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Posted by ブクログ
釈迦の言葉を(超約的な)現代語訳にし、現代人にもわかりやすい内容で伝え、更に解説を加えているという本。釈迦の時代から人の悩みって同じだし、人の本質というのは良くも悪くも進化しないものなんだな、と思ったりもした。たとえば、「悪口なんて、原始時代から言われているので、当たり前の事なんだ(だから気にしてもしょうが無い)」とか、「周りが何をしてもこちらが心を動かさなければ、攻め手は一切中に入れない」とか、「嫌な思いをするのは、自分の悪行の借金を返しているので、悪行が消えたと思えば気が楽になる」とか、「意識すれば、自然に良くないことは消えていく」とか、「人間の脳は何を手に入れても不満足に陥るという構造的な欠陥がある」とか、示唆に富んだ内容が多く、明日から直ぐに使える内容だな、と思った。良本。オススメ。
Posted by ブクログ
語り口が優しいので「すん」と受け入れて読めた。これが本作中にある怒りのない状態で接すると相手の業からも外れ受け入れられやすくなる状態、なのかなぁ。
一回徳の高いお坊さんとお話ししてみたい。
前説に、不安や緊張は事故や事件を防ぐために生じる生き物にとって必要な状態。でも癖になって変な物質が出て依存症になることもある、と書いてあった。脱線するが、引用なしに書いてあるこういう脳内麻薬とか引き寄せの法則そういうのはすごーく苦手なのだが(根拠となる博士論文を最低3本以上提示してくれと言いたくなる)、それは本文の伝えたいこととは関係ないし自分を振り返れば不安なことを考え出すと変に興奮しているし、苦しまないために練習が必要なんだろうと思った。
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・私たちは心のどこかに「この偉大な私が否定されるのはおかしい、認めてくれないと許しません」という妄想を持っている。完全にわかってもらえることはないので、そういう妄想は捨てる練習をする。
・相手の不機嫌、相手の不親切は相手の業。自分は怒りを抱えずに自分の業に対応し相手の業を受け取らない。相手に任せる。親の不機嫌も、些末なルール違反をする人も、自分の行動とは関係なく自分は自分の業を回収する練習をする。
・実は世界は共有されてなかった。共感を求めることを諦める練習をする。
・自分を集中させる呪文はない。目の前のやっていることを一つ一つ片付ける練習をする。(別で行ったいろいろな座禅教室でも、呼吸の「吐く」と「吸う」に集中してみなさい、と言われた)
・自分を納得させるために意見を言ってしまう。説得させるために強い言葉を使うのは逆効果。意見は自分の中にとどめ自分を自分で納得させる練習をする。
・自信がある状態は自信がない状態にもつながるから、理想とする姿はあくまでフラットな状態であることを意識することを練習する。
Posted by ブクログ
最初は人づきあいについて。
他人に無条件に受け入れられようなどと徒労に終わる執着を持たずに、他人は一定の割合で自分を非難してくるものと弁えて、家族にすら無条件の愛を求めずに自立し、親孝行やパートナー孝行に励んで周囲を安らがせ、友は自分に気付きをもたらしてくれる者を慎重に選んで愚か者とは距離を置き、別れの悲しさをドーパミンの作用と割りきって囚われず、自分の内にある欲や不満や渇愛やエゴを見抜いてこれから身を離すことが必要。
次に心。
自分の弱く悪い流されやすい心を治め、善い心がけを大事にし、嘘をつかず、楽に流される逃避は自分に害をもたらす業と見定め、自分の心も意思も思いどおりにはならないアンコントローラブルなものという正しい気付きの下でその不自由さを受け入れ、過去に執着せず未来を妄想せず、今この瞬間の自分に全力で集中するべき。
最後に自分。
肉体は内蔵や体液を伴う美しくないものであることを根っこから自覚し、そのような身体の生の状態を感じ、外見へのこだわりを捨て、呼吸を見つめて自らを把握し、欲望への思念は一時の思考的快楽であって痒いところを掻いているだけであると悟り、反射的に出てくる自分可愛さゆえの意見から距離をとり、プライドを捨て、自分も他人も全て死ぬものであると理解し受け入れる姿勢が必要。
ということ。
自分の知る原始仏教の本質と通じるものがあり、(「~であーる」や「いやはや、」などの文体はともかくとして)非常に読みやすく意味が入ってきやすい書籍だった。執着を捨てることは解きつつ、親や配偶者への親切を解くなど、 純利論的にどうかと思うところもあったが、概ね納得できた。
Posted by ブクログ
・苦しまない練習は、煩悩を捨てる練習。とても難しいけどね。
今やっていることを心の中で常に認知し、ありありと感じること。これが本来の意味での「考えない練習」です。そして実は、これが瞑想なのです。無意識の行為を一切消滅させていく、この時間を増やしていくと、そのまま修行者になります……。~
私も含めて、修行をしたことがない人は、座禅や瞑想によって「無我」になれるということを、心の底から信じることが難しいのではないでしょうか?そして、何かをしている時も、心には、後悔や心配が渦巻いて、集中できていないのではないでしょうか?瞑想への第一歩は、今していることを意識して、意識できることを拡張することのようです。
歳をとって、つまらないミスが多くなりました。まさに、何かをしているときに、そのことに集中できず、他のことを考えているからのようです(^^ゞ
私のような凡人にとっては、世俗的な欲求を断絶するってことの方が苦しいかも。
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