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『学問のすすめ』『文明論之概略』などを著し、慶應義塾の創設にも力を尽くした近代日本最大の啓蒙思想家・福澤諭吉。激動の時代を痛快に、さわやかに生きた著者の破天荒なエピソードが収められた本書は、近代日本が生み出した最良の読み物のひとつであり、現代日本人が生きる上で最高のヒントを与えてくれるだろう。
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Posted by ブクログ
福沢諭吉の自伝。学問のすすめがなんとなく硬い印象を持っている人はぜひ読んでほしい。 日本の一万円札の人だから、ではなく単に面白い伝記として読んでほしい。もちろん偉人なので人生の教訓にもなる部分もあるが、天の上の人ではなく、同じ人間として捉えることができるようになると思う。 福沢諭吉のファンになる...続きを読むこと間違いなしの一冊。
最後までとても面白く読めた。 福沢諭吉という人がどんな人物だったのか、けっこう理解できたのではないかと思う。本人が書いたものだから、うそではなく真実が書かれたものと思う。彼がいかに自由に自分に正直に生きて、物事を成し遂げてきたか、かなり理解できたのではないかと思う。「学問のすすめ」も機会があれば読ん...続きを読むでみたいと思う。
とても面白く一気に読めた。福沢諭吉の封建的な考えに囚われることなく、自由奔放・清廉潔白に育った性格と、東洋学問ではなく、数理・事実に基づく西洋学問の将来性を見抜く先見性という、福沢諭吉の卓越した個人的資質に思わず目がいきがちだが、その自由な発想を理解し後押しした母・お順、そして規律と自由が調和した校...続きを読む風の中、鍛錬・勉学の場を与えた緒方塾長の存在は非常に重要だったのだろう。
今まで自分は福沢諭吉のことを慶應義塾を建てた人間だということしか知らなかったが、この本で福沢がどんな人物で何に興味を持っているかという人物像を知ることができて面白かった。 個人的には学問のすすめより面白かった。 他の作品も読んでみたい。
福澤諭吉が還暦を超えた頃に人生をざっくばらんに振り返った本。全体の20%は酒の話。 特に中盤で禁酒を誓った福澤が、友人に「キツい我慢はよくない」と唆され煙草を吸い始めた挙句に禁酒にも失敗し、ただの大酒飲み&ヘビースモーカーに成り下がった話は涙なしには読めなかった。 気難しそうな顔からは想...続きを読む像し難い、破天荒な人物像。しかし、男子高校生のような言動ばかり。 友人に「鯛だ」と言って河豚を食わせ、「お前は河豚を食った、もうすぐ死ぬ」とビビらせ横で爆笑してたり、神社の御神体をその辺の石ころにすり替え、それを知らず人が拝んでるのを見て爆笑してたり。 しかし勉強に対する熱意も凄まじい。 昼夜問わず蘭学書を読み続け、たまには枕で寝るかと思ったら、実は枕で寝たことがそもそもなく持っていない、と気づく程度に。 読んでいく中で、その継続する熱意には驚かされたが、現代での「勉強」とはかなり色が違うなと思うようになった。福澤がハマっていた幕末〜明治初期の『勉強』は、今まで日本で閉じた世界しか知らなかったところに降ってきた未知のものである。 これは今で言う『勉強』とは全く違い、掘れば掘るほど、進めば進むほど必ず知らないものが出てくるという、もはや『冒険』のようなもので、そりゃハマるわと思った。 今の「勉強」は全世界が可視化され、そこを生きていくための教養がベースなので、どんなに勉強しても「他の人も知っていること」の範疇を出ない。なのでワクワクしない。 大学研究以降の「他の人が知らないこと」に到達するまでがあまりに遠すぎて、現代に福澤のような人間を量産するのは難しい。 あと面白かったのは、欧米旅行に行った時にそこで見る科学知識の大半は既に書物で知ってきたので、もっぱら興味は社会構造や法律の理念などだったという話。こればかりは現地でないと分からない、ということが分かったのが収穫と述べているけど、まさにその通りだなと思う。 1冊を通して「知らない世界を知る、見る」ということは強烈な原動力になるんだなと思いつつ、今の世界で自分が見いだせる知らない世界はやはり人の中なんだろうなと思ったり。 現代語訳もかなりフランクな口語でされており、ざっくり読めて面白い本だった。
齋藤孝氏による現代語訳版です。 齋藤氏自身も、この本は座右の書に挙げており、非常に 頻繁に彼の著作の中でも紹介されています。 福沢諭吉氏が死の3年前に発表したこの自伝は、「学問 のすすめ」にも通じる、今こそ日本人がもう一度見直す べき気骨に満ちあふれています。 日本人必読の一冊です。
福沢諭吉が65歳になって書いた自伝。若い頃は、無茶苦茶をしつつも一本筋の通った厳格さを備えていたことがわかる。当時の様子のわかる貴重で面白い一冊。 「「義士は本当に義士なのか。それとも不義士なのか」と議論が始まる。すると私は「どちらでもよろしい。義でも不義でも。君が義士と言えば、僕は不義士にする...続きを読む。君が不義士といえば、僕は義士にしてみせよう。さあ来い」」p110 「枕がない。どんなに捜してもない。これまで倉屋敷に一年ばかりいたが、いまだかつて枕をしたことがない。というのは、ほとんど昼夜の区別がない。日が暮れたからといって寝ようとは思わず、しきりに本を読んでいる。読書にくたびれ眠くなってくれば机の上に突っ伏して寝るか、あるいは床の間の床側を枕にして眠るかで、今まで布団を敷いて寝ることなど、ただの一度もしたことがない。その時に、なるほど枕がないはずだと初めて気が付きました」p111 「そもそも日本人が初めて蒸気船というものを見たのは1853年、航海を学び始めたのは1855年、その勉強がなって外国に船を乗り出そうとしたのが1859年、すなわち蒸気船を見てから足かけ7年目である」p153 「むかしナポレオンの乱でオランダの運命は断絶して、本国は言うまでもなくインド地方までことごとく取られてしまって、国旗を揚げる場所がなくなったように思われたが、世界中にわずか一ヶ所を残した。それはすなわち日本長崎の出島である」p194
福沢諭吉の自伝、現代語訳版。 まず単純に面白い。 あっけらかんとしていて自尊心にあふれ、卑屈なところがない福沢青年の大胆な行動、巻き起こる事件... そもそも世の中が大きく動いていた時代に、その急先鋒にいた人物の自伝である。面白くないわけがない。 そして読み物としての面白さとともに、 大人物かくある...続きを読むべしという示唆に富んだものとなっている。 学問のすすめと合わせて読みたい。
福澤諭吉がこんなに酒飲みで、色々悪い事をしてたのを初めて知れた本。「学問のすすめ」とは全然色が違い、小説のように読める本。
前回から翻って、こちらは日本の一万円札の顔 ご存じ福沢諭吉の自伝である。 本書は現代語訳であり、非常に読みやすくなっている。 また、訳出する箇所を選んでいるため、分量も新書サイズにまとまっており読みやすい。 以前、私は原文のほうにチャレンジしがあったが 漢字やかなの使い方が現代語とは異...続きを読むなるため 途中で断念してしまった。 本書であるが、まず読み物として本当に面白い。 フランクリンとは異なり、福沢諭吉はとにかく悪ガキである。 かなり大人になっても、いたずら・おふざけのエピソードには事欠かない。 それから、子供心に考えてみて、兄さんのいうように殿様の名の書いてある紙を踏んで悪いと言えば 神様のお名前のあるお札を踏んだらどうだろうと思って 人の見ていない所でお札を踏んでみたところが何ともない。 「ウム何ともない。こりゃ面白い。今度はこれを手洗いに持って行ってやってみよう」 と今度は便所で試してみた。その時は何かあるかと少し怖かったが、後で何ともない。 「それ見たことか。兄さんは余計なことを言わんでもよいのだ」とひとり発見した。 それから一つも二つも年を取れば、自然と度胸もよくなったようで 年寄りが言う神罰などは大嘘だと信じ切って、今度は一つ稲荷様を見てやろうという野心を起こした。 「叔父様の家の稲荷の社の中には何が入っているのかしら」とあけて見たら 石が入っているから、その石を捨ててしまって代わりの石を入れて置いた。 また隣家の下村という屋敷の稲荷様をあけて見れば、ご神体は何か木の札で これも取って捨ててしまい平気な顔をしている。 すると、間もなく祭りの日になって幟を立てたり太鼓を叩いたり 御神酒を上げてワイワイしているから、私はおかしい。 「馬鹿め。おれの入れて置いた石に御神酒を上げて拝んでいるとは面白い」と、 ひとり嬉しがっていたというようなわけで、 幼少の時から神様が怖いだの仏様がありがたいだのということはちょいともない。 うらない、まじない、キツネやタヌキがつくというようなことは 初めからから馬鹿にして少しも信じない。 子どもながらも精神は誠にカラリとしたものでした。 これは現代ではなく、江戸後期の封建社会のど真ん中の話である。 漢学や儒学の影響が色濃く「とにかく上の言う事には従え」という社会にあって 福澤諭吉の物事の考え方は非常に特異だ。 自伝を最後まで読んでも、なぜ福澤諭吉が子どものころから 合理主義的な思想を持っていたのかはよく分からなった。 一方で、私が普段から不思議に思っていた素朴な疑問は解消された。 疑問 : 福澤諭吉はなぜ、明治維新にはちっとも絡んでいないのか。 特に私は性質として友人と本気になって争ったことはない。 たとえ議論をしたといっても面白い議論のみをする。 たとえば赤穂義士の問題が出て 「義士は本当に義士なのか。それとも不義士なのか」と議論が始まる。 すると私は「どちらでもよろしい。義でも不義でも、口の先で自由自在。 君が義士と言えば僕は不義士にする。君が不義士と言えば僕は義士にして見せよう。 さあ来い。何度来ても苦しくない」と言って 敵になり味方になり、さんざん論じて勝ったり負けたりするのが面白いというぐらいの 毒のない議論は毎度大声でやっていたが、本当に顔を赤らめてどうあっても 決着をつけてしまわなければならないという 身の入った議論をしたことはけっしてない。 結局のところ、私は政治のことを軽く見て熱心でないのが政界に近づかぬ原因でしょう。 たとえば人の性質に下戸上戸があって、下戸は酒屋に入らず上戸は餅屋に近づかないというぐらいのもので 政府が酒屋なら私は「政治の下戸でしょう」 福澤諭吉には思想もあり、リーダーシップもあった。 しかし、目的のためには手段を選ばずに事を成し遂げたり 時には自分の主張を押し殺して妥協をするといった事が 自分の性質として受け入れられなかった。 だから早々に政治には向いていないという結論を出していたのだと思う。 最後に本書からの引用ではないがひとつ。 福澤諭吉と言えば「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」が有名で 平等主義者と広く認識されているが、これは正確ではない。 学問のすゝめの冒頭で述べられているのは以下のようなことである。 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている。 人は生まれながら貴賎上下の差別ない。けれども、広くこの人間世界を見渡すと 賢い人・愚かな人・貧乏な人・金持ちの人身分の高い人・低い人とある。 その違いは何なのか。それは甚だ明らかだ。賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。 人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど ただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり 無学なる者は貧人となり下人となるのだ。 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」を 私は、これまでもいろいろと応用してきた。 今後もまだまだ使えるフレーズだと思っている。 天はおすぎの上にピー子を造らず おすぎの下にピー子を造らずと言われている。 おすぎとピー子は生まれながら貴賎上下の差別ない。 けれども、広くこの人間世界を見渡すと おすぎとピー子の間には大きく扱いに違いがある。 どちらかと言うとおすぎはバカにされ、ピー子は文化人として扱われる。 その違いは何なのか。それは甚だ明らかだ。 おすぎとピー子の扱いの違い それは、うざいぐらいにキャピキャピしているオッサンと ちょっとだけキャピキャピしているオッサンの差によってできるものなのだ。 おすぎとピー子の間は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど ただファッションチェックを勤めてよく知るものはピー子となり 映画評論をしながらも、うざいぐらいにキャピキャピしているオッサンはおすぎとなるのだ。
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