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酒田、雄大な庄内平野の最上川河口に位置する街には、世界に誇れるものがあった。淀川長治や荻昌弘が羨んだという映画館(グリーン・ハウス)。そして開高健や丸谷才一、土門拳が愛したという料理店(ル・ポットフー)。なんとそれらは1人の男――佐藤久一がつくったものだった。酒田大火の火元となった映画館が彼の波乱に富んだ人生を象徴する。(講談社文庫)
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Posted by ブクログ
酒田は「山形の中でまあまあでっかいけど、たぶん普通の地方都市」くらいの認識しかなかったけれど、そのイメージが少し変わった。久一がグリーン・ハウスやル・ポットフーをプロデュースする場面は痛快で面白い。アイデアマンとして久一を尊敬する。才能があっても、最後はやっぱりお金なんやな、と最後は少し寂しかった。
淀川長治が世界一だと羨んだ映画館「グリーンハウス」と、開高健がその味を絶賛したフレンチレストラン「レストラン欅」「ル・ポットフー」を山形の酒田市に作った男がいた。佐藤久一がその男。その佐藤久一の人生に足を止めたのが、著者の岡田芳郎。岡田氏は、電通時代、大阪万博でパビリオンの企画をやった広告マンで、電...続きを読む通を退社した後にライフワークとしてこの本の取材に取り掛かる。岡田氏は、「無理難題プロデュースします」(早瀬圭一著/岩波書店)で伝説の人物と紹介されている小谷正一の直系の広告マン。佐藤は、1997年1月に亡くなった。グリーンハウスは火災で焼失したが、レストランは2店現在も営業している。佐藤久一のダイナミックな人生に憧れ、とにかく山形に行って、今もあるフレンチレストラン「楓」「ルポットフー」に行って食事をしたくなった。本を読んだ後に、すぐに山形行きの高速バスを予約した。そして、酒田市のル・ポットフーでランチを食べた。ランチを堪能した後は、佐藤久一が眠っている墓参りに行ったが大雪で、墓石が半分ほど隠れてしまっていて見つけることはできなかった。2014年、2月7日。帰りの高速バスは大雪のため運休になり、新潟経由で東京まで新幹線で乗り継いで帰った。この日、東京は、歴史に残る大雪だった。 (日本ブックツーリズム協会 テリー植田)
山形県酒田市に世界一と呼ばれた映画館『グリーン・ハウス』と日本一と呼ばれたフランス料理店『ル・ポットフー』を創り上げた佐藤久一の人生と言う名の物語がここに開幕。
この1冊との出会いは、わたしにとっておとんを知る、おとんを知ることで自分を知ることとなりました。 うちの両親、実はどちらもルーツは山形県です。 おかんの母、いわゆるおばばは鶴岡の出身だったようだが、おとんはこの本に出てくる「佐藤久一」と同じ酒田の出身。もっと言うと、おとんはもうすこし田舎の出身...続きを読むですが。 いずれにしても酒田の人、しかも同年代。しいて違いを言えば、佐藤久一はいいとこ出身のお金持ち。しかしながら30くらいで北海道へ出てくるまでは、おとんも酒田で生活していたわけで、ちょうど佐藤久一がつくりあげた「世界一の映画館」と称された「グリーンハウス」をリアルタイムで知っているばかりか、そこへ通っていたという。そんな時代があったなんて。それだけでテンションあがったことは言うまでもなく。 この本を読んで、実は聴いたことがない、おとんの若かりし頃を少しばかり垣間見たような、そんでこれがいちばん発見だったのだが、憶測だがなんでおとんは北に向かって来たのかということも。 うちのおとんもおかんも、いいお年の割にはとても洋画好きです。 こうなると、おかんの洋画好きはさておき、おとんの洋画好きも納得。 当時、山形には5館ほど映画館があって、そのうち「グリーンハウス」は洋画専門で、とにかく当時の映画館としては、それが山形という地方にあるのが信じられないくらいすごい映画館だったらしく、今のシネコンなんかめじゃないくらい先駆けだったようです。あの、淀川長治が絶賛したくらいだから、相当でしょう。 そんなグリーンハウスも、これもまた運命というか、何かの「縁」なのか、 わたしが生まれた1年後、1976年の「酒田大火」で焼失し、その後閉館しているとのとこ。しかもこの著書によると、その火元が「グリーンハウス」の漏電によるものとのこと。この時点で佐藤久一は「グリーンハウス」のオーナーではなかったものの、こんな運命のいたずらって。 既に父はこのとき稚内で、そのことをリアルに体験はしていないだろうけど、酒田大火のことはよく知っていました。 そんな火事があったこともさることながら、自分も稚内中央商店街が1夜かけて焼失した「大火」をリアルタイムに知っているだけに、これまた深い「縁」を感じつつ。(街が燃えるって、どんな感じか、これってきっと、経験した人にしかわからないような気がする。) 前後して、佐藤久一という人は、いろいろあってフランス料理を確立していくのですが、このフランス料理に関するくだりを読んでいて、はっとされさられるわけです。 わたしは今まで、父の実家が米農家だということもあって、そこに結びつくことがなかったのですが、酒田はどうやらおいしいお魚にも恵まれるらしく、それを知って「はっ」としました。 おかん曰く「なぜ北海道に渡ってきたか」との問いに「乗る汽車を間違えた」とよく言っていたそうですが、そうじゃないって。 最も、おとんの実姉が先だって稚内へ嫁いでいたという事実も大きいだろうけど、北海道の、しかも当時漁業が全盛期だった稚内へ結果的にたどり着いたのは、きっとそんな背景があったからなのでは、と思うんです。 おとんは佐藤久一がつくったフランス料理店「ル・ポットフー」には、おそらく来店したことはないだろうし、実際佐藤久一も既にこの世を去っており、当時の料理を本人自ら作ったものを食べることは叶わないけど、幸いまだお店はあるらしく、小学校6年生のとき、1度だけおとんと二人だけで酒田を訪れた時以来、私自身も酒田へ久しく足を運んでおらず、もし近いうちにできるなら、酒田を訪れ「ル・ポットフー」で料理を食べるのが、できれば父も、せっかくだから母も一緒に、しゃーないからだんなもついでに(苦笑)、ちょっとした夢になりつつあります。 余談だが、佐藤久一という人の人生だけで言うと、晩年はどういう思いでいたんだろう、女のわたしから見たら、なんとも寂しい人生の幕引きを感じないわけでもなく、心中複雑でしたが、いずれにしても彼の功績はたしかに大きく、父が酒田というきっかけで手にした本でしたが、こんな人いたんだ、と知れてよかった。 そんな父と母の子であるわたしも、やっぱり映画好きで(苦笑) DNAって、間違いない感じ(笑) ああ「グリーンハウス」で観てみたかったなあ。
極端にいえば、酒田に居たとあるボンボンの話。もう少し踏み込んで言えば、「地方文化を維持し育むための手法(昭和版)」。 突き詰めれば「湯水のごとく金を使えば、地方であってもナンバーワンを取れる」という話。映画の話でも、料理の話でも、ましてや経済・経営の話でもない。正直、こんな人が親類にいたら心が安ま...続きを読むらない。 ただ…こういうボンボン的な立場の人が、軽薄な夢と希望を語り行動しなければ地方には文化は残らないのも事実で。田舎の現状を見ていると、「ボンボンが夢を見られた昭和時代は、まだまだ幸せな時代だったのかな?」と思うところがある。 地方のボンボンが夢を見ず、夢と引き替えに立てたテナントビルに入った全国ブランドチェーンはそこそこのところで撤退する。残るのは絶望だけで、だからこそ気持ちよく人は立ち去れる。それが今の現実なのかな?と。 いや…いまでも田舎で夢を見てる人はいるんだろうけど…それを発掘し現金化するのは、炭鉱を掘り当てるより難しいんだろうな、とそんなことを思ったりしてました。 「寂れる地方都市」の現状を、ノスタルジー込みで客観的に見たい、と思う人にはなかなか面白い一冊。
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