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聴く、届く、遇う、迎え入れる、 触わる、享ける、応える……
哲学を社会につなげる 新しい試み
第3回桑原武夫学芸賞受賞作
わたしは、哲学を〈臨床〉という社会のベッドサイドに置いてみて、そのことで哲学の、この時代、この社会における〈試み〉としての可能性を探ってみたいとおもうのだが、そのときに、哲学がこれまで必死になって試みてきたような「語る」――世界のことわりを探る、言を分ける、分析する――ではなく、むしろ「聴く」ことをこととするような哲学のありかたというものが、ほのかに見えてくるのではないかとおもっている。
本文より
Posted by ブクログ 2022年01月17日
他者の他者として初めて自覚させられる「自分」。〈聴く〉ことがそのまま哲学の実践である。考えさせられる論述が続く。メルロ=ポンティ、レヴィナス、フランクルの言葉がつながり、示唆的である。
・反方法。エッセイ。
・客は今の時代、侵入になってしまう。家父長制の時代はそうではなかった。
・苦しみに苦しむ自...続きを読む
Posted by ブクログ 2017年09月03日
求められるということ、見つめられるということ、語りかけられるということ、ときには愛情のではなくて憎しみの対象、排除の対象となっているのでもいい、他人のなんらかの関心の宛て先になっているということが、他人の意識のなかで無視しえないある場所を占めているという実感が、ひとの存在証明となる。寺山修司も先の文...続きを読む
Posted by ブクログ 2010年02月21日
哲学など縁がなかった僕が始めて読んだ臨床哲学試論だ。鷲田さんの言葉はまるで音符のように心に沁みこむ(音符は読めないが)瞬間もあれば、デジタルチックな難解な数学の公式の森を彷徨っているだけの瞬間もあった。兎に角最後まで読むことができた自分に拍手したい。
以下、気になった箇所、自分へのメモとして抜粋。...続きを読む
Posted by ブクログ 2009年11月30日
哲学者である鷲田清一が「臨床哲学」という新しい領域を設定し、「聴く」という行為を切り口に、哲学の本質と可能性について論じたものです。論じること、書くこととしての哲学ではなく、「聴く」という営みとしての哲学を模索し、特定の他者に向かっているという特異性(シンギュラリティ)の感覚を重視することで、一般的...続きを読む
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