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90年代末、そこにはまだアマゾンもiPodもグーグルもウィキペディアもなかった。それからたった10年。00年代に何かが大きく変わったことは間違いない。しかし、いったい何が変わったのか? 静かに進行した地殻変動の正体とは? 2002年の日韓ワールドカップ、2003年の涼宮ハルヒ、2004年の電車男、2007年のロスジェネ、2008年の秋葉原事件……、ホリイ博士がずんずん調べた! (講談社現代新書)
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Posted by ブクログ
00年代の空気感を改めて振り返る。何となく思っていたことが言葉をもらって、そうそう!となる感じ。最後の迷惑をかけてもいい、が、身につまされる。
堀井憲一郎の、一見軽妙で、奥の深い時評。自分が時代の当事者であることをしっかり認識した上で、その自分も含めた「現代」を冷静に見つめる視点がここちよい。
自分は著者とは世代が異なりますが、ここ20年ほどのあいだにもやもやと感じていたことがちょっとすっきりしました。 ああ、自分が感じていたもやもやはそこからきていたのか…と。 20世紀後半(終盤)から現在に至るまでの世相というか、時代の雰囲気と流れをおもに若者の行動や考え方を中心に概観しています。 良...続きを読むきにつけ悪しきにつけの暴力の時代、父性と母性が共存して居た時代から非暴力、母性優位の時代へ。 表面的には「やさしい」時代になったのだけれど、その裏でかくされながら様々なものが消えていっていた。 私自身が深く関わっているサブカルな部分に関しては、どうしても外から見た方の評論だなーというところもありましたが、一般的なマスコミの見方に比べれば実際に足を運んでらっしゃることもあり、「こんな風に見えるのか」と受け止めました。 様々な関わりをもって殲滅されず、殲滅せずに生きていきたいと思いました。
今の世の中に不思議さ不便さを感じているが、私のそんな気持ちを文字化して説明してくれている本。読むと現実を突きつけられるから少し切なくなる。
コミケを「個どうしが閉鎖性を持ちより拡大し続ける場所」、とする表現に的確さを感じた。 インターネットはオープンだ、と言いながら、実態はクローズドが蔓延しているのだな、と。
堀井憲一郎さんの現代評論。 僕は、今の時代は「変わり目」だとは思うものの、そこまで激しい「変わり目」であるかというと、それはどうかな~と首を傾げてしまう。日本の歴史を観ても、明治維新や太平洋戦争の敗戦といった、人の生き方を180℃も変えてしまうような「変わり目」はたくさんあったし、それと比較して...続きを読むも、今はもっと緩やかで柔軟性に富んだものになっている。たぶん、今の世の中が高度に成熟していることが、知らず知らずのうちにセーフティネットになっていて、その恩恵を受けているのだ。 ゼロ年代を俯瞰して、インターネットやサブカルチャーの興廃から、日本社会の構造の変化について考察している。「世間」という上から下まで貫いていた共同体(価値観)が、高度経済成長の終焉とインターネットをはじめとした情報化によって崩壊して、同じ感覚を共有できる人々だけが集まるタコツボ的な社会が形成されていった……というのが大まかな主張だと思う。表題の「やさしさ」は、この新しい社会を形成している価値観、「殲滅」はその価値観が旧来の価値観を滅ぼしていることを示している。 ゼロ年代の評論というと、宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』みたいなザブカルチャー評論が中心というイメージがあって、それについての総括が待たれるのだけれど、社会状況と文化を結びつける評論はこれからもなくならないだろう。面白いから。でも、やっぱりサブカルチャーはサブカルチャーなわけで、全体を俯瞰することはまず不可能であり、切り貼りすればいかようにも語りようがあるわけで、ちょっと鵜呑みにするのは避けたいところだ。ハイカルチャーの対であるサブカルチャーは、サブカルチャー自身も相対化して、常に振り子のように振れるから、取捨選択も容易だったりする。 現代評論は俯瞰が不可能なので、その評論には頷けるところと、頷けないところがある。一応の理屈は通っているものの、一つには政治についての話がないことと、もう一つには世界についての話がないことで、ゼロ年代の評論としては不十分さがあった。このあたりは、この本が「若者」についての評論することが中心になっていると思う。サブカルチャーと若者の親和性。 なので主軸に語られているのはサブカルチャーで、経済・政治についてはほぼ書かれていない。小泉純一郎についての言及がないし、世界でいえば911以降のアメリカについての言及がないのは、さすがにこの時代の社会を描きだすという行為に、絵具が足りていないように思う。書かれていないことを集めれば、「そうでもないよね?」と言うこともできそうだ。 書いていることに集中すれば、作者の鋭い観点が多々ある。特に、「やさしさ」によって「暴力」が排除されつつあるものの、「暴力」そのものは決してなくならないという主張は頷けるものがあった。暴力すらも旧来の価値観(ルサンチマンや若者の暴発といった見方)からは外れたものとして、秋葉原の通り魔事件について言及されている。この意味もなく発露する暴力性は、たぶんゼロ年代を通じて社会の上から下まで起きていて、サブカルチャーはもとより、政治の世界では郵政選挙、世界では911などがあって、ついには東日本大震災でピークを迎えた。 この現代評論は、ゼロ年代の気分について語ったものであると「あとがき」には書いていて、確かに時代の変わり目の、旧来からの価値観が通用しなくなり、新しいルールが次々に生まれ、模索していたころの空気について、腑に落ちる程度には説得力があると感じられた。でも、今にして思えば、失敗したものが大部分ではあっても、成功したものもたくさんあって、その成功したものが10年代の気分をつくっていくのだと思う。それは、批判的になりがちな現代評論とは別の、肯定的な言説によって、また描き出されるのではないか。 若者論として、その文脈で読めば、非常に優れた本だと思う。
資本主義の発達によって消費の主体としての個人になるべく教育を受けてきた若い世代は、個に分断され潜在的な 不安を抱えながら生きている。かれらが、ラノベやBLに走る心理をその不安と性欲の吐露だと考える。また、2000年から10年の間に静かに多くの物が変わり、特にネット社会の進化、意識が変化した。その変化...続きを読むを父性の消失した母性の時代として若者の社会の捉え方の変化を、ブラック企業を例に考える。
便利なものが次々と現れた00年代。小学生の頃なのでぼんやりとしか覚えていないが本当に自分が知らぬ間に身の回りをインターネットで管理され、さらにコントロールされていたのだと気付かされた。 豊かであるのに、満たされない、空回りしている感じ。筆者はそれを個の尊重の細分化の行き過ぎによってもたらされた美し...続きを読むい孤立だと述べている。この本は2013年に発行されたものだけどそれから6年後、今はその状態がさらに悪化しているんじゃないかな。
2000年以降の00年代から現在までの日本の社会について。 ネットにスマホに、気づいたらすごく便利になってて、便利になっただけじゃなくて、社会のシステム自体がガラッと変わってしまった。 と漠然と思ってたんですが、その辺のことが上手くまとめてありました。 いろいろ便利になって、いろんなものを捨ててし...続きを読むまってから、著者が立ち止まって拾ったのは 「迷惑くらいかけてもいいじゃん」ってことだそうです。 他者と共生しながら人間らしく生きるには、 自分が誰かに迷惑をかけた分は、また別の誰かの役に立てばいいじゃん 的な話は、レヴィ=ストロースが「反対給付」の話で言ってたようなことなのかなーと考えたり。
どんどん個に割られて行く。そして若い男性のソサエティは消滅する。ここはなるほど!そう見ればよいのか! そして、いままでのルールとは違う社会になる。違うルールに適合するものもいれば、違和感を強く感じ、馴染めないものもいる。気付かないうちに社会の仕組みが置き換えられて行く。個々の事例に思い当たるフシはあ...続きを読むるのだが、全体の主張がまとまっていない感じ。直近のこと過ぎるからか?
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やさしさをまとった殲滅の時代
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