ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
9pt
日本のゲノム解読プロジェクトの歴史をひも解き、1980年代前半にアメリカよりもはるかに先行していたと言われながら、最終的に、ゲノム解読の国際プロジェクトへの貢献がわずかに6%に終わってしまった、その敗北の軌跡を丹念に描いている。
アプリ試し読みはこちら
Posted by ブクログ
日本のゲノム政策がどのようにして進められてきたのかが克明に描かれている。最先端を行っていた科学者が、日本省庁の戦略ミスによって世界に取り残される危機感・・・。臨場感あふれる書き方も良かった。
1980年代にヒトゲノム解読の先鞭を付けた日本だったが日米貿易摩擦によるバイ・アメリカン、いまだに続く物理学と生物学の領域争い、少ない予算、文部省と科学技術庁に分かれた管轄争い、そして何よりも大学教授の発明に対して特許を認めない当時の方針もありプロジェクトは進まない。 一方のアメリカはプロパテント...続きを読む政策を推進しまたヒトゲノム計画ではDNA二重螺旋発見のジェームズ・ワトソンが中心となり予算を獲得し日本を抜きさる。元々親日家だったワトソンだがヒトゲノム計画への資金供出をしぶる日本の官僚機構に対しては怒りを隠さず、金を出さなければ解析データーの利用は認めないと脅しにかかり、一方でアメリカ議会に対しては当時進んでいた日本の脅威をたてに研究予算をぶんどる。 最終的に全ゲノム解読の日本の貢献は6%とアメリカ59%、イギリス31%に比べるとごくわずかとなった。 ゲノム解読の高速化の転換点となったのがそれまでのx線に変えてDNAの塩基に蛍光体で目印をつけてレーザーで読み取る方法で埼玉大の伏見教授が1982年10月に学会発表している。83年4月に特許出願するが科学技術庁から国家予算による発明に対して特許による独占権は認めないと待ったがかかり84年1月に特許を取り下げる。(ちなみにこれが法的に認められるのは1998年、アメリカのバイ・ドール法が発明は大学に帰属すると決めてから20年遅れている)その後、日立製作所の神原が蛍光式シークエンサーを発明し84年に特許出願するが奇しくも84年1月にカリフォルニアl工科大学が同じ特許を出願していた。特許はアプライド・バイオシステム(ABI)に譲渡され、日立はこの特許をすり抜けることができずライセンスを受け共同開発をするが日本の販売権のみでそれ以外の販売権はABIを買収したパーキンエルマーが握った。 ヒトゲノム解読は2003年に解読がすんだが実際にどの遺伝子がどういう機能を果たしているかの研究はまだまだこれからでタンパク質の立体構造を解析するタンパク3000プロジェクトでは日本が先行している。
ヒトゲノム・・・一度は耳にしたことがある言葉だと思いますが、ヒトゲノム解読の国際プロジェクトにおける日本の貢献度は極めて低いものでした。 それはなぜか? もともとこの分野における日本の取り組みは世界でも主導権を取れるようなものでしたが、それを阻む官僚組織や大学内での派閥・・・ ほんの少しですが、バイ...続きを読むオ関係の仕事に携わった者として、身につまされる思いがする一冊です。
レビューをもっと見る
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
新刊やセール情報をお知らせします。
ゲノム敗北
新刊情報をお知らせします。
岸宣仁
フォロー機能について
「学術・語学」無料一覧へ
「学術・語学」ランキングの一覧へ
「異脳」流出
艱難辛苦 五輪への道
GAFA規制の死角 日本は「下請け」のままなのか
キャリア官僚 採用・人事のからくり 激変する「出世レース」
財務省の「ワル」(新潮新書)
出世の法則 財界・官界のトップから日銀総裁まで
職場砂漠
試し読み
事務次官という謎 霞が関の出世と人事
「岸宣仁」のこれもおすすめ一覧へ
▲ゲノム敗北 ページトップヘ