判断であることから逃れることはできない。あるものが「ない」という陳述は果たして常に事実でありうるか。 人に訴える議論が犯す、論点のすり替えという虚偽は日常によく見られる。論理学はアレルギー反応を起こしてそれを糾弾するが、すべての議論で論点を移行させてはいけない道理はない。発話の内容ではなく、発話者がその内容を発話する資格があるのか、そっちを先に決着させたっていい(そういう議論も当然ある) 。 「この章題を見て、中身がないので気を衒った題をつけ、せめて読者の関心を惹こうとしていると勘繰る人がいるかもしれないが、実はそのとおりである」
昨今のメディア(特にインターネット)では「論理的であること」がブームであると感じる。論破力を売りにしている配信者や、科学的に正しいライフハックを喋る配信者などだ。そんな時代だからこそ「論理的であること」を再考する必要がある。確かに科学や学問は論理的に進めていくものだ。しかしそれは日常のコミュニケーシ...続きを読むョンや特定の議論の場で用いると揚げ足どりに終始してしまったり全体が見えなくなってしまったりということが起きる。このような事に気付かせてくれる一冊。
詭弁を知ることで、相手の詭弁に気付くことが可能になるし、それに対処することができる。そういう意味で一読の価値あり。
・「議論においては、責めるよりも守る方がはるかに難しい」(p.174) ・「議論においては、何かを主張した側に、それを論証する責任がまず課せられる(=立証責任)」(p.174) ∴「議論において絶対にやってはならないミスは、相手方に立証責任があるときに、勘違いしてこちらがそれを引き受けてしまうことだ...続きを読む……それは議論の最も強力な武器を放棄し、無防備なまま相手方の攻撃さらされることを意味する」(p.174-5) この「立証責任」というのが、本書全体を通底するテーマである。 ある議論を支配するためには、立証責任を負う相手方の説明に対し、こちらが好きなだけ反論するという方法を取ることが最も有効である。そして、こちら側が立証責任を負わされそうになった場合には、論点を移行して、巧みにそれを相手方に転換させることが必要となる。 こうして、著者は、相手方からの「定義要求」や「お前も同じ」型の議論、「不当予断の問い」に対する対処法を指南する。 議論を吹っ掛けられた際に、その主導権を相手方に奪われないための護身術として、本書は役に立つ。
今論理学を勉強している。だからこそそれに反するような本を読んでみようと(とはい 言ってもたまたまネットで見つけただけなのだが)読んでみたのが本書。 ◼️議論に世の中を変える力などありはしない。もし本当に何かを変えたいのなら、議論などせずに、裏の根回しで数工作でもした方がよほど確実であろう。実際に、...続きを読む本物のリアリストは、皆そうしている。世の中は、結局は数の多い方が勝つのである。 論理的思考力や議論の能力など、所詮は弱者の当てにならない護身術である。 なるほど、ここまで言い切られると爽快だし、事実、その通りだと思う。論理はあくまで純粋に言葉の意味するところだけを問題にする。だが人間社会において、純粋に言葉の意味だけを捉えることなどどれくらいあるのだろうか?山田ズーニーがその著書の中で「自分の意見を主張したいのなら、まず自分の信用力を上げるべき」というような趣旨のことを書いていたが、まさにこの本の内容に当てはまるだろう。 世の中には詭弁が溢れている。というか、詭弁なしではやっていけないのだ。よく考えたら純粋な論理によって人とやり取りをすることなど実際はほぼないと言っていいのかもしれない。この本はその当たり前のことに改めて気付くためのものである。 もちろん、特に文章を書くときなんかには論理の理路整然とした構成方法は役に立つのだろう。だが、論理というものの欠陥、つまり感情を持った人間が構成する現実社会では完璧なものではないというその限界を知っておくことも、論理を使いこなす上でまた重要だと思えるのである。
K西先生! ディベートをやっていたら、論理的思考が万能ではないこと、論理的に考えるべき時、そうでない時も判断できるはず。ただ、帯にあるような、相手の非論理性を非難する輩が目立つってことなんでしょうね。これはディベートをかじらせてしまった弊害でしょうか。
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論より詭弁~反論理的思考のすすめ~
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香西秀信
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