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Posted by ブクログ
この文庫を読む前に、「つむじ風」を読んでしまった。
楽しく、スピード感のある「つむじ風」の感覚のまま、この文庫の四つの作品を読むのは、なんだか辛く、せつない感じが増強したような気がする。
戦争という特異な現場で、死を間近で感じながら、理不尽な責め苦を味わい、それでも戦い続けなければならない人々の苦悩。
想像すらできない。
戦後を代表する作家として活躍した梅崎春生であっても、けして語りたくない、なんとしても語らなかった事実があると、作家案内の中で書かれている。坊ノ津での出来事はわからないままのようだ。
当時に生きる人々は誰もがそんな思いを抱えて、生きていたはず。
そんな思いをこの文庫の中に見つけたような気がする。
「幻化」を執筆するに際して、妻と共に旅した鹿児島、熊本。辛い思い出ばかりではなかったのか?
妻に「いいところだろう」と語っている。
この夏、広島や長崎の原爆の日を経て終戦の日がやってくる。
小説の中でその現実を少しでも感じ、思い、また日々を過ごしていかなければと思う。
Posted by ブクログ
戦争という事実の記憶は、戦後66年経って、まだどれだけ生きているでしょうか。私たちは、その記憶を保ち続けることはできるのでしょうか。
梅崎春生は、いわゆる「戦後派」の作家。梶井基次郎の影響を指摘される、鋭敏な感覚を持つ作家です。彼の代表作のひとつ、昭和21年9月発表の「桜島」は、作者自身の体験をもとにした作品。終戦の迫る1ヶ月余りの時間を、鹿児島県の桜島の海軍基地で過ごす暗号員の話です。日本の敗色濃厚な状況で、情報がなかなか入ってこないことにいらだちと不安を隠せない上官や主人公の、極限に追い込まれた精神状態が描かれています。
「その夜、私はアルコールに水を割って、ひとり痛飲した。泥酔して峠の道を踏んだ時、よろめいて一間ほど崖を滑り落ちた。瞼が切れて、血がずいぶん流れた。窪地に仰向きになったまま、凄まじいほど冴えた月のいろを見た。酔って断れ断れになった意識の中で、私は必死になって荒涼たる何物かを追っかけていた」。無頼とも言えるこの文章は、実際に生命の極限に曝された時だけ生まれるものでしょう。梅崎の小説は、今もまだその時間を、本という印刷物に封じ込めているのです。
しかし一方で、今回この小説を再読してみて、私は、2011年という現在において、この小説が悲鳴を上げ始めていることも感じました。梅崎の体験をリアルに感じることは、それを阻むだけの時間がすでに経過していて、難しくなっているのです。いわゆる「戦争文学」の命脈が危うくなってきています。21世紀の現在において、戦争を語る意義を考えるきっかけとしても、読んでおきたい作品です。併録の「日の果て」、後年に書かれた「幻化」も、戦争を題材にした作品です。(K)
紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2008年8月号掲載
Posted by ブクログ
初期の作品3つと、最後の作品「幻化」が収録されている。「桜島」などつとに有名なものはたぶん高校生の頃読んだと思うのだが、手元になく読み返したかったので買った。
それにしても講談社文芸文庫は高い。ハードカバー並みに2,000円するものもあり、ちくま学芸文庫よりも更に高い。売れ線でない本を敢えて売っているラインナップは魅力的だけれども、高いのでなかなか手を出せない。異様な高さの代償として、一つ一つの巻末に「作家案内」や「著書目録」が入っているのは、それはそれで意義があるのだが。
本書の巻頭に収められている「風宴」(1938《昭和13》年)は24歳の頃書いた処女作で、翌年雑誌に掲載された。この作品は良くなかった。文学的表現を振り回しているけれども青年の心情の中身は空洞であり、意匠の乱発の割には読んでいてまとまったゲシュタルトが得られない。文学的意匠が空回りしているのだ。だから、なんだか無意味に気取って書いているようにも感じられてしまう。
しかし、そのような気取りは次の「桜島」(1946《昭和21》年)ではかなり緩和されている。作者が実際に召兵で赴任した坊津と桜島を舞台とするが、人物や出来事は全くのフィクションだという。戦争における小隊の空気がリアルに描き出されている。本編はやはり、日本の戦争文学として好個の作品と思う。良い。
続く「日の果て」(1947《昭和22》年)はフィリピンから復員した作者の兄から聞いた話を元にして書いたものらしい。ここでは、戦争で敵兵を殺戮するのでなく、規律から外れた仲間の兵士を命令によって殺害しに行く物語である。非情であらがえない「命令」という理不尽な正義のために、死んでいかなければならない人間の命の弱さが浮かび上がる。これも悪くないが、私は「桜島」の方が気に入った。
最後の「幻化」(1965《昭和40》年)は50歳で亡くなった梅崎春生最後の作品だが、これが素晴らしい作品だった。精神科病院から逃走し、「桜島」を書いた元となった作者自身の戦争体験やその前の学生時代といった記憶を蘇らせつつ、旅をするという、無意味なようでいて「死」に向かって、それに寄り添ってひたひたと歩み続ける生の空虚感、はかなさなどが読み進めていくとみなぎってきて感動させられた。
最近私は松本清張や横溝正史など、娯楽系の小説も多く読んできたところだが、本書などを読むと「文学だなあ」と思う。梅崎春生が受賞したのは直木賞の方だが、やはりこの作家は純文学の系列に属している。娯楽的な領域に住んでいるわけではない。
エンタメ系小説の読書と、純文学系のそれとでは、楽しみの質がやはり違っていると感じる。どちらもすこぶる充実したものであり得るので、全部を楽しんでいきたい。
梅崎春生はリバイバルの兆しが無く、講談社文芸文庫のラインナップも絶版となっているものがあるようだけれど、もう少し読んでおきたい。
Posted by ブクログ
『幻化』は、戦争文学である『桜島』とは異なり、戦後文学であるという点がやはりポイントなのだろう。戦争があり死が身近であった青春を振り返り確かめることを通して、生がよりくっきりと感じられた。
『幻化』を読んでいる最中は人称がいつも気になった。三人称で書かれていると思ったら、主人公の幻想(?)では一人称的な書き方となっている。これによって、主人公の精神が本当に病んでいるのか、病んでいたとしてもそれによる幻想が必ずしも非現実であるとは言い切れないような感じとなっているのではないだろうか。
『日の果て』のラストはまるで映画のクライマックスのような時間感覚によって、主人公の心理に迫る描写が面白かった。
解説が良かった。解説者の本作に対する思い出話ほどどうでもよいこともない。このような解説が増えて欲しいものである。
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