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慶長5年(1600)9月15日、徳川家康と石田三成が覇権をかけて戦った関ヶ原の戦い。豊富な史料や研究所などを読み解いていくと、家康の会津征伐、義に殉じた大谷吉継の西軍加担、島津義弘の戦闘不参加、小早川秀秋の日和見などの通説が覆される。はたして諸将の思惑や作戦とは──天下分け目の関ヶ原合戦の全容がいま明らかに!!
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Posted by ブクログ
上杉景勝は伊達、最上という後顧の憂いを絶ってから関東に攻めるつもりだったとされる。「兼続は義光に大打撃を与えて政宗を孤立させたうえで、関東表への出陣を策していたのではないだろうか」(155頁)。当然の戦略である。これまで景勝や兼続の思いを難しく考えすぎていたかもしれない。 西軍最強とされた宇喜多秀家...続きを読むの軍勢は、内紛による離反者続出で実態はガタガタであった。家臣の明石守重は新たに浪人を抱えたから「存外丈夫にこれある事に候」と手紙に書いたが、大丈夫と言う場合は大抵大丈夫ではない。「守重が豪語した割に、関ヶ原合戦で宇喜多勢がその力を十分に発揮したとはやはり思えない」(227頁) 島津の退き口では井伊直政が鉄砲で撃たれ、本多忠勝も愛馬「三国黒」を撃たれた。「島津勢は「徒鉄砲」と呼ばれるくらい、足軽ではなく武者が鉄砲を放つ」(233頁)。江戸時代の刀は武士の魂的な精神論とは異なる戦国武士らしさがある。
所在 :展示架 請求記号:210.48/Ki54 資料ID :11400411 選書担当:豊田 後に夏の陣と並び戦国時代最大の戦いとされる「関ヶ原の合戦」。例の武将さえいなければ西軍は勝てたと言われていますが、この本を読んだあとは、それすら定かではありません。どちらも圧倒的な力をもっていたわけで...続きを読むはなく、両者のミスの積み重ねの量が勝敗を決しました。そして、この合戦はもともと家康VS三成という構図ではなく、両者のそれぞれの問題を家康が画策し、「家康VS三成という構図」に仕立て上げたことも綴られています。戦国時代がお好きな方は必読すべき1冊だと思います。
豊臣秀吉死去から関が原の戦いまでを丹念につづった一冊。 今まで何となく徳川家康と石田光成の人望の統率力の差、そして小早川秀秋の裏切りによって決したと思ってたのが覆された。 実際は双方共にミスを重ね、結果として東軍の薄氷の勝利であったということがよくわかった。
「関ヶ原島津退き口」を読んで、すごく関ヶ原に興味を持ちこの本を購入。日本にとっては、非常に重要な勝負ではあるが、名勝負ではない。なぜか?理由がわからなかった。 子供のころの喧嘩の記憶は、非常に性格ではないことが多いと思う。大人になって、喧嘩の話をすると、双方それぞれかみ合わないことがある。関ヶ原もそ...続きを読むの類で、ドラマや小説では非常に巧妙なストーリーが展開するが、たった1日に決着がついたあっけない戦いであったことも事実。そんな事実をいろんな面から検証した本といえる。そのため、この本を読むことでがっかりすることもある。しかし、いろんな面の考え方から、自分なりの捕らえ方を得ることは重要。
戦国最大の合戦にして、並み居る武将の人間ドラマの集大成、豊富な史料からその実態にせまる関ヶ原合戦研究の決定版。 三成の泥縄、家康の計算違い最後の勝敗を決めたのは。 天下分け目の一大決戦、通説を覆す群雄たちの真意とは。 マイミクさんの評価が高かったので読んでみました。 自分的には「うーん」と...続きを読むいう感じです。読まず嫌いではありますが、元々、桐野氏の著作とは、相性が悪いのです。(合理的な説明は出来ませんが) 関ヶ原合戦研究の決定版という割には、触れられていない文献もあり残念な気がします。参考文献をみても、史料が豊富なのは頭が下がりますが、論著は数が少なく偏っている気がします。史料を重視する姿勢はわかりますが、「敗者から見た関ヶ原合戦」(三池純正)や「関ヶ原前夜―西軍大名たちの戦い」(光成準治)に言及が無いのは残念なところです。 本書では、20の謎を提議し、その謎に答えるという書き方です。わかりやすい纏め方ではありますが、必ずしも的確に答えられている気がしません。 謎2では「五大老・五奉行制はあったのか」とありますが、著者は、「奉行が誰であるかは特定できないし、ましてや大老という言葉も存在しないのである。かといって、これでは不便なので、便宜上、通説に従った五大老・五奉行という歴史用語を使用したい」としています。結論としては、五大老・五奉行というような制度はあったものの、大老間では力に差が大きかったという事を言っています。うーん、設問の答えになっていない気がするのは私だけでしょうか。以前「五大老・五奉行制は無かった」という説を聞いた事があるので、新説が伺えるのかと期待していましたが、肩すかしでした。(これは設問の方が悪いのかもしれません) 謎10では、徳川軍の主力は家康勢か秀忠勢かという問題も提起しています。桐野氏は、笠谷和比古氏の秀忠軍が主力であったという説に疑問を呈しています。桐野氏はその言とは逆に、どちらが主力であったかという議論に終始している気がします。笠谷氏の著書(だいぶ昔に読んだのでうろ覚えの記憶)では、秀忠軍が遅参したことにより、関ヶ原で家康は豊臣恩顧の諸将を主力として戦うこととなり、外様大名に配慮した論功行賞を行わなければならなかった。これが、関ヶ原から大坂の陣までの流れに影響したということだったと思います。私としては、桐野氏が言うとおり、どちらが主力であったかという事はあまり意味が無く、秀忠遅参がその後の歴史にどの様な影響を与えたのかという方に興味がありますが、笠谷説への反論としては突っ込み不足のような気がします。(議論の次元がマッチしていないのでは) 桐野氏の著書では、「関ヶ原 島津退き口」の方が断然面白くおススメです。
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