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※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 豪放磊落、酒と遊里を愛し、芭蕉に愛された奇人・名人、宝井其角を味わいつくす。
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Posted by ブクログ
かげろふにねても動くや虎の耳 其角の句である。其角は俳聖芭蕉の高弟である。というよりむしろ「異色の」弟子として知られている。 この『其角俳句と江戸の春』は、何ヶ月か前BSNHK週刊ブックレビューで取り上げられた時に購入し、すぐ読んだ。今朝の放送でもまた別の書評ゲストに絶賛されていた。2度...続きを読む同じ本が紹介されるのは、本屋大賞を受賞した『博士の愛した数式』(小川洋子)のときもそうだったが、本を読む人にとり相当に興味深い本である証拠だ。 今日は、冒頭の「かげろふに・・・」の一句についてだけ書いておきたくて以下続きの文を記す。 其角がこの句を創った時、わが国には虎は居ない。同じ頃狩野派の絵師達が描いた虎の絵は多くが残っている。二条城などの徳川家が作った城や美術館で多くの傑作を今も見ることができる。それらの解説文にきまって書かれているのは、「当時国内に生息していなかった虎を、毛皮を元に、実際の動きなどは猫を参考に描かれた」ということである。其角も実際の虎を目の当たりにして詠んだのではないはずだ。 虎という動物の計り知れない獰猛な迫力については、忘れられない原体験が私にはある。八木山動物園の猛獣舎ではじめて見たベンガル虎だった。ああ虎だあ、と思って無防備にとことこ近づいた私に向かって、その巨大な猛獣は何秒間か私の目を静かに凝視した後、「うぉう」と低く図太く一喝した。七歳の子どもの私は勿論、周りに居た四五人の大人も皆、数十センチ後に飛びのいた。一瞬にして息も鼓動も止まった。 だから、「かげろふにねても動くや虎の耳」の句は、寝ていると思って近づいて覗き込んでいると、ゆらゆらと揺らめく陽炎か、あるいはこちらのちかづく気配を察知して、虎の耳がぴくりと動くのがリアルに伝わってくる。次の瞬間には、がばと襲ってくるであろうぞっとする恐怖も煽られる。 『生きてるだけで愛』について著者の本谷有希子が、やはり週刊ブックレビューのゲストのときに語っていた。北斎の富岳三十六景・神奈川沖浪裏についてのエピソードなのだが、話の本筋とは違うが、天才の『眼』とはというテーマを考えさせる話だった。この絵、トラック野郎の車体に描かれるほどの最も知られた一枚だ。白く小さい富士が、青く大きく歪曲した波に飲み込まれるかのような構図は、だれもがあああれかと思える。波頭は富士を鷲摑みにしようとするがごとく白く泡立っている。 この絵柄、現代のカメラで「何万分の1」のシャッタースピードで写し止めた波の形と全く同一なのだと、本谷さんは書いている。 科学技術が見る事を可能にする何百年も前に、常人には見えぬものを見てしまう『眼』こそが、北斎が天才である所以であろう、そのとき私はそう考えた。 『座頭市』といえば勝新こと勝新太郎主演の映画(タケシのはリメイクである)。盲目なのに俊敏な仕込み杖捌きで軌って軌って切りまくる勝新のハマリ役であった。そのシリーズの第一作に忘れられないシーンがある。 何人もの刺客が潜んでいる。現れた市は、その刹那、気配を察する。市の横顔がアップになる。見えぬ白目をむく。耳がひくり、ぴくぴく、動く。次の瞬間たまらず飛び出した刺客を次々切り倒す。 動物的にまで研ぎ澄まされた市の聴覚を見事に「見せて」くれている。俊敏な仕込み杖捌きはカメラで捉えられても、不気味なまでに鋭敏な聴覚を映像でもって表現することは通常ならば不可能である。勝新はこのシーンの役作りのため何ヶ月にも渡り耳を動かす鍛錬を続けたのだという。彼を破天荒な天才俳優と評する人は多い。だが、無軌道な行動に注目し、恵まれた才能だけで成功したかのように思い込むのは誤りだろう。「天才」を支えたものには、やはり人知れず積み重ねられた努力があったことに月並みだが胸を打たれる。 そこでもう一度其角のあの一句。 かげろふにねても動くや虎の耳 これほどまでに、この猛獣の、不気味なまでに秘められた凄みを伝える表現はなかろう。彼はだが虎を見たことは無い。 其角天才なり。私は確信する。
方々にいい加減な表現が入る、この著者らしからぬ本である。俳句の読みが妙に穿っていて、正しくない可能性が高い読み込みがある。そこまでは読めないだろ、と突っ込みたくなる。 読み進むにつれて、なぜそうなのかが判る。半藤さんは其角が大好きなのだ。だからやっちゃうのだ。その上ちょっとそれはどうかなあと思うのだ...続きを読むが、幸田露伴の解釈は無闇に信用しているのが少々危険だ。露伴の俳句解釈はけっこうテキトーなのだ。こんなものはこう読めばよろしい、これは駄作だがこんな意味だろう、と本当にいい加減な解釈がままあるのだ。半藤さんにしては簡単に真に受けてるなあと驚く。安東次男の評論を読んでいないんだろうか。 この点はさておき、愛情たっぷりの其角に関する文章はいい。愛情というのがいい。 個人的には蕪村の方が好きなんだけど。
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