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Posted by ブクログ
2014年2月4日再読
いいなー
はじめてこれを読んだのは10年近く前なのかな。
やっぱりおもしろかった。
あのころから自分は全然変わってないのかな。
自分のダメなところはわかってるけど、そんなに簡単に変われないって気持ちは歳とともに強くなっていってしまうんだろうか。
そんな自分を許すことって、甘えなのかな。それとも利口なのか。
青空感傷ツアーって名前がいいな。
沖縄に行きたい。
2009年1月26日レビュー
この本を読んだのは何度目かわからないけど、はじめて実は「きょうのできごと」よりおもしろいのではないかと思った。こういうのは読んでる自分のその時々の気分、状況の問題かな。
勝手で奔放な音生を、ここまで嫌味なく魅力的に描ける柴崎さんはやっぱりすごい。
会話の合間に挟まれるきれいな風景描写が、さまざまな旅行先でいかんなく発揮されて、こんな作品が生み出せたら本当に楽しいだろうなぁ。
俺も、誰も乗ってないバスって好きだぁ。
失恋って悪くないって思わせてくれる。いい息抜き。
長嶋さんの解説も秀逸。
Posted by ブクログ
柴崎友香「青空感傷ツアー」
河出の文庫版。
素晴らしいクライマックス。なにより海なのがいい。クライマックスの海、言えば浅学の私は脊髄反射で保坂和志!「プレーンソング」!と言うだろう、ラストが海なのはいい。「陽の名残り」の海もいい。
これは全体を通して言える事だが、地の文でその景色の奥にある土地の営みを予感しながらも、次の行で始まるそれらと一切関係のない会話。これが良い。
そこで交わされた会話は後に感傷を生むのかもしれないと言うと大げさだけれど、その感傷の目の前には営みをたたえた風景もあるよね、と自然に思った。そりゃ素晴らしいやんけ。
ツアーとは移動で、感傷とは後ろへ消えていった景色に覚える感情の事だ。
解説を読む。またしても長嶋有が、柴崎友香の前作「きょうのできごと」の解説を書いた保坂が〜と言っている。この人も保坂好きすぎんだろと思う。
Posted by ブクログ
『失恋したら、この本持って旅に出よう』
この紹介文で、私はこれを手にした。まあでも、旅って言ったって、失恋した相手くらいしか一緒に行く人がいないんだけど。……って、どんだけ寂しい人間なんだ自分は。別に寂しいと思ったことはないけれど。なんて思いつつ、ページを捲る。
果たしてこの本に、大きな意味があるのだろうか。恐らく、何か重要すぎるメッセージなんてどこにもない。ゆるゆると、時に激しく時間が過ぎていくような本だ。それが良いなと感じた。
これが本当の失恋旅行なのかはわからない。そもそも、失恋しているらしいのは語り手ではなく、その友人……美しすぎる、ネオという名前の少女だけだ。だが、この世に「本当の」と冠せるものがいくつあるのかは甚だ謎だから、これもまた一種の失恋旅行であるには違いない。
主人公の芽依は、様々なもの……景色でも人物でも、美しいものに惹かれている。その時の描写はとても綺麗でいて、しかも緻密だ。景色もさながら、特にこの作者は、恐らく、人が好きなのではと思う。人のこと……特に身体をよく観察している目だ。
私はこの本を、綿あめのようなものだと思った。一色ではなく、様々に色のついた、レインボーの綿あめ。甘いのだけれど、色によっては別の味になる。辛味もあれば苦味もある。塩味もある。そんな具合の綿あめだ。しかも、ふわりとしていて、どことなく輪郭がぼやけている。
失恋したとき、この本を旅行に持って行けば、何かしら変わるのかも知れない。読後にそう感じた。主人公たちの関西弁が、心地よく響いてくると確信できるからだ。失恋した相手以外に、本という相棒があるとすれば、私は最強かもしれない。もっとも、自分が寂しい人間という事実は容易く動かないが。
Posted by ブクログ
妻の書棚にあった柴崎友香もの2冊目はこれでした。
『その街の今は』と本書は語り手が1人。『きょうのできごと』は語り手が交互に入れ替わる。『その街の今は』はタイトル通り基本的に場所は移動せず,主人公の日常的な範囲内で収まっている。『きょうのできごと』は大阪に住む人々が京都に引っ越した友人を訪ねる設定。どこか明示はされていないが動物園なども出てきて,関西圏にいくつか舞台を持つ。それに対し,本作は主人公ともう一人の女性の活動範囲が広い。冒頭では東京発新大阪行きの新幹線で,主人公の芽衣と音生(ねお)の2人旅が始まる。3年勤めた会社を辞めた芽衣と,東京で恋人の二股が発覚して別れてきた音生の感傷ツアーってことだ。突然トルコに出かけることになった2人。旅の途中で仲違いしてしまうのに,帰ってくるとその足で徳島の温泉に移動し,そこで長期滞在をする。そして,また急に思い立って石垣島まで辿り着く。
まあ,それだけでも柴崎氏の作品としては大きな出来事の連続なのだが,ある意味では相変わらずドラマティックな展開はなく,淡々と物語は進む。ある意味で,これら3作品で作品中舞台の空間スケールが異なっているのは,地理学を専攻していたという作者のこだわりだろうか。トルコ旅行における主人公の視点も単なる観光客目線とは違ったものを感じます。
そして,今回も文庫版なので,解説文がついています。今度は長嶋 有という人物の解説だが,『きょうのできごと』の保坂和志氏の解説文が気に入ったらしく,勝手に続編にしていて,タイトルは「ジャームッシュ以降の作家・その2」と題された。そして,長嶋氏は次の人にもバトンをつなげたいとこの文章を結ぶ。この解説文でも非常に的を射たことが書かれていた。それは,私の『きょうのできごと』の読書日記とも相通じるし,私の研究活動の意義にも類似している。というのは,作者が解説者とのインタビューでの一言を引用して次のように書いていることだ。「これから世界がどんどん(閉塞した)管理社会になっていくとか,そういうことを(私は)信じていない」という発言だ。そして,長嶋氏もそれにひどく同意する。簡単にいうと社会に対する楽観主義だが,驚くべきことに文学の世界でもそうした楽観主義はあまり受け入れられないと長嶋氏は主張している。同じことは学問でも,特に私が属していると考える人文・社会科学で特に似たような風潮を感じるのだ。近年顕著になっている政治的な問題や社会的な問題を取り上げ,ユーモアなど排除して,文彩も排除して論文を書くのが研究者だと,そんな風潮があるように思う。でも,実はそれは間違いで,ヨーロッパの難民を研究している人や日本の日雇い労働者の研究をしている人は私と同様に,なかなか就職できないでいる。結局,大学側が要求しているのはなににつけても社会に波風立てないような知的刺激がほとんどないような研究者なのだろうか。まあ,それにしても読む人が読めば上の例は具体的な地理学者のことを書いているのがバレバレなのだが,彼らは少なくとも出版界からはある程度必要とされている。それに対して,私のような研究は全く必要とされているように思われない。メディアを研究していても最新のものでもないし,思想ぶった文章を書いていても,それは1970年代くらいの思想家で最新でもない。自分では政治的な批判を込めているつもりだが,それは決して分かりやすいものではない。むしろ,何気なくやりすごしてしまうようなもののなかに,批判すべき社会の本質が潜んでいるのではないかと,しかも一方ではそういう作品は地味に楽しむことができるような。
なんか,書いていて自分だけにしか分からないような内容になってきたので,この辺にしましょう。
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小説・文芸
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