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Posted by ブクログ
素晴らしい。新自由主義の課題をこんなにわかりやすく的確に書いてあるものを読んだことがなかった。
まず、流動性にとける生産要素と製品の区別。製品は流動性を上げても良いが、土地、雇用者などの生産要素はある程度安定化させないと生産が不安定となる。また雇用者の流動性についても、技能適応などが必要で時間もかかる。単純に流動性を上げれば良いというものではないとの点。議論において、生産要素と製品を分けて市場の話を聞いたこともなく、基礎的ながら理解できていなかった。
次に財政出動したところで、実体経済や生産要素への投資でなく、金融商品への投資(投機)であれば、雇用は産まず景気も回復しない。
小泉改悪で土地などの生産要素の流動性をあげて、資産が流出し、アベノミスクでどんどん金融資本への投機がすすみ、実体経済は空疎なまま。しかも金融市場が強い米英と違って、日本はルールメイカーになれずコントロールもきいてないのがバブル後の四半世紀だというは非常にわかりやすかった。
そして、貨幣論にも近い話が最後に出てきた。先に余剰の象徴である貨幣がくるという話は非常に興味深い論だった。ここでもマルセルモースの贈与論がでてくるんだなぁ。
Posted by ブクログ
『「希少性の原理」による経済学の発想は、基本的に間違っていることになる。「希少性の原理」とは、繰り返すが次のようなものだ。
無限に膨らむ人間の欲望に対して資源は希少である。したがって、市場競争によって資源配分の効率性を高め、また、技術進歩などによって経済成長を生み出すことが必要となる。
……
だが、もしも私がここで述べてきたような「過剰性の原理」が支配しているとすればどうなるか。「過剰性の原理」は次のようにいう。
成熟社会においては、潜在的な生産能力が生み出すものを吸収するだけの欲望が形成されない。それゆえ、この社会では生産能力の過剰性をいかに処理するかが問題となってくる。』
佐伯先生、前読んだ本と同じこと言ってるなと思ったら、3年前にすでに読んでる作品だった…。
読み返してみても、本作は面白いし、言っていることは感覚的にしっくりくる。
Posted by ブクログ
本書で言う「経済学」とは、いわゆる「新古典派」とか「新自由主義」と呼ばれる経済学のことである。そしてその「経済学」は、現代人が当たり前のように受け入れている考え方でもある。
「いや、私は新自由主義経済には反対の立場だ!」と言いたい人もいるだろうが、経済のことを考えるとき、だいたいの人が新自由主義経済学的な思考に則っているんじゃないかと思う。
「新古典派」や「新自由主義」は、数ある経済学諸派の一つであったシカゴ学派が自らの経済学を「教科書化」したために、なし崩し的に「標準化」されたものにすぎない、と著者は警鐘を鳴らしている。
複雑に入り組んだ経済システムを確信犯的に単純化し、数学的に厳密に表現することに経済学者たちが執心した結果、「経済学」は経済の実態とは随分とかけ離れてしまった。しかしそれでも理論だけは独り歩きし、新たな金融商品が開発されては売りさばかれ、グローバリズムによって国外に開かれた市場はマネーゲームに明け暮れる投機的資本家たちに荒らされ、不安定なものとなっていった。金融市場がバブル状態となる一方で、実体経済は低迷し続けた。やがてサブプライムローン問題を発端に、リーマンショックが起こり、世界は大不況に陥った。これらはすべて「経済学の犯罪」である、と。
また、新自由主義経済学は経済の「時間性」(モノとその対価の交換には時差があるということ)を無視しているために、貨幣の起源を正しく捉えることができない。未開社会の「クラ交換」に貨幣の起源を見出し、それが現在の金融市場バブルにつながっていると説明する著者の論考は刺激的だった。
本書を読んでいると、自分がいかに新自由主義経済の思考法に毒されていたかがわかる。
筆者は思考の「大転換」をしきりに求める。もう我々は十分成長した、これ以上の成長が望めないのは当然だ、と。
「大転換」を実現するためには、我々がこれまで歩んできた道がいかに根拠のない、不安定な、間違ったものであったかを素直に自覚できるかどうかにかかっている。
Posted by ブクログ
本著は、混沌とする日本経済の現況に対して、先ずは時代の変換期である認識を与え、その上で日本の在るべき立ち位置を示す。
それをこれまでの経済学、経済思想史を遡りつつ、立証することろに説得力がある。
著者が導き出した解が、自らの問題意識と合致するところも多く頭の整理になる。
グローバリズムなどの普遍的な概念を批判的に考察することが新鮮でもある。
要すれば、身近な生活基盤を確りと確立し、そこに如何に有意義に暮らしていくのか、という原点を軸として持つことの大切さに気付かされた。
以下引用~
・戦後日本は「復興」「高度成長」「アメリカに追いつく」などを価値としてきた。それはもう不可能だし、不必要でもある。いまわれわれが置かれているのは、真に我々の文化や生活に根ざし、歴史に掉さした「日本の価値」をもう一度取り戻すことであろう。さもなければ「善い社会」など構想のしようもないだろう。
・「内向き」とは、国内の生産基盤を安定させ、雇用を確保し、内需を拡大し、資源エネルギー・食糧の自給率を引き上げ、国際的な投機的金融に翻弄されないような金融構造を作ることである。端的にいえば、「ネーション・エコノミー」を強化することにつきるのであって、スミスやケインズの考え方の伝統に立ち戻ることなのである。私には、これこそが本来の意味での「自由経済」だと思われる。
Posted by ブクログ
科学としての装いで、市場主義経済学者が政治を巻き込み、とんでもない社会を形作ってしまった現在、単なる経済学だけではなく、文化人類学を含む、多様な先人学者の言説を取り入れ、「脱成長主義」へ向け、現代文明の転換の試みを書いた名作だ。
第五章 アダム・スミスを再考する
第六章 「国力」をめぐる経済学の争い
第七章 ケインズ経済学の真の意味
第八章 「貨幣」という過剰なるもの
は圧巻である。
人間が歴史的に継続してた営為を総合的に分析することの大切さを改めて思い知らされる著作である。
佐伯啓思氏の主張されること終始一貫性があることに敬意を表したい。
Posted by ブクログ
「生活の経済」、つまり基礎的な衣食住という必需品への需要が容易に満たされるようになった後には、物の「過剰性」をいかに処理するかが経済の課題となります。
その「過剰性」は、商品に付与された社会的イメージを基礎にして「他人の模倣」という「欲望」を抱いてしまう人間の本性に依ります。そのように生み出された「欲望」から資源の「稀少性」が派生するのであって、稀少だから欲するのではないということです。
社会的イメージによる欲望は必需ではないという意味で本質的に過剰なのであるから、過剰から欲望が生まれ、その欲望から稀少性が生まれるということになります。したがって、過剰こそが根本的現象なのであって、故に稀少のための経済学というよりも過剰のための経済学と言ったほうが本質を突いていることになります。
経済学や経済に対する(もちろん1つの側面であり仮説ではありますが)本質的見方を学べました。
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ビジネス・実用
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