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多くの共通点をもち、互いに影響を与えながら、二つの国で「日本人」「アメリカ人」はどう形成されるのか。とりわけ摩擦の一因ともなっている“個と集団”への意識はなぜ異なるのか。子供観の検討、初等教育の比較から、著者は集団への同調行動の二つのモデルを見出す。両国で教育をうけ、カルチャーショックと逆カルチャーショックに交互に見舞われた熱い体験と、初等教育の現場での冷静な観察から生まれた、日米比較への新鮮な視点。
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Posted by ブクログ
日本とアメリカを比べながら、どちらが優勢かではなく、今後どのようにしたら良いかを示してくれる本です。 英語が重要視される中、アメリカ式の方が良い、または日本流はアメリカに比べて劣っている。これは本当なのでしょうか。 グローバル化が進む現在で、比較して選ぶのではなく、互いを尊重できる人になってもらいた...続きを読むいです。
欧米人は自分をはっきり主張する,一方で,日本人は自分の主張よりも協調性を重んじる,などということがいわれたりする.異なる国に住む人々は異なって当然だけど,その違いはどこから来るのだろうか? 読後に思ったこととして,ある国の国民性というのは,人種によって決まるのではなくて,おおむねその国の教育システ...続きを読むムや社会システムといった人々が暮らす環境によって決まるのではないかということだ. まあ当たり前といえば当たり前かもしれないが,改めて気付いた. 仰々しいタイトルだが読んでみると,中身は,日米の主に小学校教育の比較である.わりと興味の引く内容でおもしろかった.
『人間形成の日米比較 かくれたカリキュラム』恒吉僚子 著 中公新書 ★第一章 日本―性善説・・・子どもを叱るときは、本来あるはずの“良心”に訴えかけながら諭す。 元来、邪心がない子どもを軌道から外れた時に粘り強く方向を正すとう日本の伝統的発想は、まさに、わざと曲がろうとして変形し...続きを読むてしまったわけではない植物に、添え木をするのと似ている「植物モデル」 アメリカ―性悪説・・・放っておいたら子どもの中の悪魔が暴れだす。きちんと毅然とした態度で叱って“矯正”しなければならない。(ピューリタンたちの信仰「人間は生まれながらにして罪深い存在である。」に由来する) 子どもの本性は、矯正すべきわがままな意志を持つ動物的存在 「動物モデル」 ↓ しかし、今は変容している。ここまでの極端な考え方はなくなった。 日本の学校・・・感情型の説得法。日本的な集団管理体制のもとに、直接鑑賞を控えながらも教師が教室を統制できる状況を作り出している。 ・同調は、「個」の犠牲ではない。相手との感情移入を軸としながら同調するような一体感。 アメリカの学校・・・権威型の説得法。より自他を意識の上で切り離した自我構造に結びつきやすい。 ・同調は、自分の「個」を犠牲にするもの。 ★第二章 とりあえず、著者がアメリカと日本の学校を見比べて思ったこと。 →「人はある社会の一員である故に見えることと、一員であるためにかえって見えないこととがある」わぁ~って。 日本の学校・・・日本の小学校は、アメリカには存在しないような数多くの協調行動の場、そして、それを通じて、感情移入能力の練習の場を与えていると考えられる。 Ex)児童会活動、クラブ活動、遠足などでもグループ分け、集団登校、運動会・・・ ・日本はとにかく 指示が細かい!! ・生まれつきの能力差なんてないサ。たとえ存在しても環境や努力といった後天的なものに比べれば大したことナス。 アメリカの学校・・・日米で同じ係が存在する場合も、そのあり方が違う。役割がそれぞれ個人の判断に委ねられる。細かい規律はナシ。 ・生まれつきの能力差は認める。それを厭わぬ。→ギフテッドを認める。 個人間に生まれつきの能力差が存在するのだという考え方自体は、今もなお多くのアメリカ人の間に力強く生き続けている。→だからこそ、「自己顕示術」がマスト!!!!!!!!!!上手に自己宣伝しないと生きていけない。 ・「なにがしかになる」道の第一歩は、「なにがしらしく振る舞う」こと ・学校は、特別な必要性があると判断されれば他の人とは違う扱いをされるのだというメッセージを送っている。 共通点・・・学校が教えることとして掲げている教科などの公式のカリキュラムの他に、児童たちが人間関係などを通して自ずから学んでいく潜在的カリキュラム「かくれたカリキュラム」が存在する。→学校は、社会を様々な形で反映している。 ★第三章 日本の学校の小集団活動の特徴・・・ ①目標、手順、役割が明確である ②活動がルーティン化されている ③児童相互の集団規制を利用している ・教師が集団による役割分担と児童相互の規制を利用しつつ、直接統治と間接統治を併用 ・同調の根拠を、児童の内面に委ねている「内在型」 アメリカ・・・教師が個人的リーダーとして、自ら指示を下して児童を率いていく ・相手の内面よりも、物事の因果関係や力関係などの、非感情的な、より外在 的な要因による同調を促す「外在型」 ★第四章 アメリカ人にとって、「自分は黒人である」「自分は中国系アメリカ人である」という事実は、「自分が男性である、女性である。」ということと同様、根源的な認識である。→人種やエスニシティの違いは重要。 ローレンス校はレベルに応じてクラス分けがなされているが、レベルが上がっていくにしたがってマイノリティの数は減っていく。 →→人種と深く関連した階級や、意識の違いなど、目に見えない壁によっても仕切られている。
20年前だけどきっとそんなにかわっとらんのだと思います おもしろいなあ。育ち方にこんなに違いがぁぁ
よくアメリカは自由で、個性が伸びるとかいうのを聞く。実際自分もそう考えていた一人だった。でも本当にそうなのか?日本人は自由でないのは、本当なのか?続きは本書で…。 アメリカに少し住んでいて、いかにアメリカ人への偏見をもっていたかは身にしみて感じたが、でも「やっぱりな」と確信になることも色々あっ...続きを読むた。結局のところ、ものは見方というところもあるのだろう。 大人は子供を育てようと色々な努力をしていて、それがそれぞれの土地によって適した方法が違うだろうというのは想像できる。しかし、根幹にある「子供をよく育てたい」というものは一緒だ。だから比べることができて、そこにある違いを探せば面白い。教育を比べることによって、国の違いが見えてきて、良いところは真似して、違うところは違うところで理解しあうことができる。 比較をすれば、自分がなにものかがよく見えてくるのだなということで、日本の教育ってどうなの?と感じている人は、ぜひ読んでみてほしい。
1992年の本であるため文献としてはもはや古いです。 僕が初めてこの本を読んだのは約5年前でした。 その時の衝撃は凄まじくまた驚愕したものですが、再読すると、拍子抜けやら肩透かし…最早色褪せたような感触でしかありませんでした。 乳幼児の子育てに関して、アメリカでは性悪説に則り『甘やかしは堕落へ...続きを読む導いてしまう』と危惧して厳しくしつける。 例えば赤ん坊の夜泣きは親に対する挑戦と捉え、授乳を禁止し泣き止むまで放っておく。 一方で日本では性善説的見地から『かんの虫が強い』と責任転嫁し、赤ん坊はわざと泣いたり迷惑をかけたりしているわけではないとし、寛容な子育てをする。 学校生活(特に小学校)に関して、アメリカでは教師の厳戒な統制が図られ、反発した生徒には厳罰を下す事も辞さない、言わば軍隊のような教徒関係があり、 日本では、生徒を数人の班やグループに分け、その中で協調し、教師は間接的支配者となって運営する。その主な手法は他者の感情に訴える(○○ちゃんの気持ちを考えるといじめは良くない、等)『感情移入』を用いる。 それらが及ぼす影響はどのようなものか。アメリカ人は個人志向で日本人は集団志向という一種のステレオタイプ形成に少なからず関係してくるのではないか。個の違いを前提・尊重するアメリカでは、対人において主に言語を用いて意思の疎通を行うのが当たり前で、日本では上記の感情移入能力が長けているため以心伝心や阿吽の呼吸、つまり前提を共有しているため言語に頼る事が相対的に小さい。 以上が本書のまとめとして、 日本語自体に主眼を置いた森田良行著『日本人の発想、日本語の表現』では、元来日本語には高い場面依存の特性(高コンテクスト)を持っているとし、話者を客体化しない表現として、必然話者依存の語りとなり、忖度しなければならない (例えば、『ここはどこ?』に対応する英語は『Where am I?』と、 いちいち『私』と言わなくてはならない)。 そう考えると、人間形成は環境に支配されるというよりも寧ろ言語に支配されていると言った方が的を射ているような気がします。そしてそう考えるなら、使用言語によって既に限界が規定されているとも言えます……もちろん拡大解釈ですが。 総じて、まぁ、まぁ面白いです(笑)
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