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記憶を失っていく母親の日常生活を2年半にわたり記録し、脳科学から考察。アルツハイマー病になっても最後まで失われることのない脳の能力に迫る。NHK「クローズアップ現代」など各メディアで話題!
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Posted by ブクログ
身近な家族が認知症になることは、本人、そして家族も辛いことだと思う。 認知症のお母様の行動を脳科学者としての立場から分析されていて興味深い本だった。
人とはまことに多面的な生き物で、いろんな特性を持っていますが、現代の学校教育では読み書きそろばんと記憶力ばかりが重要視され、それ以外の特性はちっとも評価されない。算数や漢字が苦手だと、勉強ができないヤツだと決めつけられる。このことが、私は以前から不満でした。でも、これからの世の中、AIが発達すれば、...続きを読む読み書きそろばん・記憶力なんかはAIには全く歯が立たなくなるでしょう。その後、人をはかる物差しはどうなるでしょう? この本を読んで、その物差しは、認知症になった方をはかるのと似ているんじゃないかと思いました。失っていく能力を嘆くのではなく、それでも残る人の心の芯に光をあてて、その人を見る。それができるようになりたいと思います。 著者の脳科学的説明はとても分かりやすく、一方で、娘として母を支える中でのイライラなども飾らずに記され、実際に私が支える立場になった時のための心構えとして、とても役立ちました。
父方の祖母に最後に会ったのは十歳くらいの頃、病院でのことだった。 遠くに住んでいたから、祖父を急に亡くしたあと、認知症になった祖母に会ったのはその一度だけだった。私のことを、私の妹の名前でしか呼ばず(年子で名前も似ているので混同したのか、妹のほうを気に入っていたのか)、息子である父の顔も忘れてしまっ...続きを読むた祖母は、それまでの印象とは違う、子供のように純粋な笑顔を私に向けた。自分の名前を呼ばれないことや、息子である私の父を覚えていないことで、おそらく私はショックを受けたのだろう。そのあとも父は何度も会いに行っていたが、私自身は再び会うことなく祖母は亡くなり、お葬式へも行ったはずだが思い出せない。 この本を読んだことで、久しぶりに祖母との様々な記憶が蘇ってきた。お正月に会いに行くと、いつも頭のついた大きな海老を塩焼きにして出してくれた。祖母なりの最上の御馳走だったのだろう、私は今でも殻ごと塩焼きにした海老が大好きだ。朝ごはんはいつも、炊きたての真っ白なごはんと味噌汁に、ハムとピーマンと卵をフライパンで焼いたもの。三色の彩りがきれいだった。アイスクリームのことをなぜか「クリーム」と呼んでいて、「クリーム買うてき」と岐阜の方言で言いながらお小遣いをくれた。優しい声だった。 祖母自身は幸せだったのかもしれない。本書を読み、子供のような笑顔を思い出して、そう思った。自分が悲しかったから、私は父まで悲しかったことにしてしまったのだろうか。あるいは「名前を間違えられた」=「忘れられた」=「悲しい」、というラベルは、大人になってから付けたもので、子どもの頃の私は、「ああ、以前と違う人になったんだな」と思っただけだったかもしれない。本当のことは、自分の過去でもわからない。記憶は、本書でも書かれているように、思い出すたびに変わり続けていく。 あのとき、祖母があらわした表情のまま、心から幸せそうに見えるそのままを、ようやく今私は受け取った。過去の出来事は変わらなくても、見方が変わることで、出来事の意味は変化する。幼い私と父と祖母、私の中にこれからも存在し続ける三人が、「忘れられる=悲しい」という通念のレッテルから救い出された。私はきっと祖母のあの笑顔を、安心してこれからも思い出すことができるだろう。レッテルによる痛みが、想起を妨げていたのかもしれない。 著者が専門とする脳科学と、認知症についての最新の知見を得ながら自ら徹底的に考えた「その人らしさとは何か」の探究の道筋を辿るうちに、自分という存在もまた許容されているように感じられた。「その人らしさ」は、能力の多寡によって「だけ」でできているのではない。むしろ中心にあるのは、感情の動きという、これまでの通念では理性によってコントロールされ、そのまま表出すべきではないとされていたものが、実は自分が生まれる以前から、そして意識しないままに自分でも積み重ねてきた生命の叡智であり、各々の個性を形づくっているということだ。緻密な道筋で語られるこの事実に驚くとともに納得し、私自身も他の一人一人と同様に、全く同じものはどこにもない、一回きりの可能性のあらわれた存在であると感じることができたのだ。 愛情深い洞察が、著者の母のみならず、ひとつひとつの生命の肯定として聞こえてくる。「自分らしさとは何か」に悩む人に向けた耳障りのいい言葉が連なっている本は数多あるが、まったく質が異なる。そういう本は往々にして、新たな依存心の矛先を示しているように私には思えてしまうのだが、本書は著者とともに、読者も自ら思考し、自分自身を救い出す力を自然と喚起される。認知症の母親と暮らす上で起こる、現実生活の細やかなディテールと、そこから導かれた考察を読むうちに、読んでいる私まで、存在を許されている安全地帯に連れてきてもらったように感じられた。この安全地帯から、我々読者も、自分に備わった力を発揮することができるはずだ。表面を取り繕うのではなく、心から他者を肯定するように行動していなければ、文章にこのような感じは決して現れないものではないかと思う。そういう著者の心の質感が、文体から感じられる。 「死んだ後までつながる方法があるのなら、家族で行って見ておきたい、と思った」、と著者は「あとがき」の冒頭で言う。あまりに自然な言い方に、私はまたも動揺した。人柄の現れた、衒いのない文体がそうさせるのだろう。ここまで本書を読んできた人なら、彼女の言葉に嘘も誇張もないことを私と同じように感じているはずだ(そんなに自分を責めなくても……と思ったこともきっと一度ではないだろう)。 私は誰に対しても、そんな風に思ったことがない。もちろん普通に、育ててくれた両親や家族のことは大切に思っているのだが、「死んだ後までつながる方法」まで考えたことはない。 自然にこうした言葉が出てくるような関係をもともと持っていた人だからこそ、このような真摯な頭脳と感性の鍛錬が可能だったのか。もしくはこの本に書かれている痛切な経験が、著者にこのような自覚を齎したのか。 両方なのではないか、と感じながら文庫版のあとがきを読む。 人間が自由であるとはどういうことだろう。 著者は現実と「闘って」いるのでは決してない。家族のことを、自由を阻む「敵」だとか「軛」だなどと感じているのでもない。 そのような抽象的な「自由」を求めているのではなく、どんな状況にある人でも求めてやまない、人間の尊厳を実感し続けるための原資である、心の自由が損なわれないことを、どのようにしたら誰もが感じ続けることができるのかを、具体的に実践的に考え続けている。 どこまでも真摯なその姿が、これからもいつまでも私の心に残り続けるだろう。
前に読んだ本だが文庫化を機に再読。 認知症のメカニズムと関連した脳科学・認知科学の知識が、実例を、しかも実感を持って書かれているだけによくわかる。ただ、結論部の”感情”についての議論の後半部分はちょっとまとまっていないと感じた。著者が母の現状について、それでも意味があることを納得したくて、唯一大きく...続きを読む残っている「感情」に重きを置きたい、とも読める。行動に付随するものとしての感情と、その人らしい反応としての感情は、同じものなのだろうか。その人ならではの反応は、やはり”性格”のようなもので、反射的に表れる”感情”とは重なるところもあるけれど、重ならないところもあるのでは。
とても勉強になった本です。 私は認知症を専門として デイサービスを運営しているので、実感として感じることができました。 専門家として認知症のお母さまを見ている視点が書かれており、支援方法や冷静な視点で考察している様子や、脳の専門家として冷静さを失う内容もあり、とても面白く読みすすめることができまし...続きを読むた。 少し気になったのが、多少の専門的知識がないと読みすすめるのにつまずくかと思います。 とはいえ、この本はかなり認知症の的を得ている本なので一読ありです。
娘、家族としての感情が飾らずに書いてありました。脳についての知識も難しすぎることでなく、基本のあたりを触れてくれているので抵抗なく読みやすかったです。 自分の家族がそうなったら…と思いながら読んでしまうが、失われないその人らしさについてこうしえ形にしてもらうと、励まされる気がします。その後の状況など...続きを読む、著者のSNSで追いました。
脳科学者である著者の母親が認知症になり、色々なことが出来なくなり、忘れていく母を間近に生活し、『その人らしさ』が失われていくのかどうかを考察する。 脳科学のプロでも、やはり一緒に暮らしている身内の大切な人が認知症になったかも知れない、と感じると、不安や現実から目を逸らしたり、といった行動をとってし...続きを読むまうものなのか、と意外に感じました。 でも、認知症と診断されてからは、脳科学者として脳の仕組みと照らし合わせながら、娘として母親の言動を観察し、言動の裏に隠れた母らしさを探しているところに、深い愛情と絆を感じました。 傍から見て、おかしな発言、行動をとっていても、その当人にとっては意味のある事、何かの記憶や感情と結びついている故の行動であるのだということが様々な事例や色々な研究の引用により、よく分かりました。 科学者、研究者としての視点だけではなく、身近な存在にある人の行動を毎日みていることから、この本では脳の仕組みや働き、何が脳の働きを阻害するか、また認知症によってどんな行動を引き起こされるか等、専門的なことを分かりやすく、母やその他の症例を交えて分かりやすく伝えてくれました。
認知症に関する本を何冊か読んできたが、この本は今まで読んだ本とは視点が違い、興味深く読んだ。 著者が脳科学者であり、自身の母親が認知症になった事がきっかけとなり、認知症について脳科学の知識と照らし合わせて考察している。 「能力」は無くなっても「感情」は残る。 文庫版あとがき、を読むと、著者も母親...続きを読むの事を理解しつつも実際一緒に生活するのは大変なんだな、としみじみ思った。
認知症のこと知らないから こわいこわいイメージで 手にとり、読み進めました。 自分と他者の境界が曖昧になる、 とか読んだらこわいこわい。 家族の顔がわからなくなる、 こわいこわい。 (以下ネタバレ) でも、その人でなくなるわけではない。 感情の記憶、感情に見られる個性は 強く...続きを読む残るようですよ、と 教えてくれた。 ありがとう。
認知症の家族を通して脳科学の専門的知見からその症状の学問的紹介と対処方法に加え、自己とは何か?について深く考えさせられた名著。
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