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中学生の翔太と猫のインサイトが、「いまが夢じゃないって証拠は?」「心があるって、どういうこと?」「たくさんの人がいる中で、自分だけが『ぼく』なのはなぜ?」といった問いをめぐり対話する。「私」が存在することの奇跡性や可能世界、正義原理、言語ゲームなどの諸問題を取り上げる予備知識のいらない哲学入門。
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Posted by ブクログ
たまに読み返すが、一回目に読んだときより数倍面白い読書体験ができる。スルメ本や。 著者の言っている「哲学」が本当の哲学ならば、勘違いしている人が多い気がする。("本当の"なんて書いてしまっている。何事にも明確な答えがあると思っていたんだね。2025/10/20) 私は哲学も好き...続きを読むだが、それ以上に思想が好きだったのかな 著者の言う「哲学」というのは、問いに対して正しく考えていく作業のことだと解釈した。 実在論 懐疑論 可能世界 余人 p37二重スリット問題 「彼女がほんとうは怒りっぽいとか、この部屋は見られてないときには存在しないとか、ぼくたちが培養脳の中の脳だとか、そういうことが主張できるためには、ぼくたちが実際に手に入れられるような根拠がなくちゃいけないってことなんだね!」悪魔の証明、無知に訴える論証 p41「ふつうのひとは誰でも実在論的真理観を持っているね。つまり、人はこっち側に主観的な『考え』があって向こう側に客観的な『事実』がある。その二つが一致すれば、その考えは真理だった、ていうわけだ。」 p88「……最後に生じる味ってものが生じなくても、物理化学的には何の問題もないところだな。味蕾から脳までインパルスが伝達されて、脳に何か物理的な変化が起こるってことは、『味がする』ってこととは別のことだね?」 物理化学的な反応の後に精神主観的な「味」というものがなぜでてくるのかの理由は説明できない。 超越論的観念論……カントが考えたもの。心の外から出て、因果性が心の外の外界で客観的に成り立っていることを証明しようとした。そこでカテゴリーという概念を導入した。 さまざまな感覚的経験にカテゴリーが適用されることによって、はじめて、それが客観的な現実として認められることになる。統覚というはたらきを利用してカテゴリーに従って自分が知覚したり経験したりするさまざまなことを秩序付ける。 五覚では視覚が優先される「幻触」はあまり聞かない。 「ぼく」という存在を起点として「ぼく」の存在証明ができる。「ぼく」という存在に因果は通用しない。 仮に私と全く同じ遺伝子を持ち、全く同じ環境で育った人がいたとして、それは私になり得るか?否。私はここにいる私のみ。こういうことかな。自我で操れないものは自分ではない。 「ぼくらはぼくらの言語とぼくらの理解力の外に出ることはできないんだ。可能性というのはその中でしか考えられない」 p78「色盲っていうのはね、ある色が別の色に見えることじゃないんだよ。ふつうの人が識別できる複数の色が識別できないことなんだよ。」 「意味をちゃんと習得したと認められた後になってはじめて、事実に関して常軌を逸した主張をすることが可能になるんだよ。」 p94「人間の表情や動作や発言は、痛みの本質そのものと直接につながっているんだ。意味そのものを定めているんだから、必然的な関係って言ったっていい。それに対して、中枢神経や脳の状態は、そもそも痛みとは何であるかってことを決めているんじゃなくて、痛みの概念が確定した後で、それがどういう状況と関連しているかってことを言っているにすぎないんだよ」 微笑みうつ病はどうなるのか? 「嘘とはなんであるか、という嘘の意味を考えるときに、嘘発見器を使おうとするようなもの」 夢の本質は眠っている時に見る、ということにある。 恋はその人の持つ性質に向けられたものだが、愛はその人そのものに向けられるもの。p105 存在を定義づけているもの、存在の本質は何であるか? 時空的に連続していること。時空的に連続して生きた人間でありさえすれば、ほかの何が変わってもその人はその人。(自己に限る?) 補足 時空間をテレポートしたとしても、そういうことが現実に起こっていない、ということがぼくらの同一性の概念に影響を与えており、テレポートが起こったように見えても信用しないという前提で人の同一性は考えられている。 勝ったという事実すら消える。現実においては当然のものとなった。人権概念は勝利した。それが「勝てば官軍」の本当の意味 「自分の側からは決して到達できない、相手の固有の価値みたいなものがあることを、どうしても信じたい」……相対主義p183 正義原理は過去思考的、功利原理は未来志向的p146 オウムやナチスに、倫理的な間違いを証明することはできるか?私達が今いる世界が倫理的に正しいと言えるか? 利便性のために交通事故での死や森林破壊や大気汚染を肯定する私達の世界は正しいと言えるか? 分からない。なぜなら人間の倫理性がたまたまその程度にできているというコト以外考えられないから。 「特に倫理的な問題はね、現に生きている大人の多くが、なぜかそれに納得を感じるっていうことによってしか、究極的には根拠づけることができないんだ」p156 「事実判断から価値判断が導き出せないって主張なんだけど……(略)」p164「ほんとうはよくないんじゃないかって、問題にしていけるってことが、事実から価値が導き出せないってことのポイントなんだよ」p165「価値から価値が導き出せないってことが、問題のすべてなんだよ。」 虚偽意識p163 自覚障害と実践障害p187 「意味が分かる」とは 言葉は理解するものではない。使うもの。実際に使えているかどうかでしか「意味が分かっているか」は分からない。 p199三段論法 意思と欲望は同じ 死は体験ではない。受け容れるべき現実。 理性と理由と根拠はもともとみんな同じ言葉p158 ウィトゲンシュタインのパラドクス ニヒリズム……全てに意味がない = 全てに意味がある 「道徳の存在を前提としたうえで自分を特別扱いする仕方を考え出す」 利他的な行為は無い。すべての行動は利己的に為されている。
実は、ものごとには、それぞれ、勝手に決め込んでいい方向、決め込まなくちゃいけない方向っていうのがあるのさ。 他人には〈自分と同じ〉細部がない 『正直-不正直』の空間 『今』『ぼく』 人生の全体を意味づける何か なにからも規定され得ないがらんどうの空虚さを生きる奇跡
永井均は、大学一回生の頃に『転校生とブラックジャック』を読んで一目惚れし、それ以来ずっと気になっている哲学者である。とは言え、彼の著作は今までほとんど読めていない。それは、彼の著作に挑むには、かなりの勇気を要するからだ! 本書は、副題に「哲学的諸問題へのいざない」とあることからも分かるように、哲...続きを読む学の入門書である。読むのに哲学の特別な知識は必要でない。中学生の翔太と猫のインサイトが対話をする中で考えを深めていくという内容になっている。だが、この設定や可愛らしい表紙に騙されてはいけない。入門書と言いつつも非常に本質的な議論が展開され、読者は、普段の生活のなかでは気にも留めなかったがよくよく考えてみると不思議な問題について自分の頭でトコトン考える営みに誘われる。レビューの最初に「永井均を読むには勇気を要する」と書いたのはこれである。つまり、生半可な覚悟で読み始めると目は紙面を滑るだけで議論を追えず、ましてや自分の考えを深めることなどできず、ただ時間を浪費するだけになりかねない(僕自身の経験です笑)。哲学は、決して知識の羅列ではなく、自分の頭で考え続ける営みそのものだ、ということに気づかせてくれる一冊だ。 ・p.11 少し前に書いた『鬼滅の刃無限列車編』のレビューと偶然にも関連している。 ・p.32 「立花由美」が生まれてから死ぬまでに一度も怒ったことがないのに、(彼女を怒らせる出来事がなかっただけで)彼女は実は怒りんぼうだったということが有り得るかという問題について。「怒りやすさ」のアナロジーとして「才能」が思い浮かんだ。例えば、「何に才能があるか分からないから色々なことを経験するべき」という言説があるが、これは暗黙のうちに才能というものの実在を仮定している。現実としてあるのは、「人物AがあることBをして上手くいった」ということだけで、それを後から見て「AはBに才能があった(だから上手くいった)」と言っているだけなのに。そういう言い方をすると、人の一生は予め決まっているのだ、みたいな決定論・運命論に繋がってくる。あたかも実在があるかのように言っていることは、身の回りにたくさんある気がする。そのほとんどは別に実在的だろうがそうでなかろうが特に困らないだろうが、才能のようなセンシティブな事柄については慎重にならなければならないように感じた。 ・p.35「自然な」超越とはなんだろうか?何をもってその自然さは妥当なものとされるのだろう。以前読んだ『科学哲学の冒険』には、科学の一推論手法としての帰納法は、世界の連続性がないと成り立たないと書いてあった。多分、自然さも世界の連続性から担保されるのだと思う。ただ、世界は連続だと言っても、僕たちが感じている世界には不連続性が至るところにあるし、僕たちにとっては僕たちが感じ取れる世界がすべてなのだ。例えば、瞬き(コンマ数秒の不連続)・夜寝ること(数時間の不連続)。確かにそれこそ「寝ている間」にも世界は実在していると思い込むしかないだろう(し、それが自然だと思う)。 ・p.56 「H2O」が物質であるのに対し、「水」は現象であるように感じる。「水」というものは、僕たちが普段感じるあの「水らしさ」から定義されていると思う。例えば「水に流す」など、比喩の中で水という言葉が使われることも多いが、そういうとき、水を物質としてではなく、性質から構成されるものとして捉えている気がする。つまり、「水」は「H2O」であろうとなかろうと依然として「水」だ。 ・p.110 時空間的な連続性が他者の同一性を保証しているとあるが、普段の生活の中ではそんなことはしていないだろう。ある日友人と別れて次の日また会ったとき、(その間の連続性を確認していないわけだから)ある日あった友人と次の日あった友人を同一であると見なすのは、結局顔や声・体つきだ(もちろん、別れてからずっと監視していれば、時空間的に連続しているかあるいは不連続かが確かめられるけど)。自分がどのように同一であるかを他者にも当てはめているか、見た目で区別がつかない人間が二人現れることは滅多にないという確率的・統計的な推論をしているのだと思う。 ・p.135 有名なラッセルのパラドックスに構造が似ている。 ・p.206 大学に入ってすぐの頃、数学基礎論を少し勉強してなんか大学っぽいことをやってるなぁと嬉しがっていたのだが、例えばモーダスポネンスといった推論規則は公理として認めることにガッカリした記憶がある。それを最初から認めるなら、全然「基礎」じゃないじゃん、と正直不満だった。大学院生のチューターの方はそれについて「メタ的な議論なわけだね」って言ってたけど。今考えてみれば当たり前で、数学は公理が与えられないとどうしようもない(それは、数学基礎論であろうと)。数学も「言語ゲーム」の一つなわけだ。今となってはそのとき勉強した知識を使う機会もないけど、数学基礎論とか公理的集合論とか勉強して良かったと思っている(唐突な自分語り)。 ・p.232 「ここ」と「いま」の違いには、空間は前進・後退ができるけど、時間は一方向にしか流れないという違いも大きいと思う。
何度も読み返すのに値する本だと思います 他者についての議論がすごく面白かったです。 でも私も本当は作者が言いたいことが分かってないのかも… 分かったと思ったのは全て思い込みであるかも… ただ自分の貧しい頭を何か面白い考えで満たしたいだけかも… そうだったら虚しいね それでも凄い本です 「私」について...続きを読む考えさせずにいられない本です
深い示唆を促してくれる。そして、読み進めるだけでは理解もできない。自分の頭で考えぬくことこそ哲学なのであってそれ以外ではないと教えてくれる。
翔太と猫のインサイトの対話形式で進む。 哲学ってどういう考え方で考えて行くのか、各テーマに対するそれぞれの考えは出ているが、あくまでそれはその登場人物が持った答え。 それを眺めだけならば、ただの思想書になってしまうが自分なりの答えを考え始めるならこの本を哲学書として楽しめたと言えるんじゃ無いかと思う...続きを読む。 私はまだ思想書レベルでしか楽しめていない
哲学的な思想に興味を持っていたところ、美術館で発見。小中学生向けとのことできっと簡単に読めるかな、と想定して購入しました。 …非常に頭を使います。 そもそも、哲学とは思想や信条、とおりいっぺんの真理を示すものではないとのこと。この書では、あらゆる哲学的問題を使ってどのように思考を広げるか、猫のインサ...続きを読むイトの誘いで考えていく本。「君は本当に馬鹿だねえ」「君は本当に頭がいい!」と、インサイトの翔太への評価がころころ変わるところも見物(笑)。 学説が体系だって「分かりやすく」説明されている訳でも、物語で「簡単に」理解できるようにもなっていません。 過去の哲学者が提示した様々な問題や説を理解したうえで、それはなぜなのか、どうしてそうなのか、自分で思考していくことがきっと本書が書かれた目的。 にしても難しかった…。何度も反芻しながら読み進めても、何をいわんとするか分からない部分も多くて、考えきれていないなぁと実感します。ただ、想いも馳せなかった問題の見方を知って、考えたこと、そしてあらゆる学問の根底の考え方に触れたことなど得るものは多かったと思います。 また少し時間が経ってから読み直したい。違う実感がわきそう。
「哲学を学びたいんですけれど何かいい本とかあるかな?」 と聞かれたら、真っ先に本書を読めと興奮して勧めるだろう。 作者自身が自画自賛している通り、「哲学」をするために(「学ぶために」ではない)最適な教科書に他ならない。 もう、誰かに読ませたくて仕方がない。 いきなり猫のインサイトが「今が...続きを読む夢じゃないって証拠はあるのか」とかいって翔太との哲学的対話篇が始まるところがなんとも滑稽だが・・・。 中学生高校生向きの哲学の本などと書いてあるが、内容はそのまま哲学科の卒論のテーマに使える深い深い問いかけである。 哲学を4年間やってきて、実は哲学をしていなかった自分に気がついた。 最初から最後まで、実に面白い! 哲学と思想は違うということ!哲学のエッセンスはねちっこい議論にある。 哲学から学べる一般論は自分の体験を通して本当の知識になる。 世の中で通用することのすべては、大切なことをすべてはしょってあるってこと。 個人的に印象に残っているのが、「勝てば官軍」の話で、ナチスやオウムが非倫理的だったから挫折したわけでなく、もし彼らが世界を征服していたら、倫理観は違っていたかもしれないということ。
いまが夢じゃないって証拠は?ほかの人って自分が見ていないところでは楽屋で一休みなんかして、本当は登場人物てきな感じにしか存在しないのでは?他人にも自分と同じように心があるの? どれもこれもきっと多くの人が小学生の時考えたことがあるようなシンプルだけれども一人では答えが出にくい疑問を導入に、存在のかけ...続きを読むがえのなさ、言葉はなぜ通じるか、自分は存在している、など哲学していく良書。 永井さんの本は本当に面白いし何より簡単。 すぐに壁にぶちあたって砕けるようなシンプルだけど哲学するには骨が折れる題材をここまで簡単にわかりやすく書いてあるという驚き。 私が小学校三年生のとき漠然と感じた「他者は自分ではない」という断絶感が今になって解き明かされて、進み始めた。
先日、本屋の中を何の気なしにブラブラ散歩していたら、哲学関係の本なのになんとなく面白そうだし、タイトルもとっつきやすそう(内容も簡単そう!)な本があったので中身も見ずに衝動買い。そのまま喫茶店でコーヒーを注文したあと、軽い気持ちでページをペラペラとめくってみたら、鼻歌を歌いながら会計していた10分前...続きを読むの僕をグーで殴り飛ばしてやりたくなるような作者独特の言い回し、難しい哲学用語の雨あられ、というかもはや嵐。今まで哲学関係の本を全く読んだことがない僕は、本を読み終わる頃には、瞳孔は開き、全身を痙攣させながら泡を噴いていたといいます。嘘です。とにかく、内容を理解するには少し頭をひねりますが、作中で猫のインサイトと翔太が論じていることは実はいたってシンプル。僕自身も小学生のときに布団の中で考えていたことと同じ話題がでてきたときには心底驚いて心臓を口から吐き出してしまったほどです。「人間は死んだらどこへいくんだろう」とか「魂とか心ってなんだろう」とか、僕たちがその昔、漠然と考えていろいろ妄想したけど結局よくわからなかった内容を、本書では哲学的な論点から分析していて、読んでいるうちに、ふむふむなるほどなァ!と喫茶店の中で何度も叫び白い目で見られたい自虐的な方には最適な一冊だと思います。
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