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流行の最先端をゆく高級バッグから一点モノの財布まで,革製品はファッションを彩る必需品だ.しかし,皮革文化には常に,自然破壊,動物愛護,大量廃棄といった倫理的な問題がつきまとっていた.その来歴と現在から,人々の欲望を満たすためにあらゆるものをブランディングしていく消費文化の本質を描き出す.
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Posted by ブクログ
皮製品は「なめす」工程が難しい。 ここの作業内容次第で品質が左右されるからだ。その作業内容から専門職が求められるとともに、特定の層の人々が担ってきた。動物を捕獲し皮をなめす工程に厳格なルールを持ち込んだのが西欧の企業。彼らは自分に都合の良いルールを作ることに長けている(これが腹立たしい)。そしてルー...続きを読むルに合わない制作方法を採用している他地域の製品を攻撃することになる。こうしてブランドが確立していく訳だけど、バーキンの件を知ると、彼らの図々しさというかしぶとさがよく分かる。恥ずかしくないんだろうなぁ。
ファッショングッズとしての皮革は、毎日のように目にする。 が、それがどうやって私たちの手元に届くのか。 恥ずかしながら、この歳になるまで、全く考えたことがなかった。 筆者は世界各地の皮を作る職人を調査してきた研究者。 動物の屠殺から、皮をはぎ、肉や毛を落とし、タンニンなどを用いてなめす。 皮なめし...続きを読む職人は高度な技術を持ちながらも、重労働の上、においや汚れが忌避され、かつてはコミュニティの周縁に追いやられることが多かったという。 この話は、日本国内でのこととしては聞いたことがある。 が、イベリア半島やモロッコのユダヤ系の人々や、客家なども同じような歴史を持っていたということは、本書で初めて知った。 本書は、筆者のこれまでの研究の成果を取り込んで、さまざまな方向から皮革づくりをめぐる問題を取り上げていく。 読み方が雑だったのだろうが、話があちこちに飛んでしまい、追いかけるのが結構大変だったというのが正直な感想だ。 問題の広がりは理解できたが、問題間の有機的なつながりまでは十分理解できなかった。 それから、ファッション業界が、あるいは消費者が倫理性を今ほど重視するようになったのはなぜなのか。 現象としてそのようなことが起きているのはわかるが、実際どの範囲で、どこまでひろがっているのか。 こういった疑問もまた、出てくる。 読んでいて俄然面白くなってきたのは、第五章「日本の皮革はブランディングできるか」。 日本の皮革加工の現状についてのことだ。 ヨーロッパでは、(うまくやれた)職人たちは地位を向上させる。 が、対照的に日本ではうまくいかなかったようだ。 世界に誇れる品質の皮革を作れる技術がありながら、それをうまくブランド化できず、買いたたかれてしまったというのだ。 技術は一度絶えてしまうと、復活させるのが難しい。 その意味では、ブランディングをして、持続可能な範囲で製品づくりを継続することと同時に、技術を記録・保存する努力も必要なのかもしれない。
皮革とブランド 変化するファッション倫理 著者:西村祐子(駒澤大学総合教育研究部教授) 発行:2023年5月19日 岩波新書 皮革製品は高級ブランドに欠かせない、中心的な存在。一方で、時代によるファッション倫理の変化の影響を受けやすい運命もある。かつては高級ファッションの象徴だった毛皮のコートを...続きを読む見ることも、いまやない。これは動物愛護の倫理観だが、では、その代わりに石油由来の合成皮革を使えば、今度は環境面で優しくない。 家畜の牛や豚の肉を食べた後、その皮を利用するならいいだろう、逆にその方が環境のためになる、というのも正統な理屈だが、それでも肉を食べないベジタリアンやヴィーガンは納得せず、パイナップルなどの天然由来で作る合成皮革も登場している。 もう一つの皮革ファッションにおける倫理問題としては、今風にいうならフェアトレード問題につながる労働搾取の問題のようだ。動物から剥がした皮は、毛をむしり、洗浄して滑らかにして、革にしないといけない。「皮なめし」という工程であり、高い技術が必要となる。ところが、世界中、どこでも皮なめしやその職人は嫌われた。500メートル先までとどくという悪臭、汚れ、六価クロムによる人への影響、重労働・・・高度な技術を秘密にする姿が偏見も引き起こした面もあったようだ。 ヨーロッパにおいては、職業ギルド間の分断もあった。皮なめし人のギルドは、革製品の職人ギルドや商業ギルドに比べて報われなかった。インドにおいても、皮なめしは、最初は、被差別カーストとイスラム教徒の仕事だった。差別とも無縁ではなかったが、軍需に不可欠で大きな利益をあげる皮革産業は、各国の支配者から重用されるようになる。そして、「百科全書(百科事典)」の登場により、その技術が一般の人々にも説明され、彼らが化学者であり技術者であることが明らかになると、皮なめし人たちへの忌避は消えていった。 一方、日本においては、徳川時代の身分制度により、差別や偏見、そして搾取が固定化されてしまった。皮田(皮多)身分は固定化されて他の職に就けず、過酷な労働から逃れられなかった。明治時代、姫路の白革が輸出されると、ヨーロッパでは絶賛されたが、それは皮なめしにおける格段に違う手間暇のかけかたによるものだった。世界にいけば素晴らしい評価を得られる革をつくるため、江戸時代に皮田たちはその労働力をとてつもなく安く買いたたかれていたことになる。今でいうフェアトレード問題ということになる。 筆者は、結論的に皮革製品は高く一生使えるものに限定でいいというような書き方をしている。安い労働力で作られた皮革製品を少し使っては捨ててしまう、ということを続ければ、それこそ環境への負荷もかかる。いい皮革製品は修理をし、一生使えるようなものであり、そうしたものを少量作り、しっかりと労働に対して報酬を払い、それを一生使えばいいというような意味合いだと解釈できる。 筆者は社会人類学者だが、前半は社会学的な分析で皮革製品の歴史と社会が分かりやすく語られていたが、全体的には少し焦点が定まっていないようでもあった。皮革以外のファッションの歴史に関する話も多く、興味深かったが散漫になる部分も少なからず感じられた。 ***** 皮を革にする「皮なめし」は、多くの文化の中で卑しい仕事とされてきた。アジアではケガレという宗教的な概念で差別されてきた。彼らの職場は、悪臭と闘いながら屍を取り出す過酷なもの。解体過程では常に臭気や汚れにまみれ、毛抜きを促進する酵素には、犬の糞や動物の脳を腐らせたものが使われたこともある。酷寒の川で皮を洗い、何十キロもの原皮を担ぐ重労働もある。ドイツでは、死刑執行人と同列に扱われていたこともある。 1878年のパリ万博を皮切りに、日本の代表的な工芸品のひとつとして姫路産の皮革製品が世界に紹介される。雪のように白く美しいのに、驚くほど強靱でしなやかな日本の白革(姫路革)は、「ジャパニーズ・ホワイドレザー」と絶賛された。どのように作られているのか、欧米から専門研究者が派遣され、英語やドイツ語で何本も論文が書かれたが、日本国内では卑賤視がなくならなかった。 西欧では中世から近世にかけて商工業者の間で結成された。一人前になった職人は「旅をする人」と呼ばれ、他所へ修行に行けた。証明書を発行するのはギルドだった。 19世紀になると、独占的な販売権を持っていたギルドも、安さと早さと大量が求められるようになり、解体へと向かっていく。黒死病が収まって腎教急増もあるが、軍隊により皮革需要が急増したのが大きな原因。革職人は家族間での分業で効率化し、対応した。 省力化とスピード化は、皮肉にも職人の失業を増加させた。早く靴はできるが、熟練職人の需要が減り、女性や子供が工場で低賃金により雇われて靴をつくるようになった。 ギルドは縦割りで組織され、職人ギルドと商人ギルドも対立。とくに皮なめし人たちの不満は大きい。高度技術を必要とされ、最も過酷な労働を強いられるのに、安く買いたたかれた。彼らは直接消費者に売り込めない。結局、皮なめし場を持ち、靴やバッグなど最終製品まで作れる体制の大規模工場主が有利に。 ユダヤ人たちは迫害の歴史から、土地に密着した生活を送る農民にはなれないと考えていた。都市民として生き残れるように、手に職をつける。中世では、それは職人だった。 イスラム教徒とユダヤ教徒の職人が、スペインのコルドヴァで作っていたヤギ皮は多彩な色に染められ、欧州中に広まっていた。その名を「コードヴァン」と言い、高級品の代名詞になった。今日、コードヴァンとは馬の尻の部分を使った皮を指す。特に(米ホーウィン社の)「シェル・コードヴァン」は高級な馬革。 完成品の革は儲かるし忌避感もないが、皮なめし人はどの国でも「ひどい仕事」のひとつと考えられていた。しかし、革は重要な軍需品でありぜいたく品のため、どの国の領主も皮なめし人を歓迎し保護した。ユダヤ人は皮なめしに限らず、現地の人々にはない技術を持った集団でもあり、商売がうまく金融にも強かった。貴族や王族たちにとっては有益な存在。ユダヤ人の皮なめし職人には、土地と建物を与えて定住を促した。土地の人々は嫌がったが、支配層は現実的な判断をしていた。 アジアでは、皮革とつながりが深い移民集団として、客家(はっか)と呼ばれる華僑がいた。インドで皮革業を取り仕切っていたイスラム教徒と共存し、カルカッタを中心にインドの皮革産業を発展させた。18~19世紀から定住していた。彼らの進出前は、インドではイスラム教徒か被差別カーストの職業と決まっていた。しかし、二次大戦後には中印紛争があり反中ムード。1970年代には皮なめしの汚水処理が環境問題に。客家の多くは東南アジアや欧米へ移住。 大量生産なってこその高級ブランド 高級ブランドと大量生産は結びつきがたいと思いがちだが、真実はその逆。かつての高級品のコピーをした大量生産と、1980年代から始まった高級品の大量生産は大きく異なる。原点は「オートクチュール」の「メゾン(高級服飾店)」システムにある。17-18世紀にはなかったが、19世紀末にパリに登場したメゾン。以前はデザイナーという独立した職種はなく、王侯や貴族は有名仕立屋を自宅に呼んで1着だけの高級注文服をまとった。宮廷に出入りしていた貴族により、宮廷の「モード」が外へと伝わる。みんな憧れて、真似をしたがる。 フランス革命後、政府はファッション産業育成に力を入れたが、メゾンを中心とした戦略をとった。このシステムでは、顧客の家に行くのではなく、顧客が店に足を運ぶ。多くの注文を受けられ、効率的な生産ができる。縫製ミシンの登場が後押し。メゾンはパリに開店しなければいけないが、オーナーはフランス人である必要がない。世界から才能が集まった。 高級ブランドとポップカルチャー 革はアウトローやクイア・コミュニティ(変わった性的指向者の集団)or LGBTQのシンボルとなった。それはフレディ・マーキュリーなど音楽とも結びついた。 パンクロックやヒップホップなどのポップカルチャーで、反商業主義の広がり。それに連動したファッションが、カワクボ・レイ、ヤマモト・ヨージ、ミヤケ・イッセイだった。とくにカワクボはパンクの申し子だった。パリコレでは「パールハーバー・アタック」と評する批評家たちもいるほど、激しい非難がおきたが、若者層からは熱狂的な支持を得る。「貧乏ルック」はファッション界を席巻するように。身分や地位を誇示するためのファッションに、飽き飽きしていた消費者たちの意向に、高級ブランドは気づかされていく。 90年代初頭、名門グッチを倒産寸前。立て直したのは、30代前半でクリエイティブ・ディレクターに就任したトム・フォードで、クイア・コミュニティ出身だった。彼がデザインするアパレルへの注目により、より高額な皮革製品、とくに鞄類の売上げが飛躍的に伸び、売上げは倍々ゲーム。「服で客を呼び、高額で利幅の大きい皮革製品を買わせる」戦略は大当たり。 ファエアトレードや動物愛護、環境問題 毛皮は日本人にとって魔除けの意味があった。武将の大将が陣地でトラの皮の上に置かれた低い椅子に座っているなど。 1970年代に起こったフェミニズムで、毛皮が標的になった。毛皮を着ることは、高価な毛皮を「買ってもらえる」女性と「買ってもらえない」女性とに分断する行為だと。それに大いに賛同したのが動物愛護派だった。1986年のキャンペーン成功から、毛皮産業を衰退に追い込み、21世紀にも通じる倫理をあらわにした。しかし、これで困ったのは毛皮産業ではなく、動物を捕獲して生活しているエスキモーやネイティブ・アメリカンだった。 21世紀のフェアトレードの動きにより守られるのは、労働者の権利だけではない。そこでは、素材となるために殺される動物への十分な配慮も要求される。 エルメスは、グレース・ケリーが持ったことで有名になった大サイズのハンドバッグ「ケリー・バッグ」で大成功を収めた。ジェーン・バーキンからの要望で、それよりさらに大きな「バーキン」を作り、それはたちまちエルメスのトップ商品になった。しかし、ここで問題が。バーキンには牛革だけでなく、クロコダイルの皮で作られているものがある。数百万円から数千万円の価格帯があるバーキンの中でも最も高価なもの。そのクロコダイルが残虐な殺され方をしているという指摘があった。バーキンはエルメスに強く抗議をし、自分の名前使用差し止めをしようとした。エルメスは、屠り方に十分配慮することを約束した。 日本の皮なめし ・タンニンなめし:植物の渋(タンニン)でなめす ・クロムなめし:自然界にあるクロムを化学処理してなめす ・油なめし:上記に比べて格段に時間と労力がかかり、大きく頑丈な革をつくるのには不向きで欧米ではすっかり廃れていた(せいぜい手袋)。柔らかい肌触りにはなるが、強靱ではない。 明治期に英国に輸出された姫路の白革は、古代的な油なめしでつくられているのに、驚くほど強靱でしなやか、おまけに漂泊していないのに輝くような白さだった。白革はプラスチックがなかった時代にはロープや工業ベルトなどにも重宝されたが、やがて輸出からは消えることになる。それでも中小なめし工場で生き残り、1960年代まで続く。 ところが21世紀に入り、日本の白なめしや脳漿なめし(牛馬などの脳髄を使用)が欧州の専門家たちに見直されていく。環境にやさしく、作り手にもやさしい(臭いガスなどが出ない)。 なめし道具がなかった頃、人類は原皮をかんでだ液にある酵素を利用して固い原皮をなめしていた。時間がかかるのでほんの少しの革しかできない。人の尿や鳩の糞を集めて酵素として使うこともあった。 明晩につけ込んで革を白くできるが、弱いのでブックカバーなどに使用、廃れた。姫路の白革もミョウバンの使用が疑われていた。ところが、姫路の白革はしなやかで強靱で長持ちする。 どうやるか? 姫路を流れる市川や龍野を流れる揖保川に、原皮を長時間晒す。それらの川には特殊なバクテリアが住んでいて、タンパク質を分解し、毛抜きを楽にしてくれる。米ぬかを発酵させ、人肌よりやや高い液体に浸して酵素を活性化させる。表面の毛をこそげ通った後は、ひたすら原皮に油を塗り込みながら、足や手で踏み込んだりひっぱったりを繰り返す。適宜塩を入れ、天日に干して殺菌。取り込んで重石をして寝かせる、それを引き出してまた踏み込みを繰り返す。 踏み込みについやす膨大な労働力。皮田(皮多)部落では分業体制が機能し、踏み込みは女性の仕事、それが終わって強くひっぱったりしごいたりするストレッチングの作業は男性の仕事だった。 品質の高さと美しさで知られていたとはいえ、近世の日本の革は、労働力をあたかも湯水のように使用してつくられたもの。徳川時代の身分制度は、皮田の職人たちが他の職に就くことを禁止し、強制的に縛り付けて安く労働力を調達できるシステムを確立していた。 西欧でも皮なめし人は忌避された。悪臭がするし、技術を明かさないので秘密めいた人たちだとの偏見もあった。変わったのは18世紀末で、「百科全書」の出現による。皮なめしの項目もあり、作業内容などが説明され、皮なめし人たちが何をしているのかがはっきりわかり、怪しげな魔術師ではなく、れっきとした化学者、技術者だと認識された。 日本はピッグスキンで世界をリードしている。全国の豚革の大部分を生産するのが投稿であり、加工場が墨田区に集中していることも知られていない。牛や山羊、鹿の原皮は外国からくるものが多いが、豚皮は国産100%を達成し、豚処理の大きな食肉工場は品川区にあるため、すぐさま墨田区に運ばれてフレッシュなまま加工される。 ミドリオートレザーは日本でトップクラスの皮革会社で、車の内装や座席用の革の生産で世界第3位。戦後の会社で、「ミドリ安全」(安全靴)を作っていた会社。 ポール・マッカートニーの娘、ファッションデザイナーのステラ・マッカートニーは、ベジタリアンとして育ったため、動物もいかなる形でも傷つけないことをモットーにしている。人工皮革や塩化ビニールを使うことはもはやブランディングの手段。合皮は天然由来のパイナップルやコルク、サボテン、マッシュルームなどを利用したヴィーガンレザーもすでに存在する。 だが、一般の人はここまで徹底できない。美味しいと食べた牛や豚の皮を身につける方が、環境に負荷がかからないという見方もある。石油由来の合成皮革を使う方が罪深いことにもなりかねない。
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西村祐子
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