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「おやじ死ぬんだろう、だったら、その前にしゃべっておけ」(息子) 末期の肺がんであることが発覚した親父に、息子がとことんインタビュー。 1960年代後半、元東大全共闘・駒場共闘会議のリーダーであった親父が息子に語る、 全共闘という時代。
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Posted by ブクログ
肺がんで死にかけている 団塊元東大全共闘頑固親父を 団塊ジュニア・ハゲタカファンド勤務の 息子がとことん聞き倒す! 長い副題がついた対談です。 かつて活動家であった父に、息子が腹を割ったインタビューをする。 話の中心は、大学生時代の父が、学生運動をしながら、考えたこと、憤ったこと、嘆いたこ...続きを読むと……。しつこいほど語り倒されます。 家族なんだから、「まあ、そのくらいでいいじゃん」という妥協がまったくないところが、なんとも小気味よい一冊になっています。 とにかく、しつこく微に入り細に入り書かれています。 歴史観の枠組みの中に、明弘氏が関わってきた自分史が実存体験としてマッピングされていることがわかります。 団塊世代である明弘氏の体験は、私が「子供の頃、ニュース映像で見たアレ」を、カメラグーッとズームアップしていって、すごい接写にして見せてくれる、そんな感じです。 この時代の活動家の青年たちの多くは、大企業に就職し、役職に就き、経済の担い手という役割を果たしながら、大学の四年間がなかったことのように、口をつぐんでいます。 それを思うと、明弘氏の自己開示、時代回顧は、私にとっては本当にありがたい非公式資料です。 「ある野心とその敗退」と題して、大学の1年下で、とんでもなく優秀だった在日韓国人L君のことを語っています。 L君の父上は、民団の有力者で経済力もある人でした。 親父 L君は、韓国人として、堂々と韓国の外務省に就職しようと考えたの。 韓国の外務省に就職して、韓国のキャリア外交官になって、在日韓国人出身の初の駐日韓国人大使になろうという野心を抱いたの。 これは、俺、すごいことだと思うのね。 息子 立派な野心だね。 L君は、東大を卒業し、ソウル大学の大学院を卒業し、将来を嘱望されていました。ところが、当時の朴政権と繋がりがあった父上が事業に失敗すると、手のひらを返したような扱いを受け、外務省の試験も受けさせてもらえませんでした。 そのとき、韓国本国の人に言われたのが、「おまえはパンチョッパリだから」という言葉です。 「チョッパリ」とは、豚の足のこと。下駄や足袋をはく、日本人の蔑称だそうです。 「パン」は半分。 親父 パンチョッパリは半分日本人って意味。つまり、韓国本国人から見た在日韓国人や、彼らと日本人との間に生まれたその子供たちに対する悪罵の言葉なわけだよ。 「お前みたいなパンチョッパリに我が祖国の大切な外交をまかせられるはずがない」って、蔑まれたんだとL君は受けとめた。 息子 差別なんだな。日本でも、韓国でも。 能力や才能と関係なく、国と国との間で翻弄される人間。 L君の憤りや無念をきちんと語ることができる友人がいることが、せめてもの救いであったと思います。 ところで、誰も語らなかったあの時代を語り倒して逝くはずだった明弘氏は、代替医療が功を奏して、いまだご健在の様子。 もっと語っていただきたいと思います。
その時代時代の考え方があるけど、間違いなく言えるのは、親父が過ごした時期と生き方の方がおもしろそうだ、ということ。
学生運動の内情、当時の世界全体のパワーバランスが、親子対談形式で語られている。第二次世界大戦終了前後の各国民の思惑も語られ、非常に面白かった。最後の宗教論の部分は、ちょっと流し読みしてしまった。
「時代にわしづかみにされた」by小阪修平 政治の季節の学生運動、そんな大雑把なくくりでしか知らなかったけれど、若者が本気で社会の事を考えていた美しき時代、とは必ずしも言えなかったようだ。ゲバ棒と赤ヘルで騒いていたのは学生だけじゃなく、若年層労働者や機動隊だっていっしょに騒いでいたのだ。 その...続きを読む時代を直接的にしらない私は黒縁メガネの黒髪学生が叫んでいる写真や、漢字だけで書かれた堅苦しい名称に人の熱のようなものを感じ、憧れのようなものを抱いていた。 学生運動といっても初期の安保闘争と後期の全共闘運動は訴えの内容が違っているし、左向きの運動と言っても共産党系の左翼と、共産党の批判派としての新左翼があったりと、なかなか込み入っている。 全共闘運動は政治度100%の運動とはいえない。どこかの誰かのほんにも書かれている通り、それは金持ち坊ちゃんのヒマつぶしであり、社会の大きなうねりに対する漠然とした違和感の、もっとシンプルで分かりやすい表現方法だった。共産主義の革命的暴力とはただの建前で、中身は社会という親に対する反抗期だった。 学生運動は時代の節目に生まれた祭りのようなものなのかもしれない。結果、社会が変わったのかというとそんなことはなく、現在はあの頃の延長線上にちゃんとあるんだろう。若き活動家もちゃんと社会に嵌めこまれて、ちゃんと歯車している。
全共闘っていったいなんだったんだろう?って、後の世代の人間からするとわけがわかんない。事実とか事件とか政情とかよりも、当事者の心情がわからなかった。この親子の対話で、その一端が明らかになる。何よりも、父親とこんなに話せるなんて、うらやましいことだ。一生かかっても自分の父親とこんなに話す機会なんてない...続きを読むと思う。
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