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随筆的小説と称される「吉野葛」。和歌か俳句を一篇の小説にしたような、わび・さびのある珠玉の短篇。大和の吉野の地に伝わる歴史伝説と、友人津村の「親の在所が恋しゅうて」という心もちが織り重なって綴られる。葛の葉、熟柿、蔦、櫨、山漆……秋の吉野は偲ばれる母の双眸。「春琴抄」を発表する前の作品。
豊臣秀吉の側室である茶々の母であり、織田信長の妹、お市の烏孫公主を、「めくら」の三味線ひきが語る「盲人物語」。按摩ついでに語ったものなのか、ひらがな多めで記されており、寥々とした唄のように染み入った。
この盲人、しわしわの爺やと思いきや、32歳ということが終わりころ判明。人生50年の時代だもんね。
お市を慕い、長年女房らにまじって仕えてきたこの三味線ひきが、茶々を背負って逃げる際(秀吉の小谷城攻めで)、茶々の肢体から伝わる温もりでお市のなまめかしさを思い出し、お市らと共に自害するはずであったのに、今度は茶々の慰みとなるため生き長らえようと即座に意を固めるあたり、谷崎らしさが爆発していた。
Posted by ブクログ
『吉野葛』
-芥川の呪縛を離れて
吉野葛は奈良県の銘菓だが、美食家谷崎による「食れぽ」ではない。
尤も、熟柿(ずくし)の魅力を語る場面では、涎が滴るが•••
本作は、吉野を訪ねた作者が語る、母恋物語。
この作品を谷崎潤一郎が書いたのは1931年。
谷崎 45歳。
谷崎を思うと、その6歳年下の芥川龍之介を思い出さざるを得ない。
芥川の『羅生門』発刊記念パーティに招かれた谷崎が芥川と共に写っている。
二人は友好関係を築くが、1927年、小説の筋を巡って激しく論争する。
その論争の直後、7月24日に芥川は自殺する。その日は、「河童忌」と呼ばれる。
だが、それは谷崎潤一郎の「誕生日」だった(!)。
この自殺の日程の決定にも二人の関係を読み取りたくなるのは、当然だろう。
そして、38年後、谷崎は79歳で死去して、両親の墓に葬られるが、その墓の真後ろが、芥川の墓だった。
反発しても引き合ってしまう。
そんな関係を想像してしまう。
因みに、谷崎が不倫関係の末に結婚する根津松子は芥川のファンで、谷崎が彼女を知るのは芥川を通じてだった。
どこまで深い関係なのか。
谷崎に、芥川の呪縛、芥川に対する何らかのオブセッションがあったことは確実だろう。
日本橋生まれの谷崎は関東大震災(1923年)を機に、関西に移住する。
その四年後の1927年に、ライバルであり、盟友でもあった芥川を失う。
『蓼食う蟲』『卍』を発表するが、細君譲渡事件、再婚で困窮、借金取りから逃れるために高野山に籠る。
そこで書かれたのが、『吉野葛』『盲目物語』『武州公秘話』だ。
これらは、芥川との因縁を振り解く作業だったのではないか、というのが、勝手な妄想だ。
『吉野葛』は以下の6章から成り立つ、比較的短い作品だ。
「その一 自天王」
「そのニ 妹背山」
「その三 初音の鼓」
「その四 狐噲」(こんかい)
「その五 国栖」(くず)
「その六 入の波(しおのは)」
この小説の形式を何というのだろうか。
書き手は一貫して「私」であり、作者の一人称で語られる。
芥川と「小説の筋」論争を行い、「小説の筋」を小説の根幹であると擁護した谷崎だが、本作では「小説の筋」らしいものは希薄だ。
だが、芥川の『歯車』などのように、「筋」がなく、神経が剥き出しになった作品とは明らかに異なる。
小説らしい「筋」はない。
だが、ストーリーは面白い。
だから、これは、芥川との論争が作り出した新しい「小説」と言える。
谷崎による「筋のない小説」の創作による芥川への回答、対抗なのではないか。
「小説」のネタを探す作家の旅行記の体裁を取る。
これを現代の批評家は「メタ小説」と呼ぶ。
そんな概念が存在しない時代に、谷崎は、芥川の呪縛を逃れるように(ために)本作を描きたのだ、と思うのだ。
全く新しい「小説」であるが故に、本作は毀誉褒貶を受けた。
だが、現代では、谷崎潤一郎の傑作の一つという評価が定まっている。
それは、本作を、小説世界を構築しようとして失敗した経緯を第三者の視点で描いたメタ作品として、その「現代性」を評価したからだ。
だが、これを書いた昭和初期の谷崎にとって、そんなことはどうでも良かったろう。
書いていたらこうなったのだ、何が悪い、という大家の開き直りを感ずるばかりだ。
これは谷崎に対する非難ではない。
賛嘆だ。
そうした大家の居直りが、新しい小説形式を生み出し、芥川の呪縛から自らを解き放つことになったのだ。
本書のテーマは何か?
谷崎のオブセッションの一つである「母恋い」だ。
後南朝をめぐる小説を構想する語り手が登場するが、後南朝をめぐる歴史物語ではない。
小説の構想を求めて、後南朝の跡を吉野に辿る旅が語られるが、いつしかテーマは「母恋い」に移ってゆく。
「母恋い」は、語り手が、幼い頃、母親と見た『義経千本桜』の歌舞伎を想起するシーンからスタートする。
そして、『義経千本桜』には、親狐の皮を張られた「初音」の鼓の音色に、子狐が人間の姿となって現れる場面がある。
吉野では、その「初音」の鼓の現物(?)が出現し、それにまつわる、案内人である友人の「母恋い」譚がクローズ•アップされてくる。
もし、谷崎が後南朝の歴史物を書いたら、面白いものが出来ただろう。
だが、それは、『義経千本桜』に連なる浄瑠璃•歌舞伎に相応しい、日本人の琴線には触れるが、荒唐無稽の「筋のある小説」となったはずだ。
語り手は、後南朝最後の天皇(?)自天王の物語の構想をこう書く。
「南朝—花の吉野—山奥の神秘境—18歳になり給ううら若き自天王—楠木次郎正秀—巌窟の奥に隠されたる神璽—雪中より血を吹き上げる王の御首—•••。
そこに配するに、鬼の子孫—大峰の修験者—熊野参りの巡礼—王に配する美しき女主人公(大塔宮の子孫の女王子)—•••。」
これは、谷崎の書くべき題材というよりも、柴田錬三郎の伝奇ものと言うべきだろう。
だが、この構想によって、谷崎の想像力が、浄瑠璃•歌舞伎に連なる「伝奇もの」に飛翔していたことが分かる。
彼が、この「後南朝」残映とでもいうべき作品をものしていたら、魅力的な作品になったことだろう。
だが、それは、荒唐無稽な「伝奇もの」がひとつ追加されたことにしかならない。
芥川との小説の「筋」をめぐる論争を、更に芥川の自殺という事態を経て、谷崎には、筋のある「伝奇もの」を書くという意欲が失せていたのだ、と思う。
そのため、『吉野葛』のような、本人にも思いもよらない新しい小説形式が図らずも生み出されてしまったのだ。
蛇足ながら、「後南朝」について触れておこう。
南北朝時代についても、ましてや「後南朝」時代についてもあまり語られることがないからだ。
谷崎が「後南朝」に目をつけたのもそのためだ。
誰も注目しない時代にこそ、想像力を飛翔させる題材がある、そして、その題材は「判官贔屓」と言う日本人の心性に触れる、と小説家の本能が蠢いたのだ。
「自天王」とは何か?
南北朝時代、いや、その後の「後南朝」時代、吉野にいた後亀山天皇の玄孫に当たる、「天皇」を名乗る者のことだ。
後亀山は、南朝の天皇で、後醍醐天皇の孫。後醍醐の皇子、護良(もりなが)親王にとっては(後亀山は)甥に当たる。
元々は、大覚寺統の流れで、亀山天皇を祖とする天皇家の一族だ。
一方の北朝は持明院統の流れで、亀山の兄、後深草天皇を祖とする。
この二つの皇統が交互に天皇を出す仕組みを「両統迭立」と言う。
だが、二人の天皇が同時に並び立ち、南朝•北朝と呼ばれるようになったのは、大覚寺統の後醍醐が、それまでの両統迭立のシステムを廃して、自らの大覚寺統の皇統を唯一の天皇家にする方針を打ち出し、更に、室町幕府(足利尊氏)と対立したからだ。
対抗のため、足利将軍家は、持明院統の北朝を唯一の皇統として天皇を立てた。
このため、日本に天皇が二人並び立つ、「南北朝時代」という、奇怪な時代が現出した。
そんな時代が60年間も続いたのだ。
天皇は暦を支配する。
だから、この時代、元号は二つ存在する。
その対立が解消されたのは、足利三代将軍義満の時代で、南朝の後亀山は皇位を北朝の後小松に譲ることで、晴れて南北は統一される。
天皇は一人になったわけだ。
60年にも及ぶ天皇家の分裂は、足利将軍家に漁夫の利をもたらした。
鎌倉幕府がなし得なかった、西国における支配権を、弱体化する天皇家から室町幕府は容易く奪い取ることができたのだ。
義満は、「両統迭立」を条件に、南朝を懐柔した。
しかし、足利幕府(義満)はその約束を反故にする。
南朝の系統、大覚寺統が皇位を継承させることはなかったのだ。
旧南朝=大覚寺は、「契約違反!」と反発する。
だが、この義満の行為は、かつて後醍醐によって天皇位を大覚寺統で占有するという独占方針に倣ったものと言えなくはない。
それに怒った南朝の遺臣たちは幾度も反乱を起こす。
彼らは、吉野の山奥に「朝廷」を作って「後南朝」と号し、半世紀以上にわたって、北朝•室町幕府と対立するのだ。
一時は、勢力を拡大して、京都に侵入、三種の神器のうち、神璽(勾玉)を奪って、吉野の山に持ち帰ることまでする。
三種の神器の一部を失った北朝は、その正統性の危機に瀕したこともあったわけだ。
だが、最終的に、三種の神器取り戻し作戦によって、山奥にいた、18歳のうら若き後南朝の天皇(?)=自天王(北山宮)は殺害され、神璽は北朝に戻されることになった。
(奪われたのは「勾玉」と「草薙剣」であったという記録も残っている。しかし、戻ったのは「勾玉」だけだ。ということは、「草薙剣」は、今も吉野の山奥に眠っている可能性がある)
この自天王の死を持って、「後南朝」の歴史は終わる。1457年のことだ。
時の将軍は義政。
自天王を謀ってその首を刎ねたのは、当時お家断絶となっていた赤松家の家臣たちだった。
赤松家はこの勲功により、足利幕府よりお家再興を許される。
「後南朝」は50年以上続いた。
だから、南北朝と後南朝を合わせると、1世紀以上、二人の天皇がいたことになる。
日本史上最も混乱した時代であったことが分かるだろう。
谷崎が興味を持ったのは、この後南朝と自天王にまつわる伝承だ。
自天王はそれに出自不明で、本当に皇胤なのか、確定できていない。
しかし、後南朝では、自天王を天皇として遇していたことは間違いないようだ。
谷崎は、自天王の事績を中心に歴史物を書いてみたいと思っていた。
自天王を欺いて殺害した赤松一族は、自転天王の首と勾玉を持って逃走したが、追っ手に追われて、首は雪の中に埋めて逃げたという。
雪の中に埋められた首から血潮が吹き出したことで、後南朝の者たちは、自天王の首を発見し、首塚を作って懇ろに弔った。
その末裔たちは、今でも南朝•後南朝の末裔たちはであることを誇り、密かに自天王を祀っている。
Posted by ブクログ
白州正子の『かくれ里』に谷崎の『吉野葛』の話が出てきたので吉野葛目当てに買ってみた。
奈良には行ったことがあるが、吉野には行ったことがない。行ってみたい土地だ。谷崎の美しい文章で吉野の地が広がる。とはいえ行ったことのない土地は想像が付きづらいので、Googleマップやネットを駆使して実際の情景を見ながら読むのもまた一興。
『盲目物語』は浅井長政の奥さんであるお市の方に仕える座頭による語り。ひらがなが多くて正直読みづらいため、若干うっとなってしまうが、読み始めるとこれが滅法面白い。時は戦国時代。織田信長、浅井長政、豊臣秀吉、明智光秀など錚々たる面々が登場するが、座頭はただ1人お市の方の身を案じる。一昨年、麒麟がくるでちょうどこの時代をやっていたこともあり登場人物が大河メンバーで想像できてしまった笑 戦国時代は裏切りで出来ている。死を覚悟する浅井長政や柴田勝家が本当に切ない。
盲目物語を読んで、谷崎の書く歴史小説の面白さを知った。吉野葛では材料負けで書けなかったとあるが、南朝時代の自天王の話も読んでみたかったなあ。
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