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室町時代、倭寇が蠢動する朝鮮の海。 母を倭寇に拉致された少年は、母の奪還を胸に秘め、日本と朝鮮をつなぐ外交官に成長した。 平和外交に尽力した、李藝の生涯を追う。
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Posted by ブクログ
「私の人生は八歳の時、突然、夜中に母さんを拉致された時から始まっている」。 倭寇=東アジアの人々を脅かした海賊=に母親をさらわれた李藝(イ・イエ、1373~1445)は強くなって敵に立ち向かうことを決意する。彼は、朝鮮式武術を学び、さらに日本の西国大名・大内義弘の家来である新左衛門の教えで15歳...続きを読むからの5年間で日本の武術を体得する。 新左衛門はいう、「武術は、我が身を守る以外には、武器を持たない民を守るもの」と。厳しい鍛錬の日々は、高麗王朝の末期、南方の倭寇、さらには北方の紅巾族を打ち破って朝鮮王朝が成立する時代と重なっていた。 李藝は、母への思いを胸に、壱岐、対馬で外交官としての実績を重ね、1422年、50歳で日本の幕府と交渉する使節の一員となった。彼は、生涯の中で、さらわれていた同胞667人を祖国に連れ戻し、対馬に分引制度(ビザの発行)を敷き、対馬との間に癸亥(きがい)条約(貿易協定)を締結し、最初の朝鮮通信使として以後の交流の道を開いた。 作者が「朝鮮通信使」という言葉を知ったのは最近のことだという。サムスン元日本支社代表取締役の李昌烈(イ・チャンヨル)さんと出会い、先祖が室町時代の朝鮮通信使の始祖であることを聞かされたことがきっかけで詳しく調べ始め、感動して小説化するにいたった。 読みながら、朝鮮半島と中国大陸、日本列島の歴史は、現在の国の枠組みに縛られずに知っていくことが必要だと感じた。海賊としての倭寇が死に物狂いで暴れていた時代、高麗から李氏朝鮮(朝鮮)、鎌倉幕府から足利幕府(日本)、元から明(中国)という大きな変化の時に、家族を重んじ、隣国との信(よしみ)を通わせる使いとして力を尽くした李藝という人の存在があったことを知る意味は大きい。 本書の主要な舞台で、外交上の重要拠点であった対馬は、古代山城・金田城(かなたのき)が築城された場所であり、この金田城と並び、日本書紀に記録されている屋嶋城(高松市)など西日本各地で確認されている朝鮮式山城の研究が進み、古代山城サミットなどで新しい交流が進む中で、一層、注目度が上がっていくと思われる。また朝鮮通信使が移動した瀬戸内海などのルートと各地での足跡をクローズアップすることで多くの人々に歴史を見つめ直す機会が提供されることを期待する。 李藝と彼の母親を引き離した倭寇は、日本にとっても敵であった。彼は国と国、民族と民族の対立を超えた、家族を破壊する共通の敵と戦った人だったのではないだろうか。
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