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ベテラン日本語ラッパー、ECDが生まれてから現在まで、特に音楽を中心にして半生を振り返った「音楽的自伝」。ラジオを通してロックに目覚め、パンクと出会い、劇団での活動を経て、ラッパーとなりつつも日本語ラップシーンにも違和感を感じて新たな地点へと、常に「いるべき場所」を探す、その時々で目撃してきた様々なシーンを描いた「同時代史」。
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Posted by ブクログ
ラッパーということ以外に殆ど知識のないまま、彼の『いるべき場所』を読む。 彼は1960年生。ということは3つ年上。 同世代と言っても構わないと思う。 嗜好はやや異なるものの、それでも音から感受しようとする態度、表現行為に対するモラル。 とても近く感じた。 友人の何人かはとても趣味がよい。 最先端...続きを読むの情報から、古き良きものまで、とても素晴らしいインデックスを持っている。 趣味判断の能力がとても高いのだ。 そんな中の一人から、僕はよく笑われる。 何が良くて、そんな駄作を好んでいるのか分からない、と。 残念なことに。或いは幸福なことに。 僕にとって音はただの空気の振動を指してはいない。 それは音を出すレベル、聴く位置の高低、倫理の問題でもある。 ある音を良いと感じる。ある音を良くないと判断する。 その判断の基準は趣味判断ではある。 けれど、その価値観を持つ者は、それを行使するだけの生き方をしているのだろうか。 例えば僕がカザルスの♪鳥の歌を聴くとき、カタロニアへの思いなしには聴けない。 行ったこともなければ、知己もいない、ただ紙の知識でしかないカタロニアの音に震える精神は何か。 それが♪アリランになると、もっと複雑な気持ちになる。 父の捨てた故国の唄は、国籍のないまま、呼び名だけ持つ男の何なのか。 そして更には、今此処という場所は僕にとって何か。 言葉遊びだ。 No-Where 何処でもない = Now-Here 今此処…・ そんな言葉遊びにすら強い酒でなければ消せない痼りを生む。 彼、ECDはいるべき場所に辿り着いたのか、僕は知らない。 彼は今そう思っているかも知れないけれど、未来に於いてもそうか僕の知る由もない。 ただ彼は求め続けていた。 そして、そこに出てきたインデックスに失笑する者もいるだろうことは確かだ。 でも僕のように「何処でもない」と「今此処」の往還だけで生きている者は笑えやしない。 彼は求め続け、そして、今いる場所をいるべき場所としたのだ。
ECD自体はまるで聴いたことがないのだが、その周辺的なものはすごく親しみ深いものであった。本人の生き様にもまた感じ入るものあり。
ECDの音楽遍歴にはあまりソワソワしなかった。 昔なら、本に載ってるバンドを全部追っかけたやろうに。 いつのまにか自分にとって必要なものとそうでないものを振り分けてる。 昔はよくわからんまま全部取り入れてたのにな。 と思うとちょっと寂しい。
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