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会津藩士の家に生まれ、戊辰戦争では大砲の指揮も執った山本八重は、京都でモダン・レディーに変身、運命的に出会った同志社の新島襄と結婚する。自立した女として颯爽と時代を駆け抜けたその生涯をたどる。
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Posted by ブクログ
会津に旅行をして、鶴ヶ城で八重さんのことを知り、八重さんの生き方、生きた時代についてもっと知りたくなりました。八重さん、かっこいい!周りの女性とは違う行動をするのは勇気のいることだし、周りに反対されたら諦めることも多いけれど、八重さんは自分を信じて、納得する人生を生きてきたんだなと思う。とても勇気を...続きを読む与えられたし、私には何ができるのかと考えさせられた。 研究論文のようでさらりと読める文章ではなかったけれど、八重さんとその周りの人間、生きてきた時代についてわかってきた。もっと知りたいと思うので、参考文献リストにある他の本も読んでみたい。
戊辰戦争については触れないわけにもいかないだろうが、兄の覚馬や新島襄はもちろん、会津戦争の女性たちや維新後にアメリカに留学した女性も紹介されていて、八重を中心とした人たちを描いた内容だった。 ・松平容保の兄には、14代尾張藩主の徳川慶勝、後に一橋家当主になる一橋茂栄、弟には桑名藩主の松平定敬がいて...続きを読む、高須四兄弟と併称された。 ・西郷頼母は、白河の戦いに敗れて和戦を主張したため免職され、母成峠を破られた後に再び入城するが、周囲と折り合わなかったため、容保から萱野権兵衛に君命を伝える表向きの任務を与えられて、長男とともに城外に出た。萱野のもとに赴いた後、米沢から仙台に行き、榎本武明の艦隊に加わって函館に向かった。 ・覚馬は、佐久間象山、勝海舟、横井小楠、西周、レーマン、グラバーなどから学んだ。京都の薩摩藩邸に幽閉されていたとき、西軍が兵を進めれば、会津はひとり残らず討ち死にし、国力が衰えるばかりで諸外国に乗じられるだけだと主張したが、薩摩藩主への面会は認められなかった。新生日本のイメージをまとめた意見書「管見」には、三権分立、商工業の振興、人材の育成、教育への科学や法律の導入、太陽暦への改暦など23項目があげられていた。「管見」に注目した京都府知事は、覚馬を京都の町おこしのプランナーとして迎えた。 ・新島襄は18歳の時にオランダ軍艦を目にしたことをきっかけにして、幕府の海軍伝習所に入って数学、航海学を学んだ。1864年、22歳の時に函館からアメリカ船に乗り込んでボストンに渡り、自然科学を学んだが、西洋文明の背後にキリスト教の精神があることを知って洗礼を受け、神学校で学んで宣教師の資格をとった。明治5年の岩倉使節団がアメリカに渡ったときには通訳を引き受けた。明治7年に帰国すると、日本にキリスト教主義の学校をつくるために動いた。
にわかに興味が出て読んでみた。 会津出身の人がこんなに活躍していたことを今まで全く知らなかった。 幕末の時代の知識はどうも妙に偏ってしまっているんだよなぁ。
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