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資本主義は今、格差を拡大しつつ地球を消費し尽くそうとしている。その制御がかなわなければ、私たちが近代以降なんとか確保しようとしてきた「人間的自由」は、息の根を止められかねない。近代哲学、とりわけヘーゲルは「自由の相互承認」という重要概念を示し、この問題を考える上でも欠かせない。こうした観点から、誤解にさらされてきた近代社会の本質を明らかにし、巨大な矛盾を生む現代資本主義をどう修正すべきか、その原理を探る迫真の思考。
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Posted by ブクログ
『ヘーゲルを超えるヘーゲル』でよくわからなかったところが読み取れて勉強になった。 自由を追い求めて行き着いた先が、なぜ収容所と粛清になってしまったのか? ヘーゲルを基礎とする近現代の「左」の指向と「批判」を中心とした行動について。 あまりに左ドライブが強いので右バッターと「普通の人」は敬遠するの...続きを読むかもしれないけど、自分はこういうのも普通に好きだったりする。でもそんな自分が好きでないのだけどな。
現代社会は、さまざまな困難と矛盾を抱えこんではいるが、人間の本質的な「自由」が生きのびる可能性の原理はまだ死に尽くしてはいない。 この「可能性の原理」を現実化できるか否かは、われわれ自身の一つの根本的な決断にかかっている。つまり、恣意的な理想理念の「物語」からではなく、これ以外にはありえないというい...続きを読むくつかの原理的選択肢から一つを明瞭に選びとる、多くの人間の「われ欲す」を現代社会は必要としているのである。
常に批判に晒されてきた現代資本主義が、どのような希求の元に、どのような“哲学”のもとに、どのような人間の「自由」の意味の下に、生まれてきたのかを説く。ヘーゲルの説く人間の「自由」が社会を形成する様。ポストモダンの皮相な弱点。
哲学者にしては珍しく資本主義社会を肯定的に評価している。哲学者が、特に形而上学に比重を置いたそれが、その学問の無意義を恐れて、経済社会を論じることは多い。そして古代からの人間精神の歴史を独自に解釈して、現代社会を批判する。その批判する哲学者の姿は遊びであればおもしろおかしく笑うことも出来るのだが、本...続きを読む気で批判しているとなると哀れさと惨めさで見ていることが出来なくなる。 経済発展とは野生から脱した人間社会の進化論そのものであり、哲学でなく人間の欲望の相互作用として化学変化を起こしつつある姿に過ぎない。したがって、学者にある哲学上の観点から社会は「~しなくてはならない」という忠告・警告はほとんど意味はなく。それよりも欲望に根ざした社会モデルのアドバイスのみが社会形成にいくばくかの影響力を持つ。 社会とは精神的ではなく、経済的である。したがって経済学的視点のみが社会を最小の誤差で観測できる。もちろん、経済学というものが完成しているわけではない。しかし、経済的視点というレンズを磨いたり・交換したりしてより精度を上げることができるのが、哲学と異なる部分である。 そしてその経済学さえ結局のところ社会の進展を強制的にある方向に変化させることは出来ない。それはカオス的・フラクタル的構造を持つ社会の宿命であって、蝶々効果のようにわずかばかりの考動も社会に影響を与えるが、どういう影響を与えるかは実質的に不可能である。 この社会の予測不可能性を考慮に入れるならば、哲学は過去にのみ焦点を当てて後出しジャンケン的解釈ゲームを楽しんでいればいいし、未来について言及するなら観客が恥ずかしくないように演じて欲しい。
反権力・反権威・反近代・反資本主義といった態度が、「無効」であること立証は説得力あり。そこから一歩踏み出し新しい合意を得られる原理は具体的には未だ心許ないが、踏み出す勇気は得られる。
『人間的自由の条件』(講談社学術文庫)のテーマを改めてていねいに論じなおすとともに、現代におけるグローバル資本主義の矛盾に対してどのような処方箋が可能かという問題についての考察を展開している本です。 著者は、ホッブズとルソーの社会契約説をみずからの観点から解釈し、彼らの仕事によって近代市民社会的な...続きを読む「自由」の哲学的な意味における本質が明瞭に取り出されたことを評価します。そのうえでヘーゲルの『法の哲学』や『精神現象学』を読みなおすことで、市民社会的な自由の相克を調停する普遍的なルールをつくり出すことに近代国家の理念を見いだそうとしています。 一方で著者は、近代国家の理念と現実が乖離していることにも言及し、『精神現象学』における「事そのもの」についての議論や、アレントが『人間の条件』において論じている公共空間における活動についての議論を手がかりに、近代的な「自由」の相互承認に基づくルールが実現されるための道筋をさぐっています。 著者は、ホッブズの「万人の万人に対する戦い」からヘーゲルの市民社会論に話をつないで、市民社会における「自由」の哲学的本質を取り出そうとしています。これは、フッサールの現象学の立場を「方法論的独我論」とみなすとともに、主観的確信の条件を「エロス原理」へと拡張する著者の認識論にはっきりと対応しているということができるように思います。しかし近代的な「自由」の哲学的本質を論じるのであれば、シャフッベリやハチソンといったスコットランドの道徳感情論を批判して実践理性の自律を掲げたカント倫理学の意義を見落とすわけにはいかないはずなのですが、著者の議論にはそうした視点は欠如しています。そしてこのことが、著者のヘーゲル国家論解釈が、極めて功利主義的なものに貶められていることの原因になっているように思われます。
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人間の未来 ――ヘーゲル哲学と現代資本主義
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竹田青嗣
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