母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか

母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか

ビジネス・実用
733円 (税込)

3pt

すべての母娘問題に悩む女性たちに贈る待望の1冊!
娘を過剰な期待で縛る母、彼氏や進路の選択に介入する母…娘は母を恨みつつ、なぜその呪縛から逃れられないのか?本書では、臨床ケース・事件報道・少女まんがなどを素材に、ひきこもり・摂食障害患者らの性差の分析を通して、女性特有の身体感覚や母性の強迫を精神分析的に考察し、母という存在が娘の身体に深く浸透しているがゆえに「母殺し」が困難であることを検証する。「自覚なき支配」への気づきと「自立」の重要性を説き、開かれた関係性に解決への希望を見出す、待望の母娘論。

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母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか のユーザーレビュー

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感情タグBEST3

    Posted by ブクログ

    『妖琦庵夜話 魔女の鳥籠』にて参考文献に挙げられていた本。父母、息子娘の関係の中でなぜ母娘関係のみが特殊なのかを実際の事件、漫画、小説などを紐解きながら考察している。

    引用されていたよしながふみ氏と三浦しをん氏の対談が印象に残った。
    「男の人の抑圧ポイントは「一人前になって女の人を養って家族を養っていけるちゃんとした立派な人になりなさい」という1つのみ。だから男の人たちってみんなで固まって共闘できるんです。男は一つになれるんだけど、女の人が一つになれないっていうのは、一人ひとりがつらい部分っていうのがバラバラで違うんでお互い共感できないところがあると思います。生物学的な差では絶対にない。これは差別されてる側はみな一緒ですよね。アメリカにおいて、全部合わせれば白人より多いはずのマイノリティが文化が違うから一緒になれないのと同じです。」

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    2025年08月02日

    Posted by ブクログ

    読み応えが…!

    タイトルよりももっと深く、女性性と男性性の違いなどのジェンダー論や、なぜ父娘でも母と息子でもなく母娘の関係が特殊なのかといった内容が、かなり惹きつける論調で書かれている

    特筆すべきは、論を組み立てるに当たって、少女漫画を多数引き合いに出していること。漫画だけでなく他にも小説や映画も引用されており、普段文学作品ばかり読んでいる人にもとっつきやすいと思う

    表紙のイラストはなんと、よしながふみで、本文中にもよしながふみ作品について幾度となく触れられている

    これは期待以上の良書でした!!!

    0
    2024年09月13日

    Posted by ブクログ

    親を嫌ってもいい 親子はいがみ合うことがあっても、仲良くあるべき。は、人それぞれで違ってもいいんだなとつくづく思える本

    0
    2025年12月02日

    Posted by ブクログ

    目次
    序章 なぜ「母殺し」は難しいのか
    第1章 母と娘は戦っている
    第2章 母の呪縛の正体をさぐる
    第3章 女性ゆえの困難について
    第4章 身体の共有から意識の共有へ
    終章 関係性の回復のために
    =======================================
    <なぜ「母殺し」は難しいのか>
     母と娘の関係は、家庭内に置いて特殊である。
     同性であるために、心理的に距離が近くなること、そして、母親の支配が、父親の様なわかりやすい形ではなく、相手の同情と共感を逆手に取った、分かりにくい形をとることにも関係ある。
     具体的には、「あなたのためを思って」との大義名分で、自分の幻想に基づいた一方的な奉仕を行い、それを拒むと逆切れしたり、自分が被害者となって、相手に罪悪感を植え付けるといったやりかたをとる(もちろん、悪気はない)。
     さらには身体的な同調を基礎に支配が行われるので、支配から逃れにくい。

    <母子密着と発達過程>
     子どもが発達していく過程で、母親に「よいおっぱい(自分が求めた時に与えてくれる)」と「悪いおっぱい(前者の逆)」という分裂したものを投影する。一方で、自分が怒っているのに「相手が怒っている」と自身の態度を相手に転嫁するものが多い。
     成長するとそれらはそれなりに投影されていくが、母子密着した過程ではこのような子どもかえりが起こりやすい。
     問題のある過程ではおおむね母子密着が起こっている。
     母子密着は娘でも息子でも起こりやすいが現代においておこりやすい「近親相姦」は母と娘である。 

    <近親相姦>
     エリアチェフが提唱した近親相姦は3種類あり、
    1・プラトニックなもの
    2・父娘、母息子という異性の近親者同士
    3・母と娘(父と息子)が同一の恋人を持つ
     である。
     この中で、抑圧と禁止を免れ得るのは1のみであり、まさにこれが母と娘の間に起こっていることである。

    <母性と、マゾヒステッィクコントロール>
     日本では長らく、「母は滅私奉公して子どもにつかえるものだ」という献身、受動性、そしてマゾヒズムに彩られた母性神話が語られてきたが、これは幻想である。だが、これが押し付ける役割が「母親」にプレッシャーと葛藤を与え、「子どもはコントロールすべきもの」というコントロール幻想を生む。
     引きこもりの子供を持つ母親は、連日殴られながらもその幻想を体現している。
     そこから離れるには母親も「自身の人生」をいきることではある。
     また父親など「第三者」の介入も重要であるが、往々にして男性は家庭内の問題からは逃げている。

     では、いったい母親は何を自身の価値観としているのか?
     母親は自身の価値観に沿って子どもを育てるが、それは往々にして世間の目を気にする「世間教」となりやすい。そこでは「条件付きの承認(○○をすれば愛してあげる、という行為)」が跋扈し、ダブルバインドが往々にして見られる。
     ダブルバインドとは、口では「結婚しなさい」といいながら、実際はまめまめしく世話を焼く、といった行為である。
     世間に阿った、自己犠牲的な奉仕は罪悪感を娘に受け付け、非常に強力な楔となりうる。これを「マゾヒステック・コントロール」とよぶ。
     息子も同様だが、男性は女性に比べ共感が鈍いので、若干軛が弱い傾向にある。

    <ジェンダーと疾患>
     男性と女性のジェンダーは厳然としてあり、それらは違った様相で現れる。
     男性は社会的な同一性(能力を表し、有用性を表明する)を重視し、多くの女を所有する立派なペニスであれ、というプレッシャーを受け続ける。
     一方女性は、他者に不快感を与えないしぐさや美しい容貌を重視する。

    <母親の期待と支配、女性の空虚さ>
    P189
     女性性とはすなわち身体性のことであり、女性らしさは主として外見的な身体性への配慮です。それゆえ女の子へのしつけは、男の子の場合と異なり、他人に気に入られるような身体の獲得を目指してなされます。このため母親による娘のしつけは、ほとんど無意識的に娘の身体を支配することを通じてなされがちです。
    身体的な同一化による支配において、母親は時に、娘に自分の人生の生き直しすら期待します。こうした支配は、高圧的な命令によってでなく、表向きは献身的なまでの善意にもとづいてなされるため、支配に反抗する娘たちに罪悪感をもたらします。
    しかし、母親による支配が素直に受け入れれば、自分の欲望放棄して他者の欲望をひきつける存在という「女性らしさ」の分裂を引き受けなければなりません。それゆえ母親による支配は、それに抵抗しても従っても、女性に特有の「空虚さ」の感覚をもたらさずにはおかないのです

    <ジェンダーとBL> 
     BL第一人者のよしながふみは以下のようにかかる。BLはジェンダーやフェミニスト運動と相性が良い。

    P105
     彼女は「ボーイズラブ」は「もてない女の慰め」であるかもしれない、ともいいます。なぜならこのジャンルは「今の男女のあり方に無意識的でも居心地の悪さを感じている人が読むものである」ためで、ただその居心地の悪さには、男女差があると彼女は指摘します。

    P106
    男の人のです抑圧ポイントは一つなんですよ。「一人前になりなさい、女の人を養って家族を養っていけるちゃんとした立派な男の人になりなさい」っていう。だから男の人たちて皆で固まって共闘できるんです。女の人が一つになれないって言うのは、一人一人がつらい部分がバラバラで違うんでお互い共感できないところがあると思います。生物学的な差では絶対にない。これは差別されている側は皆一緒ですよね。アメリカにおいて、全部合わせれば白人より多いはずのマイノリティーが文化が違うから一緒になれないのと同じです。

     社会がジェンダーに基づいた圧迫を行うため、男性と女性では発症する疾患の差異がある。
     そのなかで、男性はひきこもりが多く、女性は拒食症が多い。
     男性のひきこもりは先に述べた社会的プレッシャーからの逃避である。一方の拒食症は何か。著者はそれを「女性性」からの逃避とみる。 
     拒食症患者の徹底的にダイエットを目指す体は、ふくよかさなどの「女性性」を拒否した形と解釈できる。
     男性は異性との関係を夢見る「恋愛教」を断ち切るのは難しいが、女性はそうでもない。「恋愛教」にはまる人数も多いがそこから決別することが男性よりは比較的容易で徹底したものになりやすい。

    0
    2018年12月22日

    Posted by ブクログ

     読んだ後に率直に感じた感想は「重い」であった。またこのような母娘関係がどのような家庭にもレベルは違うにせよ存在すること、決して他人ごとでないこと、そしてこれらの問題の根深は深いこと、これらにため息をついた。またこの本が述べていることはあくまでも様々な情報から判断した著者の主観であり、一般論の断片であること。この本に書かれていることが絶対ではないことを忘れてはいけないと、自戒した。今回の本は母親と娘の関係性のバランスの難しさについて書かれていた。この本のメッセージは明確であり、首尾一貫している。それは「母親殺しは不可能であり、娘と母の関係は一生続く」というものだ
     まず書かれていたのは、母親と娘が戦っている事例について書かれていた。なぜ母親と娘は戦うのか。それは、母親が自身の母親に十分な愛を注がれていなかったためや、夫の圧力から逃れるためなど、様々な理由があるにせよ、母親が娘を支配しようとするため、だという。それに対し、目に見える形で、もしくは静かな形で、娘は母親に反発する。
     このように母親が娘を支配しようとする構造がなぜ生まれるのか。この呪縛の招待は何なのか。ここでまず印象に残ったのはインナーマザーについての記述である。簡単に言えば親が「世間体」に対しひれ伏し、世間に従うよう親が子供をしつけることを言う。両親が世間体を気にしながら子供を教育するため、子供はそれに気づき、親に気を使いながら自分の行動を制限する。ここでは、世間は子供を教育するための「材料」ではなく、「教祖様」のような存在になっているので、子供をしつけるという名目で親が子供を支配するという。このような「条件付の愛(or 条件付の承認+無条件の愛)」を親が子供に与えるとき、特に母娘関係は他の親子関係とは特異な性質を帯びるという。これは母親と娘が同性であることから生じる。母親は娘に自身の考えを共有し、感情を共感させようとする。娘は母親哀れに思ったり、日ごろ母親に尽くしてもらっている感謝や罪悪感から母親に寄り添おうとする。そのような中で母親と娘の密着が進んでいく。
     このような条件付の愛の中、娘は母親のダブルバインドによって板ばさみ状態になる。ダブルバインドとは口で発しているメッセージと、母親が行動で示すメタなメッセージの間に矛盾が生じることである。たとえば口では「もーあなたしっかりしなさいよ!」と娘に対してきちんと生活することを促しておきながら、娘の身辺を母親が整理し、結局「自立しなくていいのよ」とメタなメッセージを娘に送る。結局娘は自立できないという。このようなダブルバインドの中、娘と母の密着は進んでいく。
     結局日本の母娘関係において、母親は娘に母性的に奉仕し、娘に「申し訳ない」と感じさせるこによって娘を支配する、という。また上に述べたように娘にとって母親という存在は身体の中に浸透し、母親を否定することは自分自身を否定することに繋がるため、いわゆる「父殺し」ならぬ「母殺し」することはできない。では、女性の自立とは?心理学者の高石浩一氏は次のように述べている。「女性の「自立」とは、ひょっとすると決して「克服」しきらない、「殺し」きらないで共生し共存するような、剣が峰を綱渡りするような、ものすごく微妙なバランスを獲得していくことなのかもしれない」と述べていた。これに強く、共感した。
     次に書かれていたのが女性の「女性性」に関してだ。母親は自身の娘を育てるときに「立派な娘になるよう」育てる。この「立派な娘」というのは「すばらしい女性性をもった娘」という風に置き換えることができる。では「女性性」とは何か、ということについて書かれていた。一言で言えば、「女性性=身体性」である。どういうことか。つまりある女性の「女性性」とはその女性の「身体性」を指すことが多い、ということだ。女性が自分が女性であることに対して肯定したり、逆に嫌悪したりするとき、その対象は女性自身の身体に向きやすい。「髪の毛が整っていない」や「肌が荒れている」ことに対して女性がことのほか男性より敏感なのが良い例である。これとは逆に男性は自身の能力や性格、社会的な地位などの「象徴的なもの」に肯定感や嫌悪感を抱くという。
     この女性の身体性を説明するのに、女児のエディプスコンプレックスという概念が本文中登場する。女児のエディプスコンプレックスとは、自身にペニスがついていないことから自分をこういう身体に生んだ母親を恨み、また女性という身体に対して嫌悪感を抱くことをいう。通常なら、結果的にそれが出産願望に繋がっていく。
     女性に多い"拒食症"などはこの女性の身体(女性性)への嫌悪感からヘテロセクシズムを捨て、ユニセックスな存在への願望からきているという。また加えて一部の女性がboys loveの同人誌を好むことも、このような女性の身体への嫌悪からきているという。つまり女性が自身の女性性に嫌悪感を抱くとき、攻撃の対象が身体になっているのである。母親は娘を育てるとき、娘の女性性を育てようとするので、結局母親の躾という大義名分で行う支配的な教育は、娘の身体性に絡んでくる。このことが、母親の娘の支配に大きく問題となる。
     どういうことかというと、例えば息子に母親が教育をする場合、「男性としてのあり方」というのは象徴的な概念として親に認知されている。「男の子なんだから我慢しなさい!」や「男に二言はない」などがその例だ。よって男の子を育てる際、親の主観はもちろん入るが、それ以上に通念的な「男性像」みたいなものが存在し、それを意識しながら親は息子を育てることになるという。それに対し女性は「女性は~~であるべき」というような概念はあまり多くない。「おしとやかであるべき」や「人に対して優しくあるべき」など、男性像の否定のような概念は存在するが、それよりも「綺麗な髪」や「綺麗な洋服」、「綺麗な言葉遣い」、「身なりやしぐさ」など、女性らしさとは、上でも述べたとおり「身体」に関わる。よって娘が女性性を獲得するには、母親からの身体性の伝達が必要になる。これは結果的に母親が娘の身体性(所作・行為)を支配することに繋がる。つまり「ああしなさい」、「こうしなさい」が多くなるということである。母が娘を女性として教育するとき、その内容は身体性に関わる。よって母親の支配は娘に対して結果的に強くなってしまうという。
     こういった支配構造を母親側の視点から見るとどう見えるか。背景には、母親が子供を持つことによって感じる無限の責任性が存在する。そして子供が娘であれば、その身体の共通性から、母親は娘へ過剰な期待をもつことになる。過剰な期待、男の子に対する「社会的な地位を獲得せよ」という要請のようにシンプルではない。それは「自分の人生を生きなおして欲しい」という要請である。
     先ほどのエディプスコンプレックスでも述べたが、母親は娘を産んだ際、子供を女性の身体に生んでしまったことによる無限の責任を負うという。それに加え、「子育ては母親の責任」というような風潮が社会にはある。この責任感から、一般的に母親は娘に対して積極的に子育てを行う。上でも述べたように女性性を育てようとする際、母親は無意識のうちに娘の身体をコントロールするようになる。この娘をコントロールする過程で娘への罪悪感が期待感に変わるという。その期待の中身とは、基本的には人によると思うが、この本が言うには、「自分の人生の生き直して欲しい」という期待である。母親は娘の身体に関わりすぎるあまり、母親と娘の間で身体が共有されてしまう。それによって母親は娘を通して新しい人生を歩んでいるような感覚を持つという。そして娘は、母親に対する感謝という名の罪悪感と、娘の中に存在する母親という存在から、この期待を裏切れない。
     以上のような理由から娘は母親殺しをすることができないという。イメージ的に言えば母親の言葉が娘にインストールされている形である。こういった状況を抜け出すには、どうしたらいいのか。基本的には、娘、母親の両方もしくは片方が状況を俯瞰すること大事である。そのために第三者が関わったり、こういった本を読んだり、母と娘の物理的な距離を広げたりすることが有効であるという。しかしこれらが必ずしも効くとは限らない。
     母娘関係の難しさを痛感した、一冊だった。

    0
    2012年06月23日

    Posted by ブクログ

     
    母による意識的無意識的な娘に対する支配を、精神分析の手法によって明らかにした本。
    何気に、初斎藤環。

    本当に読んでよかったと思った。
    ここ数年、社会科学に傾倒していたのは自分の内面から逃げていた部分もあったのかなぁと思った。

    また、やっぱり自分は男性と同じように働くことは不可能なんだなぁ、と
    今までなかなか放棄することのできなかった可能性から、やっと解かれた気がする。

    最期に、女性として生まれてきたことを心の底から後悔した。
    そして、これからはそういうことにきちんと向き合っていく必要性があることを痛感した。
     

    0
    2009年10月07日

    Posted by ブクログ

     男性とは異なる「母娘問題」特有の困難さを説明した本。

     母娘問題に悩んでいる当事者よりも、その周囲の人や支えている人が、母娘問題を理解する上で、参考になると思いました。様々な精神分析の理論が引用されており、そういった知識を得るためにも、参考になる本だと思います。

     精神分析の知識がまったくない状態で読みましたが、理解できたかは別として、読みやすかった気がします。妻とその母を見ていたため、納得できる部分が多く、一気に読んでしまいました。

     ただ、二度、三度読んでいるうちに、少しずつ理解が深まってきました。

    0
    2017年10月25日

    Posted by ブクログ

    ちょうどディズニー「塔の上のラプンツェル」をみたタイミングで読めて良かった。
    ラプンツェルの髪で母親が生きている、というのが、母娘の身体性の共有を表しているというのが明らか。
    自己の投影…とか、母が娘を縛るやり口に関しては知られていても、縛らざるをえないことに関する精神分析からの論は初めて読んで、すこしスッキリした。

    0
    2016年05月12日

    Posted by ブクログ

    暗示的にも明示的にも同一化を要求して断ちがたい結びつき・縛りを形成する母娘関係を「プラトニックな近親相姦」というのは一見過激に思えるが、きちんと読むといろいろと自分が見聞きした実態とも符合してふにおちる。

    0
    2015年01月19日

    Posted by ブクログ

    ちょっと小難しくて理解し切れず、わかったようなわからないような気持ちになるところもある。けれども数ページに一行でも、「あぁ…!わかるっ…!!」と線をグリグリ引きたくなるようなフレーズに、女性なら巡り合うんじゃないでしょうか。そしてそのポイントは人によって少しずつ違うかもしれない。このレビューは私の実の母も義理の母もきっと読んでいるので、私の場合具体的にどんなフレーズが、っていうのは敢えて書かないことにしますが(笑)
    著者が男性なわけですが、私が読んで納得できない箇所は、精神分析用語が難しいせいなのか、そこで示される母娘の例が自分にマッチしないせいなのか(臨床心理の現場から書かれているので病理的な例も多い)、果たして著者が男性で「わかってない」からなのか、それはわからない。わかったように書くなよーという気持ちは拭えないが、でもこれが女性が書いたものである場合、それはそれで、どこまで客観的になれているのか疑わしくなってしまう気がするし。
    終章にまとめがあるので、本編で理論についていけなくて消化不良になっていても最後の章だけまた読めば満足できそう。
    ブックガイドとしても良い。

    0
    2013年05月21日

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