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自然界では1500種を超える動物で、同性間の性行動が観察されている。それはなぜか?性の多様性の本当の意味を明らかにする。
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Posted by ブクログ
知らなかったことを沢山知ることが出来ました。 生物学的視点だけではなく心理学や文化的な経緯など多面的にあつかっていて、同性愛について言葉は知っているけど詳しくは知らないという人にとって入門書的な役割も果たすと思います。ぜひ多くの人に読んで欲しいです。
年末年始休みに読もうと思ってた一冊目。ジェンダーの問題と生物学的な関わりを広範なテーマ(時間軸、地理的分布軸、動物種軸)から論じている。「性的マイノリティの存在は、遺伝子が自らを効率よく拡散させるために個体の行動を操作するはず、という前提に反するように見えるパラドックス」(「はじめに」より)という僕...続きを読むの疑問にも丁寧に答えてくれている。Part1タイトル「同性愛でいっぱいの地球」を読んで「えっ、答えはそんなシンプルなことなの!それ普通なことなの?」という驚きの連続でした。とてもお勧めの一冊です。
1672 坂口菊恵 1973年、函館生まれ。函館中部高校卒業後、宅浪を経て二十歳で上京、家出。数年のフリーター生活後、東京大学文科III類に入学、東京大学総合文化研究科広域科学専攻で博士(学術)を取得。東京大学教養教育高度化機構にて特任教員、現在は大学改革支援・学位授与機構 研究開発部教授。専門は...続きを読む進化心理学、内分泌行動学、教育工学。著書に『ナンパを科学する(東京書籍)』『科学の技法:東京大学「初年次ゼミナール理科」テキスト(東京大学出版会、共編著)』『脳とホルモンの行動学:わかりやすい行動神経内分泌学(西村書店、分担執筆)』など。 ボノボは、オスもメスも同性間の性行動に熱心だ。特にメスはホカホカといって、対面で抱き合って性器をこすり付け合う行動を頻繁に行い、相手のいる性行動の 55%【 2】 は同性とのものである。こすり付け合いを英語ではG-G rubbingという。Gとは生殖器のことでです。 10 歳になると、オスは同性の相方を見つけて昼夜行動を共にするようになる。その際には、性的接触を含む愛情表現も見られる。ヒレや口吻を使って互いの生殖器を愛撫したり、マウントしたり、ペニスを互いにこすり合わせたり、ペニスを相手の生殖孔に挿入したりすることもある。生殖孔とは、普段ペニスをしまってあるところである。イルカでは、肛門性交は稀です。 繁殖に結びつかない性行動は珍しくない。 ギリシアのアリストテレスやプラトンの影響を強く受け、古代ローマのストア主義の流れをくむ中世キリスト教社会のスコラ哲学が「不自然」としたものには、以下のような行動が挙げられる。 ・快楽のための食事、過食 ・独身 ・同性愛 ・マスターベーション ・避妊 ・中絶 ・正常位以外での性交 ・不妊の妻と離婚しないこと ・高利貸し(金銭が子を生じさせるのはおかしいから) つまり生殖は重要である。子ども、特に嫡出子を生み出すことに結びつかない性行為はすべて「悪い」。 しかしながら、同性愛に対する攻撃が高まった時期以外は、他の異性愛行為と比較して、同性愛が特に問題視されていたわけではなかった。むしろ、望まぬ妊娠を避けることができるため、 放埒 な異性愛よりはだいぶマシだと、世間的には考えられていたようだ。 それまでヨーロッパによって 範 とされていた古代ギリシアやローマでは、同性愛が華やかな文化をかたち作っていたし、常にキリスト教社会が同性愛を敵視していたわけではない。 明治維新以前の日本も、ポリネシア・メラネシアといった南太平洋の伝統社会もそうである。そもそも、 同性間性行動に対する迫害や抑圧がない社会では、同性愛者というカテゴリーは可視化された。 同性愛は辺境の地よりも、都市部で盛んな風習であった。 日本で、同性愛が異性愛と比較して異端視される要素がなかったのは、メソポタミアや古代ギリシア、ローマと同様だ。奈良時代末期に編纂された『万葉集』にも、男性同士の恋愛を連想させる歌が何首か見ます。 三島は、成人後も直観像記憶を持っていたとされる。これは一瞬見た情景をそのままイメージとして脳内に保存できる能力であり、自閉症サヴァンにはしばしば見られる。彼が自殺前に執筆していた『豊饒の海【 250】』はアジアを股にかけた転生物語だが、舞台の情景を描写する際に、カメラは使わず短時間の観察をもとに詳細を記述したという。 三島は執筆はもちろん、弁舌もユーモアにあふれて明快で巧みだった【 251】。だからコミュニケーション能力が低くないではないか、と思われるかもしれない。 実は、語学習得や詩作がたいへん得意な自閉症サヴァンも存在する。自閉スペクトラム症のうち、言語能力の高いサブタイプが、過去にアスペルガー症候群と呼ばれてきたグループを形成しているという考え方もあります。 グランディンは当事者たちとのコミュニケーションから、自閉スペクトラム症を持つ人が示しやすい、認知の強みを3パターンに分けている【 253】。 1. 視覚思考者。頭の中で画像イメージを操作することによって、高度な認知操作を行う。設計家のような、空間配置を操作するのが巧みな人と、美術家のような、色覚や質感の処理に優れる人とがいる。 2. パターン思考者。計算スキルや、音楽能力に優れた人である。 3. 言葉の論理思考者。外国語の達人や、時刻表・数字を覚えるのが得意な人が含まれます。 しかし、彼はクラフト・エビングなど当時最新のヨーロッパの性科学についての文献を読み漁り、古今東西の男色の記録を収集していた。熊楠には、真剣に愛した男性がいたのである。 そして、東西の文化における、男性同性愛から生じる高い精神性に関心を抱いていた。いわく、「浄の男道」です。 ここで、数学の天才の例として愛されている、シュリニヴァーサ・ラマヌジャンを取り上げてみよう。彼にも、恐らく自閉スペクトラム症の気があったとされています。 アイザック・ニュートンも、自閉スペクトラム症と双極性障害を持っていたのではないかという指摘がある。ニュートンはひそかに、錬金術の研究に没頭しています。
言説における、性別=生物学的性で変えられないもの 辞書的定義の間違い指摘することに役立つ。生物学的性という、「変えられなさ」が綻びを持ち揺らぎのあるものと認識することの、進化学・生物学からのバックアップが詰まった書籍である。そして、揺らぎや綻びがあることは、この生物学的性が、それ以外の言説によって規...続きを読む定され、辞書的意味を超えたパフォーマティブなものであることを示す。同時に、性別はジェンダー(社会文化的な性)することと深く結びつき、分かちがたい、だからこそ、生物学的性別に生まれたなら、そのらしさに当てはまれ(不当な事があってもそれを運命だと思って生きろ)という暴力性を容認することになる。生物学的な性別の定義の、不確実性と柔軟性に着目しパフォーマティブだと捉えることこそが、不当な出来事の批判に繋がる。
生物学と文化の視点から同性愛の合理性も見出す。性的指向は生まれつきだから許されるべきではなく、文化的・後天的の影響があってもその多様性を尊重すべきという観点は自分にとって斬新だった。
最初の方は生物的に同性愛はありふれたことに触れ、性が二極的でも決定論的でもないことを説明している。 「進化」って表題だが、進化的な論理はあまりない、ただ遺伝子に関する考察はあるし、自然淘汰に関する考え方は慎重に語られている。 また性淘汰の話と同じくらい、群淘汰に関する話もある。 ただ中盤頃から人に限...続きを読むって、歴史的あるいは宗教的な話になってきた。 後半はいわゆる発達障害にも言及している、ジェンダーも特性も多様性の一つとして、ネガティブな面だけでないこと、特に特定の分野において突出した人にはそのような傾向があったし、一面で見れば禅などもそのような状態を目指していることも書いている。
進化が同性愛を用意した ジェンダーの生物学 著者:坂口菊恵 発行:2023年6月30日 創元社 大学改革支援・学位授与機構研究開発部教授で、進化心理学、内分泌行動学、教育工学が専門とプロフィールにある。本書の書き出しには、著者の専門は進化心理学で、ヒトの性行動の個人差や、性ホルモンの働きについて...続きを読む研究してきた、となっていて、内分泌行動学はそういうことらしい。 進化心理学については、「ヒトの生物としての普遍的な特徴を、進化の産物としてとらえる。人間の文化も、環境に応じた進化適応の産物とみなすのが身上である」と説明していて、とても分かりやすい。ワイドショーなどのコメンテーターとして出てくる若手学者も、最近は「進化心理学的に」というような言葉をちょくちょく使う。ダーウィンに発する考え方といってもよく、進化により変わっていったのは体ばかりではなく、心、すなわち人間の行動も進化に応じて変わっていったと理解すれば早い。 となると、遺伝子の拡散効率に反する同性愛を初めとする性的マイノリティは、消えていくはずである。国会議員を続ける資格などまるでない差別主義者のいうとおり、LGBTQには「生産性がない」ということになってしまう。ところが、本書のタイトルはそれとは正反対。著者は、生物学的な知見に人文社会学的な考察の中で、タイトルにあるような結論を導き出していく。学術書。ただし、「進化が同性愛を用意した」という本題については、終わりがけに駆け足で出てくるだけで、それまではずっと性別や生殖行動などに関する生物学や進化論的な研究紹介が続く。 ヒト以外の動物の性については、生殖器や身体全体、また役割などについて、その性差の曖昧さを紹介していく。これでもかというほど事例を上げるため、オスもメスも、男も女もない、という気分になってくる。 生物学や生物学寄りの研究者は、ヒト以外でも性の多様性があることを知っていた。多くの生物で同性間の性行動があることが知られるにしたがい、多くの生物はもともと両性愛であり、同性との性行動がコストにつながる種においては、それを忌避する進化が起きたのではないか、というモデルが出されてきた。その種にヒトが含まれることは容易に想像がつく。 もともと分かっていることをヒトにそのまま当てはめれば、同性間の性行動者はマイノリティではなかったことになるが、欧米における一般社会認識「異性愛が普通で正常である」という前提が入ったことにより、マイノリティになってしまった。つまり、生物学的な性別ではなく、社会におけるジェンダー・ロール(性役割)が入ったことから、そうなってしまったのではないか、との前提に立つ著者。「ジェンダー」とは、社会的、あるいは社会規範的な性差というように一般的には理解されている。その概念を生物学の枠組みに取り込んで考えてみよう、というわけである。 なお、途中で出てくるが、生物学の分野において、「ジェンダー」とは、初めは生物学的な雌雄と同じような意味で使われてきたという。確かに、トランス・ジェンダーという言葉は、それに近い使われ方のようにも思われる。それを社会的、文化的な性差、性別という使われ方になってしまっていることを、生物学者はやっかいに思っている、との紹介もなされていた。 結論の一つめは、性行動は生殖行動のみが目的ではなく、コミュニケーションの重要なツールであるという点。 適応主義者が主張する「性淘汰」の考え方。淘汰されるべき人間が、生殖につながらない同性愛に走りやがて消えていく。著者は、同性愛は性淘汰ではなく、社会淘汰だと主張する。生殖につながらない性行動が無意味だというなら、妊娠中の女性や閉経後の女性は、なぜ性交するのか?ということになる。 性行動にまつわる進化は、個体同士の協力行動を促すための淘汰である。 ********** ニホンザル、ゴリラ、ライオン、カモメ、ゾウ、パイソン、イエネコ、シカ、トンボ、イカ、線虫・・・広く見られる同性間性行動。 ボノボは、雌雄とも同性間の性行動に熱心で、とくにメスは相手のいる性行動の55%が同性とのもの。 オスのイルカは10歳になると同性の相手を見つけ、昼夜行動を共に。性的接触を含み、ヒレや口吻で相手の生殖器を愛撫し、ペニスを相手の生殖孔(自分のペニスを普段しまっておくところ)に挿入することも。 大阪の箕面市では、ニホンザルの若いメスたちがニホンジカに頻繁にマウントして、性的な快感を得ている、という研究結果。 「自然の法則」を価値判断に流用しようとすることは、大きな危険をはらむ。 1919年にできたワイマール共和国の憲法で、ドイツでは同性愛が合法となった。性の多様性に対する生物学的な探究や教育の試みは、第二次世界大戦により中断される。1933年にドイツでナチスが台頭し、「性科学研究所」は最初の焼き討ち対象の一つとされた。 優生学と「社会ダーウィニズム」は、20世紀前半の国家間の覇権競争において、富国強兵政策を支える理論的支柱となった。「社会ダーウィニズム」とは、進化のアイデアを国家間の議論にすり替えたもので、優秀な国民からなる国家が、より「進化していない」未開の社会を支配するのは妥当である、という考え方。 個体数が過密になると、ネズミが集団暴走して死に至る「集団自殺」やムクドリの産卵数が減る現象などを、「種の保存のため」に個体の生存を犠牲にする例ととらえていた考え。働き蜂や蟻は自ら産卵しないで一生働くのは集団の利益のため、と。このような集団の利益を起点とした自然淘汰のとらえ方を「群淘汰」という。それに対して、進化生物学者、W・D・ハミルトンは、「進化は種の保存のために進むのではない」とした。 「双生児法」での研究によると、指紋のパターン、身長、肥満度、音楽・スポーツ・数学の才能は遺伝の影響が強いことが分かった。しかし、小学校の学業成績はまったく逆で、共有環境の影響が強かった。 19世紀末~20世紀初頭の生物学者やセクシャリティ分類の性科学者は、雌雄の性を連続的なものととらえていた。19世紀には、ヨーロッパでも一般の人たちは典型的な生物学的男性女性がどういうものか知るすべがなく、非ヨーロッパ圏では性別越境的な存在は社会的に許容され、男女のどちらかに分類しかければいけないという通念もなかった。しかし、20世紀を通じて、生物学的な性の定義と、社会的な解釈や要請との相互作用が続いて、オスメスの2パターンがあるという通念が社会にも研究者にも浸透してしまった。 MRIの利用が安価になり、性的マイノリティの脳の特徴についてデータが取られるようになった結果、性的指向の違いと脳のマクロな形状との関係は限られるが、トランス・ジェンダーか否かは大脳新皮質の広い部分と関係がありそうだ、ということが分かってきた。 近年の研究で、男性同性愛において、ウケ側のゲイ男性は身体に対する満足度が低く、性別違和のスコアも高いことが示された。タチ側は異性愛者と比較して男性ホルモンの作用をより強く受けているのではないかという指摘もある。 <ヒト以外でジェンダーを想定するケース> ・サケ科の魚:縄張りを持てない弱いオスの中には、まるでメスのような身体的特徴で、普通のオスがメスと交尾する間際に割り込んでこっそり放精する「スニーカー」が存在。 ・エリマキシギ(ユーラシア大陸北部):①典型的なオスは黒い羽②白い襟巻きをつけたようなオスは①の隙を見てメスと交尾を狙う「サテライト型」③シンプルで短い茶色の羽毛「メス擬態型」も①の隙を狙う ・アズマヤドリ(パプアニューギニア、豪州):若いオスはメスに擬態し、大人のオスからの求愛を受ける。メスの性役割を経験することで、将来のオスとしての求愛行動に生かす Y染色体がどんどん短くなっているので、将来は男性が消滅すると恐怖をあおる研究者がいる。しかし、Y染色体が短縮して消滅してしまった哺乳類は、南西諸島で2種、中東で1種見つかっている。オスは問題なく存在している。 ブチハイエナは、雌雄区別がつかない外性器。メスも偽ペニスと偽陰嚢があり、ペニス先端の尿道口が膣口を兼ねる。偽ペニスはオスのペニスと同じか少し大きく、勃起もする。交尾ではオスがその中に自分のペニスを挿入しなければいけないので、メスの協力なしには不可能。問題は出産で、初産では少なからず偽ペニスが裂けて死んでしまう。また、産道がへその緒よりずっと長いために6割ほどの赤ん坊は産まれ際に窒息死する。 家畜の羊における実験で、約8%のオスがメスを交尾相手として選ばないことが分かった。ストレートは6~7割で、残りの個体は雌雄どちらでもいいか、性行動に関心がなかった。 ローマ医学においても、ウケ側を好む成人同性愛者は「病気」であるという概念が存在した。帝政ローマ(紀元前27~)初期までには、成人男性もウケ側として性的関係を結ぶことにためらいがなくなった。男性同士、女性同士の結婚は合法で、上流階級では珍しくなかった。ネロ帝は、花嫁側として2度、花婿側として1度、男性と結婚したという記録がある。既婚女性が他の女性と関係すると、姦通として扱われた。 日本における異性愛および同性愛の奔放さは、戦国時代や江戸時代に日本を訪れた西洋人を驚かせた。日本は国生み神話の冒頭から、性に関する直接的な描写があるのが特徴。日本人の「非性交化」は、ここ数十年で急速に進んだもの。 ヒンズー教神秘主義の古来の修法を取り入れ、仏教が密教化(5世紀末~インドにて)。真言宗の中心経典「理趣経」の成立は8世紀。空海は性交を用いた修行法を当然知っていたはず。空海が持ち込んだ理趣経には、性の快楽を菩提にいたる道の一つとして肯定する説が存在する。最澄は理趣経の内容について空海に教えてもらおうとしたが、拒絶された。「実践を伴わない者には教えられない」が理由。 禁欲を命じている仏教の戒律上、女色は裂けなければならないが、完全禁欲は困難。寺院で働く若者を女性的に装わせ、師僧と性交することを神聖な行為として行う儀礼が11世紀以降盛んになる。「児(ちご)灌頂(かんじょう)」といい、天台宗や真言宗の大規模寺院で行われた。稚児は観音菩薩の化身とされた。 ギフテットばかりを集めたクラスの学生たちを調べると、興味の方向性や性役割観は中性的な傾向があること、および、性的マイノリティの出現率が高いことが報告されている。 1973~2003年に診断された、スウェーデン国民全員の記録を用いた分析では、うつ病であることと、うつ病患者の家族であることは、科学や芸術で卓越した能力を示すこととは関係がなかった。統合失調症患者の家族、および双極性障害(躁鬱病)患者の家族はいずれも、創造的な能力を要する職業に就いている割合が高いことが分かった。統合失調症の本人は科学の職に就く確率は下がるが、親や兄弟が科学者である確率がとても高い。
ヒトはもともと両性愛的だし、同性との性行動はヒト以外の生き物にも“普遍的に”存在するし、性別は雌雄に二分できないと考える方が“自然”だし、ヒト以外でも性別とそれに付随する生殖行動が固定的なわけではないのでジェンダーと看做したほうが説明がつく、というような内容。 同性愛やトランスジェンダーが排除され...続きを読むるのは、生殖が目的ではなくコミュニケーションとしての性行動を排除したい人たちがいるからで、それもナチスや優生学以降の話、というような。 Part4 ジェンダーの生物学、Part6 宗教戦争としてのホモフォビア・トランスフォビアは必読。 Part7の三島由紀夫と南方熊楠の話から始まる非定型発達と同性愛やトランスジェンダーの関連はいらないというか、他の脳の話題(三位一体脳ぽいとことか)やジェンダー関連セクシュアリティ関連用語の扱いと同じく不用意過ぎると思う。 性自認などただでさえ、一般と学術的な場で捉え方のギャップが大きく、それが差別的言説につながっているものを、さらに別の意味へ拡張したら余計に混乱を招くのでは。既存の用語ではなく、新しい呼び方も含めて提案すればいいのに。
動物とヒトの性そのものから文化まで幅広い領域に触れている。性やジェンダーを、社会運動的文脈でなく自然科学的な研究対象として扱っている本は多くないように思うので、貴重な内容ではある。しかし動物行動学の分野を除いては、定説とはいえない様々な説まで広く言及しているため、学問として研究が道半ばなのだなという...続きを読む印象を持った。 「心に性別はないのではないか」という疑問から本書を読むに至ったが、性別は二分的なものではないとの見解があることは参考になった。今後この分野の研究がさらに進むことを期待しつつ、他に同分野を扱っている書籍がないか探したい。
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