1849年、ドイツ民衆の最後の蜂起は、時のプロイセン政府によって鎮圧され、マルクスには追放令が下された。
彼はこの年の夏、パリを経てロンドンに向かい、ロンドン郊外に永住の居をさだめた。
夫人と幼い三人の子はあとからやってきて合流、すぐにもう一人の子が生まれている。この年マルクス32歳。
亡命者マルクスの一家は貧窮をきわめていた。52年には、度重なる家賃の滞納で郊外の貸間は追い出され、ロンドンの最貧民地区の小さな二部屋に住むことを余儀なくされた。
折も折、疫病の流行は猖獗をきわめ、不衛生このうえないロンドンのスラム街は死者で溢れかえった。
あのナイチンゲールが「To Be a Deliverer-救助者になれ!」と、キリストによる二度目の啓示を受けたというのもこの頃である。
マルクスの家族も、伝染病でつぎつぎと3人の子が死んでしまうという凄惨な事態に陥った。