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郊外の団地の小学校を舞台に、自由で民主的な教育を目指す試みがあった。しかし、ひとりの少年が抱いた違和感の正体は何なのか。「班競争」「代表児童委員会」「林間学校」、逃げ場のない息苦しさが少年を追いつめる。30年の時を経て矛盾と欺瞞の真実を問う渾身のドキュメンタリー。(講談社文庫)
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Posted by ブクログ
p.23 最後 滝山コミューンの定義 p.179 最後 筆者の違和感 どこまでが事実で、どこからが自分の意見なのかということを明確に分けて書いているため、わかりやすい 民主主義という名のもと、教師主体の権威主義が横行していた1974年の滝山団地を切り取り、筆者の問題意識を検証する形で進むノンフィ...続きを読むクション。圧倒的な資料をもとに一つ一つ丁寧にその時代を形作っていくプロセスは、研究として素晴らしいと言わざるを得ない。また、過去の事実の中でも特に自己の関心がある部分に焦点を当て、議論を進めることに客観性の欠如があることは認めながらも、まさに当時を生きた自分こそ社会であるとしたスタンスにも共感する。 自分が小学生の頃、このような民主主義という名のもと権威主義は横行していなかったか、もしそうだとしたら自分はそれに違和感を感じていたのか、改めて問いたくなる著書であった。 また、改めて教育とは、生徒と教師だけでない、多くの人々の影響、時代背景を現実へ映すものであると実感した。
個人的にも暴力機構に関しては敬してこれを遠ざけたいが、「ひのきみwて馬鹿だし」 とか言ひかねない先生方が、ナチス・ドイツもやったやうな暴力機構補完の儀礼を行ふといふ、すごいものが展開してゐた学校での地獄の生活を振り返る。 かの鬼のパンツ販売促進歌、も暴力機構補完のために使はれた、と言ふのは、なん...続きを読むつうか。 最近遠山啓先生の本が本屋さんで売ってたようわぁといふか、当時の教育界で問題があるつうたら遠山先生くらゐなんだよなぁと言ふか。
理想を目指すのはどのような社会にあっても必要なことなのですが、それが行き過ぎると第三者の眼には奇異に、ときには恐怖すら覚えることがある。また、集団行動は美しさの内に狂気を秘めているように見えることがある。
まず、装丁がすばらしい。 カウンターが示す1974とその数字のズレは固まった過去ではなく、つながりと変化の印。むちゃくちゃにセンスがよかったから、アヴァンギャルドな内容を若い研究者が書いているのかと思ってたんですが、読んでみると大学教授が自叙伝的に記す戦後民主主義の話でした。読んでいる途中思わず背...続きを読む中がゾクっとしました。装丁も内容もいいなんてなんてすばらしい本なんでしょう。 民主主義の裏にある集団思想の影は、ニュータウンにある学校でのとっても局所的な、ある意味奇跡に近いような「優性な世界」。筆者は感情的な拒否しているけど、考えとしては否定も肯定もしていないように思う。僕も同じように思う。肌には絶対合わないけれど、集団を扱う上では成果を出せる主義思想なんだと思う。 民主主義とか大きな話はわからないけど、弱さについてどう向き合うべきなんでしょうか。 とにかくいい買い物でした。
著者が生まれ育った東京都東久留米市にある滝山団地にあった、東久留米市立第七小学校(通称「七小」)を舞台に、当時の日本の社会や政治の時代の空気に反映された、著者が「味わった」出来事を綴った本である。 当時の七小は団地に住む大人や当時の時流だった民主主義的教育を実践する教員たちの思想が如実に児童たち...続きを読むの行動様式に反映されていた。著者曰く、最も民主主義的な学校社会が形成されていた「滝山コミューン」であった。特に全国生活指導研究協議会の「学級集団づくり」による学級(学校)の運営が、団地という言わば閉鎖的なコミュニティと相まって、見事なまでに浸透し、「教育」と呼ばれる思想伝播が個人から集団へ、また学校全体へと波及していく様子が、学校での授業や学校行事を通じて見えてくる。 そこで見られるのが、当時のある教員から波及した「民主主義的教育」と呼ばれうる〈全体主義〉が生徒に浸透し、著者がその息苦しさに苦しむ様であった。学校の中の社会も、当然ながら学校外の社会状況や社会思想から影響を受けている。著者の個人的な体験からの主観論の部分は確かにあるけれども、学校での〈全体主義〉の浸透で、その鏡ともいえる社会でどのような思想構造があったのかも時代背景を交えて記録されている。特に公立学校は、教育基本法や学校教育法、学習指導要領、自治体の教育目標を踏まえて学校目標が設定されているが故に、教育内容も当時の社会状況とは切っても切り離せない。この点は踏まえるべきだろう。
中学生の時に体験した悪夢の一端が書かれている本。。時代はだいぶズレてるし、地域も違うんだけど、こういう強烈な集団主義教育の根底にどのような思想があったのかを知ることができた。「ボロ班」とかあったよなあ・・・。
過去の物語か、今も現場で起きているのか? 「自由で民主的な、生徒が主体となって活動する小学校」での鬱屈した日々を、筆者が振り返る自伝的ノンフィクション。 筆者が小学生時代を過ごした1970年代の滝山・東久留米市立第七小学校では、若く熱意のある教員と、それを支えるPTAによって、全国生活指導研究協議...続きを読む会(全生研)の指導方針を軸とした「民主的教育」が追求された。班単位での生活指導、代表児童委員会による選挙と委員会活動、生徒主体の林間学校...。しかし、その中で連呼される「みんな」という言葉に違和感を抱き続けた筆者は、中学受験塾に自分の精神的基盤を置き、学校を批判する側にまわる。そして30年以上たった今になって、筆者は当時の関係者を尋ねてまわり、あの時あの小学校で何が起きていたのかを振り返って行く。 筆者が振り返る当時の様子は、今の学校現場とはかけ離れているようで、しかしどこか今もどこにでも見られる要素も残っていて、読んでいてうすら寒い思いを抱かせる。 僕は小学校の教員でもないし、勤務校もやや特殊な環境なので、事情がわからないところも多々ある。しかし読んでいて痛感するのは、小学生に対する担任の一時的な影響力は、中高に比べてはるかに強いのだなということ、そして担任の側でも「いい学級」を作ることへの欲望が強いのだなということだ。少なくとも「学級」というシステムが、個々の志向や能力を超えて、生徒や教員をそのようにふるまわせる構図を持っている。そのことに充分に自覚的でなくてはならないだろう。 第七小では、「いい学級」を目標に、日常的な班活動を基盤としつつ、合唱やキャンドルをはじめとした行事の工夫が小道具として配置され、抑圧的な空間が形成されていく。若く魅力的な教員の指導のもと、そのような学級づくりが完璧なまでに機能していくその様子、そして「自由」や「生徒主体」という言葉がどんな中身でも入れられるマジック・ワードとして機能する実例を見られたことは、教員としてとても「勉強」になった。 このストーリーはあくまで筆者の側から語られる一面的な記録にすぎない。当時の教員や生徒たちの思いには充分に踏み込めていないし、公正ではない。第七小の取り組みを評価するには、別の記録を見る必要もあるだろう。 しかし、日本の学校が「学級」という制度のもとで作られ、そこが権力発動の場となる生々しい実例がここにはある。学校空間を相対化し、適度に距離をとってその意味を問い直すためにも、教員は読んでおくといい本だと思う。それだけでなく、その中を生きることを余儀なくされている生徒にもおすすめできる一冊。面白いよ。できれば柳治男「<学級>の歴史学」とあわせて読むとなお面白いかも。
1974年。西武新宿線沿線の北多摩郡久留米町に開発された滝山団地。総戸数3080戸。開発前に約19600人しかいなかった久留米町の人口は10年後の70年には4倍の78000人となり市制を導入して東久留米市となり、北多摩郡は消滅した。そして著者がこの滝山団地から通ったのが東久留米市立第七小学校である。...続きを読む第七小学校は滝山団地の児童を受け入れ、全校児童の殆どが団地の児童となった。均質化された団地住まいの家庭の児童が大挙して通ったクラスは児童や両親の考え方も均質化していた。先ず始めにP.T.Aの民主化が行われ継いで団塊世代で先日まで学生運動をしていたような新任の教師が赴任して「水道方式」と「学級集団づくり」に基づく新しい教育方法を実践する中で達成されたのが「滝山コミューン」「民主的」という言葉を使いながらその中身は全体主義でソビエトや中国の共産主義の「悪い部分」を抽出したかのような「組織づくり」に著者は困惑と嫌悪を覚え、当時まだ少数派だった私立中学受験たのための学習塾通いに息抜きを見つけようとする。当時から30数年経ってから振り返り、検証する渾身のノンフィクション。
筆者個人の体験に根ざした半自伝的な一冊。 1970年代、都内の小学校で試みられた「自由で民主的」な教育。 それは個人の自由よりも集団行動を優先させた極端な民主化の姿でもあった。 集団行動に馴染まない筆者を追い詰めていく場の空気感が怖しい。 原センセよりは少しあとの世代ですが、やはり同じような...続きを読む雰囲気が、当時の公立小中学校にはあって、異常なまでに児童、生徒による「自治」が推奨されてたんですよ。生徒総会とか、生徒会選挙の熱狂が凄かった。 ただそれも、一部の先生方による強いられた「自治」だったのだなと、いまとなっては思う。 係を選ぶときに立候補させ「ダメな方」を落選させる消去法選挙。ベルが鳴ったら席に着く「ベル席」の仕組み(座ってないと減点)。非協力的な児童を責め立てて「自己批判」させる謎の空気。 当時はなんだかよくわからなかった「熱狂」の、思想的背景を知る意味で、ものすごく腑に落ちた一冊でした。 集団行動に馴染めなくて疎外されていく、原センセなのですが、鉄道趣味や、中学受験による塾通いで「外の世界」を持っていることが救いとなっていく。 学校や家庭以外に、第三の場所があることの大切さも教えてくれる一冊でした。
どうして日本人は保守もリベラルもいつのまにか権威主義、異質なものの排除という方向に向かいやすいのか… 戦後史における政治の時代と団地文化を関係付けた論考はとても面白かった。 その一方で筆者も自分で書いてはいるが、「学者が自らの体験をもって語った」という構造上、そこには小さくない歪み、思い込みが織り...続きを読む込まれている。言ってしまえば、「あなたの小学生の記憶、それも学校やクラスメイトに少なくない疎外感、反発を抱いていた状態での主観的な記憶がどれだけ真実性を含むか」という批判である。その点からも、筆者の記憶や日記だけでなく、級友や保護者たちの証言ももう少し欲しいところだった。
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滝山コミューン一九七四
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