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※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 浦上天主堂の廃墟が戦後13年目に取り壊された裏に何があった?長崎原爆の隠された真実に迫る、渾身のノンフィクション。
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Posted by ブクログ
広島には、原爆遺構としての“原爆ドーム”がある。しかし、長崎には、原爆遺構がない。あるのは平和祈念像である。 原爆の傷を語る貴重な遺産となるはずだった長崎の浦上天主堂。なぜ浦上天主堂は取り壊されたのかに迫るノンフィクション。 消えたもう一つの「原爆ドーム」、それは、浦上天主堂の廃墟を指している。...続きを読む 無残に破壊された浦上天主堂は、当初は、原爆の悲惨さを後世に伝えるはずの遺構として存続の方向で動いていた。しかし、一転、取り壊されることになる。 日本(あるいは長崎市)の思惑、アメリカ政府の思惑。 複雑に絡み合った事情と、“浦上”という“場所”が撤去につながった。 当初の目的地でなかった「浦上」。いろいろな偶然が重なり、原爆は「浦上」上空に落とされた。日本のカトリックの聖地的な場所「浦上」である。 原爆遺構として残されなかった「浦上天主堂」。 原爆が落とされたのも、廃墟となり取り壊されることになったのも、数奇な運命としか言いようがない。 出撃する前にアメリカ空軍内でミサが行われ、その後…、というのを考えても、人間の罪は深く、愚かであると痛感。
原爆と聞いてすぐに思い浮かぶ映像は、広島ならば原爆ドーム、長崎ならば筋骨隆々とした平和祈念像でしょう。でも、原爆ドームが被爆した建物そのものであるのに対し、平和祈念像が作られたのは1955年、原爆が落とされて10年後のことです。 実は長崎にも、浦上天主堂という、原爆ドームに匹敵する、実際に被爆し...続きを読むた遺構が存在しました。無残に破壊された浦上天主堂は、広島の原爆ドーム同様、保存されて、原爆の悲惨さを後世に伝えるはずであり、長崎市もその方向で動いていたのですが、一転、取り壊されることになってしまいました。この本はそのような決定がなされた背景、事情を、当時の文書、議事録、長崎の歴史等から明らかにしていきます。 一見、平和の象徴であるような「永井隆」「姉妹都市」「フルブライト」などについてあらためて考察しながら、事実を拾い上げていく描写は、ミステリーを読んでいるようでした。自分の仮説の決定的証拠が発見できなかったことは著者自身が認めていて、その仮説を単なる憶測ととるか、貴重な調査ととるかは、読者次第でしょうが、戦争、平和、世界を多少なりとも考えるうえで、大変有益な本であることは間違いありません。 本書を読んだあと、英語の異常な隆盛やディズニーランドの異様な人気、こうした現象の背後に何があるのか、あらためて考えてみることをおすすめします。
麦秋の 中なるが悲し 聖廃墟 (浦上を詠む) 水原秋桜子 そういえば、高校の修学旅行で行った広島の原爆ドームは、自らの痛々しい姿を生涯目に焼き付けさせようとするように激しく迫って私たちを迎えてくれましたけれど、長崎では、再建された浦上天主堂がまるで何もなかったかのように美しい佇まいを見せ...続きを読むていました。 確かに中で出会った、目のないポッカリ眼窩の空いた被曝したマリア像は、その時はゾクッとするほど衝撃的でしたが、時間とともに記憶の彼方へ消し飛んでしまっているかのようでした。 でも、10年ぶりかで浦上天主堂のフィルムを目にしたとき、実像が出てくる前に、あっ、という感じで思い出しはしましたが。 残骸になった浦上天主堂が保存されていたら、何の問題もなく、原爆ドームとまったく同じ歴史の証人となって、今も私たちに多くのことを語りかけてくれたことでしょう。 そうです、長崎が、どうしても原爆ドームのある広島に比べて印象が薄いのには理由があったことを、あなたはご存知でしたか? すべては、教会への誤爆、という真実を歴史から葬り去る目的で、アメリカ政府が動いて浦上天主堂を取り壊させたのです。 最初の計画の北九州・小倉上空が悪天候のために視界が効かず、第2目標の長崎へ向かい三菱兵器製作所めがけて原爆投下。それが誤ってキリスト教の教会である浦上天主堂を破壊し、信者8,500人をも虐殺したという事実を、キリスト教の国であるアメリカにとっては歴史に残る負のイメージを何としても拭い去らなければならないということで、強力な政治的圧力もしくはお金で頬を叩くみたいな懐柔策が働いたのだと思います。 田川務という当時の長崎市長が、保存をすすめていたにもかかわらず、アメリカから呼ばれて帰国後は一変して方向転換し取り壊すことに強力に動いたといいます。 この時、田川務長崎市長がアメリカで会った日本国連協会のウイリアム・ヒューズなる人物も、昨年の調査によると実在しないことが判明したり、1960年代初めのタイム誌に載った文面を見てみても、アメリカがいかに原爆の被害の小ささや投下の正当性を声高に叫んでいたか、盗人猛々しいとはこのことかと思うほどです。
広島と長崎。世界広しといえども、原子爆弾という人間が作り出した 悪魔の兵器の犠牲になった稀有な都市。 同じ被爆地だけれど、広島と長崎では何かが違うと感じていた。 それが本書のタイトルで腑に落ちた。 そう、広島には原爆の悲惨さを今に伝える原爆ドームがあるが、 長崎には平和祈念像はあるものの当時の姿...続きを読むのまま保存されて いる建物がない。 否、長崎にもあったのだ。爆心地にほど近い場所にあった浦上 天主堂の廃墟だ。原爆の記憶を留める天主堂の廃墟は、当初は 保存の方向で検討され、長崎市長自らが保存方法について 研究するよう指示を出している。 だが、ある時から市長は廃墟解体へ舵を切る。アメリカから唐突 に持ち込まれた長崎市とアメリカ・セントポールとの姉妹都市提携 の話。そして、それに基づく市長の渡米。 一体、何が市長の心を変えたのか。原爆投下を正当化して来た アメリカの圧力があったのではないか。著者はアメリカに渡り、 公文書館で資料を掘り起こし、天主堂廃墟解体の謎を追う。 廃墟保存から一転、解体派となった長崎市長の発言の変遷や、 姉妹都市提携と市長の訪米の経緯を追った部分はまるで ミステリーを読んでいるようである。 原爆の記憶を消したいアメリカの大きな力が働いたのではないか と、陰謀論紙一重に考えに取りつかれそうだが著者が断定して いないところがいい。 衝撃的な話もいくつかあった。アメリカの聖職者が来日の折り、 原爆投下について謝罪したところ、アメリカへ帰国後に司祭の 地位を剥奪されたそうだ。そこまでするか、アメリカ。 そして、アメリカでの長崎市長のインタビュー記事には目を疑った。 何度も読み返した。「広島は原爆を政治的に利用している」との 批判だ。同じ被爆地の市長が何故?一体、彼に何があったと いうのか。 浦上の聖者と言われた永井隆の主張への疑問、キリシタンの 村としての浦上の歴史、天主堂建立までの苦難等も盛り込まれ、 日本の都市のなかでも特殊な歴史を歩んで来た長崎が背負って 来たものが分かりやすく書かれている。 「もう教会が結論を下したからしょうがない、むこうが建てるという のだからしょうがない、そういう消極的な態度ではなくしてこれを 単に長崎の観光地というけちな考えで残そうというのではなく、 全人類の二十世紀の十字架として、キリストのあの偶像が犠牲 性のシンボルであるならば──二千年前の犠牲のシンボルで あるならば、私はこの廃墟の瓦礫は二十世紀の戦争の愚かさ を表象sる犠牲の瓦礫である、十字架であるとそういう意味に おいて、唯物的な考えから申せば、市長がさきほどももうされ ましたように、そう大して残すほどのことではありませんが。 しかし、精神的に長崎を訪れる各国の人たちが、一瞬襟を 正して原爆の過去を思うその峻厳な気持を尊ぶ原爆の資料 だと信じております」 廃墟解体を主張する市長に対し、保存を強硬に主張する市会 議員の訴えだ。 二十世紀の十字架。原爆で破壊された廃墟は解体され、 浦上天主堂は再建された。広島の原爆ドームのように 天主堂の廃墟が残されていたら、長崎の取り上げられ方は 少々違っていたのかもしれない。
広島には三度行ったが、長崎には行ったことがない。そしてヒロシマの本は何冊か読んでいるのに、ナガサキの本をそう言えばきちんとは読んだことがないことにあらためて思い至った。 "No more Hiroshima, no more Nagasaki"とは言われても、ナガサキだけが独立...続きを読むして語られることの少なさ。それは第二の被爆地であるからだけではないのではないか、というのが、この本の着眼点である。 ヒロシマにあるシンボリックな「原爆ドーム」。原爆への思いを結集させる象徴が、一方のナガサキにはない。それはアメリカ側の圧力によって消されたのではないかという主張だ。 前半、ぐいぐいと引き込まれた。著者自身の母が被爆者であること、その母と浦上を訪れた思い出から、浦上の歴史、米軍の記録からたどる原爆投下位置が長崎市街地でなく浦上となった理由まで、視点が変わるたびに新たな発見があり、「そうか、そういう見方があるのか」とめまいに近い感覚を味わった。しかし、後半、おそらく著者がもっとも述べたかったのであろう、「なぜ浦上天主堂の廃墟(=ナガサキにとっての原爆ドーム)が残されなかったのか」をさぐる部分は、個人的には、「始めに結論ありき」の印象を受けた。 長崎市とアメリカの一都市が姉妹都市となることが決定し、市長がアメリカを訪れる。帰国した市長は、それまでの「天主堂を残すべき」という立場から一転、「廃墟を取り壊す」派に豹変していた。そこにアメリカの懐柔があったのではないかというものである。 著者は丹念に資料にあたっている。しかし、出てくるのは状況証拠と行っていい類のものに私には感じられた。まるで白紙の状態で資料にあたって、この結論は導き出せまい。 いや、懐柔があったのだとしても。 このとき、豹変した市長の言を跳ね返すほどの世論の高まりはなかった。 保存しようと努力する人々はいても、取り壊し決定から保存へと方針を覆させるほどの「空気」はなかった。そういうことだったのではないのだろうか? この本に限らず、謀略説を目にするたび、謀略を企てるサイドは、世論を含めた先まで読み通せるものなのか、いつも疑問に思う。変数が多くなればなるほど、予測は困難だ。 そして世論とは、とてつもなく大きな変数が動く、得体の知れない怪物だ。1つの力がおそらく働き、たまたまその力に有利なようにことが動いた。 起きてしまったことをふまえて、この先どうするかが重要なのだろう。 天主堂の廃墟が消えても、原爆が落ちた事実は変わらない。 著者あとがきの最後に掲げられた詩が胸を打つ。
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ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」
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高瀬毅
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