真逆の般若心経――「無」を「有」で読む

真逆の般若心経――「無」を「有」で読む

2,090円 (税込)

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【内容紹介】
修羅の人生を見た元国際金融エコノミストが描く276文字の新宇宙

(本文より)
独行中一瞬の閃き、「無」を「有」に置き換える

還暦を控えた五九歳のとき、わたしは自分なりの大きな出来事に直面し、それを契機として国際エコノミストから転身、仏道修行の道に入りました。道場は山梨県甲州市にある向嶽寺の専門道場、師匠は瑞松軒宮本大峰老大師様でした。一五年の修行を経て七五歳のとき、老大師様のご厚意で塔頭の真忠軒に入らせていただき、そこで雑木や竹林を伐採、生い茂った雑草を取り除いて独り修行に励みました。

この真忠軒の庭で、朝早く草刈りをしながら『般若心経』を観じていたときのことです。なぜか一瞬閃いたのが、『般若心経』の「無」を「有」に換えるという発想でした。おそらく「空・空・空…」「無・無・無…」と『般若心経』を観じ続けてきた積み重ねが沸騰点に達し、閃きが生じたのだと思います。この発想を論理的に示すと次のようになります。

『般若心経』には、「五蘊はすべて空である」と説かれている。これは「五蘊はすべて有る。しかもそれらはすべて実体が無い」という意である。

『般若心経』には続いて「五蘊は無である」と説かれている。

然るに、今ここに自分がいる。大地に草が生えている。自分は鎌で草刈りをしている。自分も、大地も、草も、鎌も存在している。確かにすべてが存在している。確かにすべてが有る。

とすれば「五蘊は有る」という『般若心経』があっても良いのではないか。

これは誰から見ても突拍子もない発想かもしれません。何しろ千数百年の間「無」を基軸に置いた『般若心経』が連綿と続いてきたわけですから当然です。しかしながら、仏教学者でも研究者でもないわたしには、この発想が学問的に正しいかどうか判断がつきかねています。私は「無と有は表裏一体」と考えていますが、そのためとりあえず、「『般若心経』の無の字を有に換えるとどのようなお経になるのか」、試してみるつもりで本書を執筆してみました。
【著者紹介】
[著]水野 隆徳(みずの・たかのり)
1940年、静岡県の臨済宗妙心寺派の寺に生まれる。東京大学卒業後、富士銀行入行。調査部ニューヨーク駐在シニアエコノミストを経て独立。金融財政事情研究会ニューヨーク事務所所長、富士常葉大学学長、奈良学園理事、(公益財団法人)郷学研修所・安岡正篤記念館理事等を歴任。現在、禅と安岡教学に基づいて人道・政道・経営道を説く「水野塾」を主宰。1986年、白隠禅師ゆかりの松蔭寺の中島玄奘老師に弟子入り、2000年、赤根祥道師に学び、2001年より臨済宗向嶽寺派管長・宮本大峰老師に参禅、現在は臨済宗大本山向嶽寺塔頭にて独行に勤める。主な著書に『アメリカの罠』『円覇権への道』『水野隆徳の円とドルの読み方』『アメリカ経済はなぜ強いか』『徳と利の経世学』などがある。
【目次抜粋】
『真逆の般若心経』の刊行にそえて
序文
第一章 なぜ『真逆の般若心経』か
第二章 お釈迦さまのイメージが変わる!!
第三章 『真逆の般若心経』を説き明かす
第四章 「五蘊」を有りのままに見る
第五章 生滅・垢浄・増減に徹する
第六章 五蘊を全開させる
第七章 菩薩の悟り:心に罣礙なし
第八章 三世諸仏の悟り:阿耨多羅三藐三菩提
第九章 真言の世界
第一〇章 修行を究める
終章 八二歳、わたしと『般若心経』
結び
あとがき

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