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読者はパスティーシュという言葉を知っているか?これはフランス語で模倣作品という意味である。じつは作者清水義範はこの言葉を知らなかった。知らずにパスティーシュしてしまったのだ。鬼才野坂昭如をして「とんでもない小説」と言わしめた、とんでもないパスティーシュの作品の数々、じっくりとお楽しみを。(講談社文庫)
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Posted by ブクログ
名古屋人の友人に真っ先に勧めた。 蕎麦ときしめん 序文 が特に面白くて 猿蟹はそんなに 大人のユーモアって感じ 憧れる
はじめて読む種類の小説。 へぇ…こういう世界があるのか、と、おもしろく読んだ。 麻雀は、やったことないのでわからずですが。
パスティーシュ小説で一世を風靡した清水義範氏の昭和58年から61年にかけて「小説現代」に掲載された短篇集です。パスティーシュの名を決定づけた「猿蟹の賦」や、ある意味その後の名古屋人論に決定的な影響を与えた「蕎麦ときしめん」等が収められています。 「猿蟹の賦」や「商道をゆく」は、一行読んだだけで司馬...続きを読む遼太郎の模倣だってわかります。「蕎麦ときしめん」は山本七平の模倣ですね。 ある意味、被模倣者への著者の愛情を感じますね。 蕎麦ときしめん◆商道をゆく◆序文◆猿蟹の賦◆三人の雀鬼◆きしめんの逆襲 著者:清水義範(1947-、名古屋市天白区、小説家) 解説:景山民夫(1947-1998、東京、小説家)
この作品ではじめて「パスティーシュ」という言葉を知りました。清水義範さんは、この作品から読み始めるのがよいと思います。(ちなみに僕は、「面白くても理科」から入りました。)
爆笑。「序文」まじ爆笑。 確かに研究者ってこういう節がある。 言語学をかじったことのある人間なら必ず笑えると思う。 猿カニ合戦の話もおもしろい! 名古屋のきしめんが食べたくなった。
名古屋人以外はこの本を読んで大笑いしましょう!名古屋の事がデフォルトされてるとはいえ、かなーり的確に書いてあります。名古屋人は読んでてムカつくだろうけど、ムカつきながらも「・・・当たってる」と後ろ暗い思いをするでしょう。 日本語は英語のルーツだ!と言い出すおっさんの話がありますが、これを実際にやって...続きを読むる人って現実にいるんだって・・・(島村洋子「ブスの壁」参照)
蕎麦ときしめん 清水義範 発行:1989年10月15日 講談社文庫 初出:小説現代1993年11月号~1986年6月号 書名となっている作品を含めた6本の短編小説。6編ともパスティーシュと呼ばれるジャンルの作品。模造作品とも訳されるが、文学ならある文体を真似て書く。パロディの一種。著者は名古屋出...続きを読む身の実力作家だけに、無茶苦茶面白い。2022年の元日にこの1冊、今年は幸先がいい。 『商道をいく』と『猿蟹の賦』は司馬遼太郎風に書かれていることが感じられる。『三人の雀鬼』はおそらく阿佐田哲也風。あとはよく分からないが、あとがきを読むと、特定の作家の文体でなくてもいいようだ。例えば、家電の取説風とか、「推奨されません」「想定外」といった言葉を連発するIT関係者風とか、たぶんそれでもOKのようだ。最初から最後まで、それで通すのか肝腎なのだろう。 『蕎麦ときしめん』(初出:1984年12月号)は、清水という作家(私)が、東京から名古屋に転勤した鈴木雄一郎という人物が名古屋の地域雑誌『しゃちほこ』に発表した論文を紹介し、それを批判する文章。もちろん、全部架空の小説。 鈴木氏は1975年からの6年間の名古屋生活において分析した名古屋人論を展開、難解な名古屋弁を覚えて意識的に歩行速度を落として歩いても、やっぱり東京出身であることがバレて(地下街があるのに地上を歩いていたのでバレた)よそ者を受ける、名古屋ではプライバシー尊重は罪である、などの話を進めていく。 よく言われる道路が広い件でいうと、名古屋人は月給8万円の19歳がクラウンのハードトップに乗るなど国産高級車を所有するのが当たり前のまちであり、もちろんトヨタ以外には乗らず、外車など存在することすら知らない、そんな名古屋だから道路は自動車が走るために存在するわけで、信号で渡りきれない広い道を造るのも当然、などと論をはる。そうなった理由は、濃尾平野が広いため農耕民族でありながら遊んで暮らせ、騎馬民族が乗っている馬に憧れたことだと結びつける。そういえば、織田信長も馬を愛し、夫に名馬を買い与えた山内一豊の妻も名古屋女だ、とも書き添えている。 ただ、名古屋人がこの小説を読んでいると、もっと小さなことに笑え、同意できる。例えば・・・ ・東京で活躍している名古屋出身のタレントの名前が挙がったとき、確か名古屋出身でしたね、と誰かがいえば、必ず「××高校だぎゃ」と名古屋人は答える。 ・タクシーに乗って中日は強いねえと運転手に言うと、運転手は「あんなもんいかんわ。選手がみんな馬鹿だで」と答える。 劇中の鈴木氏は結論でいう。蕎麦は原則としてざるに乗り、汁から隔離されている。お互いに影響し合うことのない、共存の関係がある。一方、きしめんは全く逆のコンセプトで生み出されたもので、最初から汁にどっぷりつけて、個人が完全に社会の中に埋没している。しかも平べったい麺は表面積が広く、より多く社会という汁にひたれる。蕎麦はアイデンティティーの確立というコンセプトで生まれ、きしめんは個の喪失、社会への埋没で生まれた食べ物である。 『きしめんの逆襲』は、最後に収められている短編で、1985年6月号が初出。『蕎麦ときしめん』の半年後に発表されているが、いわば自己パロディみたいな作品。『蕎麦ときしめん』は鈴木氏の名古屋批判論文への批判として書いたのに、あたかも自分自身が書いたもののように受け取られ、名古屋人から猛烈な批判を浴びているのでそれに対する反論として書かれている形式の小説。社会から脅迫に近い抗議を受ける様子など、その手の物語にありがちなパターンを踏襲したパロディ作品。いまでいう炎上もの。 その中で『蕎麦ときしめん』を清水氏自身が書いた「小説」としているが、『蕎麦ときしめん』は小説ではなく論文への反論文として清水氏が書いたものであり、それを小説として扱っているのは、その清水氏とこの清水氏は同じであってかつ別の清水氏ということになる。その意味で自己パロディであり、しかも最後は鈴木氏も清水氏と同一人物であるというオチまで待っている。 ********* 『商道をゆく』(初出:1984年3月号) 司馬遼太郎風の作品。タイトルは『街道をゆく』を彷彿とさせるが、第1章を「坂の上の星」とするなど、他の作品要素もたくさん入っている。岐阜の山中の貧農に生まれた主人公が、病気に臥した父親に代わって農業をするも、東京に出て五本の指に入る寝具メーカーの社長になるまでを描く。社史を編纂するという形式でそれを展開。戦中戦後のめまぐるしく変化する世の中に翻弄されつつも成功していく主人公。ありがちな物語のなかにユーモアと名古屋弁が冴える作品。 『序文』(初出:1986年6月号) 「英語語源日本語説」という本を出版する際の序文をその筆者自身が書いているのだが、自説である英語の起源は日本語という論が浴びている批判というか、問題外という評価に対して反論する序文となっている。それが改訂版の出版時の序文序文、完全版出版時の序文、全著作集出版時の序文と続き、重ねるごとに徐々に世間で自説が認められ評価されていっている内容を盛り込んでいる。 最後は、文庫版出版の序を他の人が書いているのだが、英語語源日本語説文が完全に否定されたいま、文庫化されることの意義を説くなど、出版文化における権威性へのパロディを感じる短編。 なお、英語語源日本語説とは ジュースの語源は汁(じゅう) killは斬る owe(負う)は負う sickは疾苦 など 『猿蟹の賦』(初出:1983年11月号) 司馬遼太郎風の猿蟹合戦。猿蟹合戦は伝わる地域によって微妙に内容も違っているそうだが、山梨県の上九一色村のものが有名であるようなことが書かれている。本当だろうか? 小説は佐渡島が舞台のため、佐渡の蟹は辛抱強いから仇討ちなんかしない、みたいなことが書かれていて笑える。 『三人の雀鬼』(初出:1986年1月号) 死んだ叔父(血のつながりはない)の遺品分けを手伝わされることになり、麻雀牌を故人の友人だったある人に渡すことになった。それを届に行くと、その人を含めた70歳以上の老人がいた。みんな死んだ叔父の友人で、よくマージャンをしたという。主人公を含めた4人で打つことになった。レートは1点1銭(箱で300円)で、「大きすぎるかもしれん」「また権利書を取られることになるかもしれん」などと老人たちは言いながら打ち始める。そして、同じことを何度もいうボケた人たちで、積み込みなどのインチキをバレバレの状態でやる。しかし、最後、主人公がそれをしようとすると3人から手首を捕まれて厳しくとがめられる。 阿佐田哲也の『麻雀放浪記』風か。
本の最初にたまに載っている「序文」という章をつなげて一つのドラマに仕立てあげたり、架空の論文を巡るドラマを描いたり、今まで読んだことのない手法でとても面白かった。あまりに巧妙な語り口なので実在する論文かと思ったよ…
やっぱり好きだ。清水義範。 序文で小説やってみたり、社史風小説だったり、とんでも(でもないか)名古屋人論をサラリーマン風に書いていたり、とても楽しめる短編集。 「商道をゆく」が一番好きでした。
清水義範氏によるパスティーシュ集 パスティーシュ(Pastiche)とは、作風の模倣のこと。 パスティッシュ、パステーシュとも言い、下記を指す。 広い意味でのパロディ 文体や雰囲気など、先駆者に影響を受けて作風が似ること(例:「宝塚風の舞台」)[1]。故意に似せたものを「文体模写」と訳すことも...続きを読むある(例:奥泉光『「吾輩は猫である」殺人事件』)。 数編あるうち「猿蟹合戦」を、司馬遼太郎の語り口で書いた「猿蟹の賦」はいい。楽しめる。
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蕎麦ときしめん
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