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※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 その時代のなかで、芭蕉は言葉と現実とをどのように出会わせようとしたのか。発句と連句の二形式をもつ俳諧のあり方に、旅と草庵の生のかたちに、そうして芭蕉という古典のうち、<今>を超え出る精神の方法を見とる。
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Posted by ブクログ
広末保 「芭蕉」 深川移住後の芭蕉の「非定住生活(旅と草庵生活)」と「専門俳人への自覚」に目付けした芭蕉論。それらが「俗」とコンタクトして、蕉風俳諧の風雅が完成したとする論調 前回読んだ伝記とつなげると、日本橋の定住時代(職業俳人、談林俳諧)においても有していた「俗」な側面が、深川移住後に 非定住...続きを読む生活や専門俳人の自覚と結びつき、風雅に転化したということになる この本の印象的な指摘は「芭蕉の旅は 歌枕世界との同化ではなく、未知の自然や人事にふれることを重視していた」ということ。未知の自然や人事には 禅や「荘子」の影響も含まれ、それらが「俗」を風雅に転化させたと捉えた 蕉風俳諧の風雅が、秩序内の世界では 無用であるが故に 俳諧が自立性を持ち、不易流行につながるということだと思う
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