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Posted by ブクログ
本書は三島を直接的に理解するための書ではない。三島が生きた最後の時代の雰囲気を、彼自身の死を通じて今に呼び起こす書となっている。
三島自決のニュースに直接触れたことのない世代にとって、三島は大変不思議な存在である。自衛隊基地での演説シーンが稀にテレビ流れるが、必ずといっていいほど具体的な解説はない。三島が大声で叫んでるな、でも聴衆から共感得てないぽいな、自衛隊決起を呼びかけるなんて極右の親玉みたいなものかな、そんな感想を持つ。一方で三島の著作を読めば、テレビで見た彼と同一人物が著したのだろうかと疑うほどの耽美的な文章が並ぶ。自分の中で矛盾する三島像をつくりあげ、いつの間にか「三島由紀夫問題」化していたし、またさせてしまっていた。でもそれは理解の努力を放棄しているだけで、我々からは想像できないほどに彼は極端に思想の純度が高かったのだろう。
本書からは三島の死について喪失感を語る者はあれど、深い共感を語る者はほとんどない。また、三島自決の報に触れた人々の思いと、三島の檄文等の温度差を見せつけられる。事実社会の空気はそのようなものであったであろうが、そこにこそ三島自決の直接的要因があるようにかんじる。戦中世代として戦前の空気とのあまりの差異に強烈な違和を感じている中で、自衛隊の「何か純粋さ」を見つけしまったことを想像する。彼にとって行動もまた肉体や服装や思想以上に美しくあらねばならず、世にはびこる欺瞞性に我慢できなかったのだろう。敗戦体験、文学、演劇、写真集、自衛隊体験、楯の会、自決と介錯、これらはきっと三島の中で逡巡しながらも一本の線でつながっている。
Posted by ブクログ
事件自体はほんの数時間の出来事だった。しかし、その事件の発生は
各界に大きな衝撃をもたらした。
日本を代表する作家であり、ノーベル文学賞受賞の可能性も取り沙汰
された三島由紀夫は自身が主催する民兵組織「盾の会」会員を引き連れ、
自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れた。
三島と自衛隊は近しい関係にあった。だが、この日の訪問は穏やかには
終わらなかった。
東部方面総監を人質に取り、自衛隊員にクーデターの決起を促す
演説を行う。三島の演説には自衛隊員からのヤジが飛ぶ。
これだけでも充分な大事件である。その後、三島は自衛隊員が彼と
一緒に立とうとしないことを確認し、切腹という方法でこの事件の幕
引きをする。
その日、昭和45年11月25日。三島由紀夫と盾の会の事件は、当時の
著名人、またその後、世に出ることになる著名人にどんな衝撃を与え、
何を残したのかを時系列で綴ったのが本書である。
膨大な資料を駆使して120人の事件の受け止め方を描いており、
この事件を検証した類書とは趣を異にしている。
今、「11月25日」といってもすぐに三島由紀夫と盾の会事件と答える
ことが出来る人は少ないだろう。あの日に何が起きていたのかを
追体験するにはいい。
事件検証の資料は何冊か読んだが、結局、三島由紀夫が何を思い、
このような行動に出たのかは分からなかった。
もしかしたら、クーデターなんて当の三島自身も可能だなんて思って
いなかったのではないか。あの日、東部総監室の赤い絨毯の上で
切腹し、死に至ることは彼が夢見たナルシシズムの終着点では
なったのだろうか。
「三島は季節を間違えたな。桜の季節にやるべきだった」
寺山修二が「天井桟敷」のメンバーに言ったという言葉が印象的
だった。そう、何故、11月だったのだろう。桜の舞う季節だった
のなら、その死はまた違った印象を残したのかもしれない。
三島さん、いや、公威さん、おもちゃの兵隊に囲まれて、あなたは
自分の理想とする死に方で死んだのですか?
Posted by ブクログ
死後40年に蘇る昭和45年11月25日。120人以上の、どこで、なにをしていて、どう感じたか、を時系列で再現することで「日本で一番夕刊が売れた日」を体感できます。本人の言葉とか新しい事実とか再評価とか次元の違う記述がないことで自分にとっての三島事件を考えざるを得ない構成です。一瞬で砕け散ったガラスの破片が当時のすべての日本人の心にそれぞれに突き刺さっているのは、そして今もチクチクさせ続けているのは、この事件が思想の事件とか制度の事件ではなくて個人の肉体の事件だったからだと思いました。首の上と下が別々になった肉体の物語を、われわれはその後、消費し続け、そしてまったく消化できずにいます。この事件は、われわれのアタマとカラダをも別々にしてしまったのかもしれません。
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