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Posted by ブクログ
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。(p5)
とても有名なこの書き出し。しかし実際に読み通したことはなく、初めて手に取った。
主人公の「坊っちゃん」は正直でまっすぐで、曲がったことが嫌いな、いかにも「江戸っ子」という男。
田舎の中学校に赴任した坊っちゃんは、生徒や教師たちとの人間関係に翻弄されながら、最終的には嫌いな教師を懲らしめてその地を去る。
「近代文学」と聞くとどうにもお堅い印象を持ち、とっつきにくいという人は少なくない。私の周りでもそのような声を聞く。
しかしこの『坊っちゃん』という作品は、まったくそんなお堅い印象はなく、テンポが良く、切れ味のいい主人公の物言いが面白いので、すらすら読めた。
なんとなく世間に、「読書=勉強」というイメージが流れていて、ただの一娯楽としての読書の楽しみを失っている人が多いのではないかと考えたりすることがある。
『坊っちゃん』にしても普通に面白いのに、「読書」「文学」と聞くと、「そこから何か学びとらなければ」という考え方になる人が多いのかもしれない。
読書は、別にしなくても死にはしない。人生においては不可欠ではないという意味では、無駄な行為、つまりただの娯楽でしかないと言える。
しかし、娯楽だからこそただ読んで「楽しかった」でも別に構わないし、それが豊かな人生だと思う。
きっと、世間にある「コスパ」「タイパ」を追いかけすぎて、「読書=勉強」になってしまっているのだろう。
読んでみれば面白い本なんて、人間一人の人生を使い切っても読みきれないくらい世界にあるというのに、もったいないと思う。
主人公の坊っちゃんのように、ただ思うままに、自分に素直に、良いものは良い、悪いものは悪い、好き嫌いと、言い切れるような生き方というのは、現代では羨ましく思われる。
Posted by ブクログ
夏目漱石が「坊っちゃん」を発表して、今年で120年になるのだそうです。
それを記念して、先頃、新潮文庫から愛媛県イメージアップキャラクター「みきゃん」の特別カバー版が期間限定で発売されました。(ここではお示しできなくて残念)
キャラものが好きなわたしが飛びつかないはずもなく、見るなり購入しました。
で、いつ振りだか分からない再読をしました。
世の中が大きく変わったせいか、今読むとコンプライアンス的にどうなんだろうという出来事満載ですw
これも再読の妙というものかもしれません。
自他ともに認める無鉄砲な坊っちゃんは、父の死後、兄から600円をもらって物理学校に入り、1年で200円ずつ使って3年後に卒業し、四国の中学校の数学教師になります。
そして、いろいろな出来事に巻き込まれて(巻き込んで?)いくわけですが、赴任早々の職員室のシーンで面白い指摘がありました。
「授業はひと通り済んだが、まだ帰れない。三時までぽつ然と待ってなくてはならん。 ~中略~ いくら月給で買われた身体だって、あいた時間まで学校へ縛りつけて机と睨めっこさせる法があるものか。」
で、それを同僚の山嵐に訴えたら、山嵐はこう言います。
「君あまり学校の不平を云うと、いかんぜ。云うなら僕だけに話せ、随分妙な人も居るからな。」
山嵐先生としては、同じ数学教師仲間として、坊っちゃんと他の先生方との間に立ってジレンマを感じていたことでしょう。はい、ヤマアラシのジレンマですw
現代人のわたしとしては、明治時代から、こういう会話が存在してたんだぁ~、と嘆息しました。
みなさんは、どう感じられるでしょうか?
と、いうわけで、「みきゃん」のカワイイ特別カバーで読んでみませんか♡
本屋さんで見つけたら、ぜひ、お手にとってご覧ください♡
Posted by ブクログ
面白い。
最近自分の中で漱石ブームが再来しているので読み返しているが、『坊っちゃん』は漱石作品の中でも群を抜いてユーモアに溢れている。
中学生の頃に読んで、内容はまったく覚えていなかったが、こういう本があったから漱石を読んでいたのだと思う。
主人公の「坊っちゃん」は、非常に素直、健康、ワンパクな青年であり、そして何より「江戸っ子」である。この健やかな精神をもった主人公がまず読者を惹きつける。読者は彼に、俗的で欺瞞まみれの世界をぶち壊す、ジャンプのヒーローのような活躍を期待しながら眺める。この作品のユーモア的な、俗的な世界を描きながらもどこか快活なところは、ひとえにこの主人公の確たる人格あってこそであり、読んでいて非常に面白く、魅力的な人物である。
主人公はひょんなことから愛媛の数学教師に雇われる。そこで出会ったのは、校長の狸、教頭の赤シャツ、相棒の山嵐、生真面目なうらなりくん、ズル賢い野だ、数多引く手あるマドンナ等々。大部分は「坊っちゃん」によってネーミングされたあだ名であり、文字通りの「愉快な仲間たち」である。
こうしたあだ名は、登場人物の人となりを、ユーモア的、風刺的に、そして的確に表す「代名詞」になってる。本書は江戸っ子の「俺」によって語られる一人称小説ではあるが、「俺」自身も題である「坊っちゃん」という代名詞を、例外なく有していると考えられる。
最後に内容について、一見この小説は古き良き「勧善懲悪」的なテーマをもっており、外部からやってきた主人公や山嵐は手を組んで、裏で権力濫用、悪事を働かす赤シャツや野だを打倒する話である。しかし読み終わってみると、この小説が真の意味で「勧善懲悪」であるとは言い難い。最後に主人公たちが赤シャツたちに下した制裁は、社会的なものでもなく、個人的暴力的な、ただの腹いせである。(もっとも、山嵐はともかくとして、こうした腹いせが「俺」には最も似合う制裁であり、逆説的に成り立っているように見えるところも、面白い)
本書末尾の「解説」を読んでみると、この「勧善懲悪」の不完全さについても指摘されていて、それによると、「坊っちゃん」は漱石の持つ前近代(的価値観)を象徴しており、近代のもつ欺瞞に対抗しつつも、最終的には「前近代の敗北」なのであるという。これには読んでいてなるほどと思わされた。また、中学生の頃はここまで考えるはずもなく、再読の醍醐味を改めて感じた。
Posted by ブクログ
テンポがよく、何度読んでも面白い作品です。
読み返すたびに思うのは、「坊っちゃん」のまっすぐさを支えていたのは、清の大きな愛だったということ。
私利私欲にまみれた人たちの中でも、坊っちゃんが自分の信じる道を迷いなく進めたのは、いつも変わらず味方でいてくれる清の存在があったからなのかもしれません。
もし我が子が坊っちゃんだったら、私は清のように無償の愛で見守れるだろうか。
そう考えると、今回は坊っちゃん以上に、清から多くのことを学ばせてもらいました。
読み終えたあとも、山嵐や赤シャツ、うらなりたちのその後を勝手に想像して楽しんでいます。
きっと、また読む一冊です。
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再読したい度:⭐⭐⭐⭐⭐
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