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Posted by ブクログ
学生の頃にどハマり、というかもはや心酔していた深沢七郎、20年ぶりくらいの再読。やっぱりグッとくるが、これは思い出補正と言われるもの…?全くフラットには読めていないことは確か。
試食会でお二人が「田舎の子は澁澤に憧れて、都会の子は深沢みたいなんを好きになったりする」というようなことをおっしゃってたのを思い出した。笑
都会の子といえるほどの出自でもないんですが、土着的なもの、前近代的なものへの憧れはかなり強いので「おっしゃる通りです…」となった。
どれも好きだが、特に「お燈明の姉妹」と「べえべえぶし」はあっけらかんとした人生の哀しさにみちていてジーンとくる。
Posted by ブクログ
深沢七郎のこの本を読みたいなあと思っていたら、ちょうど中公文庫が出してくれた。ありがとう。これからも深沢七郎出して下さい。
最初の「序章」と「おくま嘘歌」はちくま文庫の『深沢七郎コレクション 転』にも掲載されていたので再読。
「序章」は「インテリ」や庶民あがりの金持ちとの談話で「庶民とは○○だ」という可笑しい議論を繰り広げるのだが、よく読むと、作者本人とおぼしき「私」が最後の方で自分は庶民なのか、庶民でないのかと自問する場面がある。
「庶民」ばかりが横溢する小説を書いた深沢は「庶民」だったろうか? ふつうの意味での「文学者」たちとは一線を画した彼はやはりどちらかというと「庶民」の方にいるのだが、しかし庶民は「庶民」などという言葉を使わない。彼は庶民と「共に」ありながら、庶民を語る「語り部」のような、内在的な外部の存在なのだろう。バルガス=リョサの小説『密林の語り部』に登場した「語り部」のように、彼は共同体の内側にいると共に、異人でもあるという両義的存在なのだ。
「安芸のやぐも唄」という短い作品は、どうやらヒロシマで被爆した老女の話である。家族はみな原爆で死んでしまったにもかかわらず、彼女は原爆の「雲」を回想しつつ、
「雲の中には一人で生きることを教えてくれた不動明王のような神が住んでいるのだ」
と考える。このくだりは実に深沢的である。
深沢のえがく「庶民」たちは、文明的なしきたりからときとして外れ、「すさまじい」言動を繰り出すのだが、この「すさまじさ」は、純朴でひたすらな生の、ストレートな発現によるものだろう。
彼らは決して体制や政治やイデオロギーを批判したりしない。彼らはディスクールからは遠くにいる。ただひたすら、懸命に生きようとするだけだ。そこにディスクールは不要なのだ。
いまではインターネットなどという無用な空間に庶民は解き放たれ、愚にもつかない言明や他者批判を繰り広げており、醜悪きわまりない様相を呈しているけれど、深沢的「庶民」はこういうところにはもはや存在しない。
庶民は語らない。
いや、語ることの無意味さ・無用さを本能的に知っているのだ。深沢七郎も。
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小説・文芸
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