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『怪談に学ぶ脳神経内科』で、読書界を驚愕させた詩人にして脳神経内科医が、今度は「臨死体験」「体外離脱」といった、かつては「語ることすらタブー」とされた現象に挑む。そこで見えてきたのは、人生最後の瞬間を迎えたときに脳や神経細胞がどのようにその苦しみ、痛み、悲しみに立ち向かうかという、感動の物語だった!
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Posted by ブクログ
「死の探求によって思いがけず、生かす力、細胞や個体の危機の際に発動する「解離」にたどり着いた。そしてそれは、芸術表現の源でもあった」 (あとがき)より 死をテーマにしながらあたたかく読みやすい文章と驚きの「エピソード」に引き込まれ一気読み。本書をきっかけにすればどんよりとせず、自分達の「生きること...続きを読むと死ぬこと」の話ができるんじゃないかな。実に魂消た一冊でした!
脳神経内科医が、臨死などの非科学的とされるものを科学的にアプローチした一冊。 どれもスピリッチュアルな要素はなく、面白かった。
幽体離脱や金縛りは脳を刺激することで再現できる、というのがまず驚き。 後半に、死後の世界などもっと切り込んでいくのか?と思ったが失速したように思った。
臨死体験、憑依、金縛り、体外離脱など、いわゆるオカルトといわれることもある現象を、科学的に分析した一冊(著者は詩人&医師の駒ヶ嶺朋子さん)。脳科学研究が進んだことで、金縛りなどの現象は「この脳のこの部分がこうなって」といった感じ深くまで判明しているようで、勉強になった。前半は不思議現象の脳科学的分析...続きを読む、後半は死生学の話になっている、本書を読むと、いざ金縛りとか起こった場合にも慌てることがなくなるかも。金縛りの経験者は結構いると思うので、発生のメカニズムを知りたい人にオススメ。
駒ヶ嶺朋子(1977年~)氏は、早大第一文学部卒、獨協医科大学医学部卒、国立病院機構東京医療センターにて研修,獨協医科大学大学院卒、等を経て、獨協医科大学大学病院脳神経内科に勤務。詩人でもあり、2000年に現代詩手帖賞を受賞(駒ヶ嶺朋乎名)している。 本書は、医師であり詩人でもある著者が、最新の医学...続きを読む的知見と芸術に対する深い造詣をもとに、魂と死についての考えを綴ったものである。 私は50代であるが、人並に死や脳の働きについての関心を持ち、これまでに、本書にも出てくるエリザベス・キューブラー=ロスの『死の瞬間』やハーバード大学の脳外科医エベン・アレグザンダーの『プルーフ・オブ・ヘヴン』のほか、岸本英夫『死を見つめる心』、遠藤周作『死について考える』、鎌田東二『日本人は死んだらどこへ行くのか』、竹倉史人『輪廻転生』、オリヴァー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』、恩蔵絢子『脳科学者の母が、認知症になる』、坪倉優介『記憶喪失になったぼくが見た世界』、クリスティン・バーネット『ぼくは数式で宇宙の美しさを伝えたい』等々、様々な本を読んできたが、本書については、帯の「臨死体験、体外離脱、金縛り、憑依」というワードがまず目に留まり(私自身、頻度高く「金縛り」にあう)、それについて現役の医師が書いているという興味から手に取った。 そして、本書の目次は、 第1章:魂はさまよう~体外離脱体験は「存在」する 第2章:「暗いトンネル」を抜けて~臨死体験はなぜ起きるのか 第3章:譲り渡される命と心~誰が「生と死のボーダーライン」を決めるのか 第4章:生と死が重なる時~「看取り」と「喪」はつながっている 第5章:カゴの中の自由な心~私たちは「幻想」の中で生きている 第6章:擬死と芸術表現~解離症と「生き抜く力」 となっており、内容は、体外離脱体験や臨死体験の医学的なメカニズムに留まらず、生と死のボーダーラインの考え方、我々は自分と(身近な)他者の死にどう向き合うべきなのか、体外離脱体験等を含む「解離症」と芸術表現(詩、舞踊、演劇等)の関係などに及び、そのスコープはかなり広くなっている。 また、それ故に、学術的というよりはエッセイに近いが、いずれにしても、医師であるだけでなく、詩人としての視点を持つ著者だからこそ書き得た、ユニークな本であることは間違いない。 様々な切り口から「魂と死」を考えてみる上で、参考となる一冊と言えるだろう。 (2022年3月了)
引用 「『最後のあり方』を家族と共有すること 元気なうちから、人生の最終段階における医療に対してどのような希望を持つかを考え、表明すること、家族と共有していることを、アドバンス・ケア・プランニングと呼ぶ。 根本治療の対象でない臨終間際の救急搬送は、無駄に苦しみを負う上に、治癒の見込みがないまま医...続きを読む療費もかかってしまう。必要な医療を誰もが受けられるよう、過剰な医療は受けたくない、受けないと言う当たり前のことを誰もが納得して選びとることができれば、国の財政も医療資源も、それから人生の最終段階における苦痛や恐怖も、大いに改善が期待できる。 瀕死の状態で治療の限度を自ら決定する事は、現実的には難しい。患者さんの家族としても苦しそうな本人の姿を見れば、「できることをすべてやってください」と希望するのは自然な心情である。本人や家族が「戻る見込みがないなら人工呼吸器の使用開始はやめてほしい」と意思表示しない限り、病院に救急搬送されれば現代医学の全力が尽くされる。気管切開をしての人工呼吸器を装着すると24時間体制で痰の吸引を要するため、自宅療養が長くなると家族の疲弊が極限を超えてしまう。 だからこそ元気なうちから、向き合うのも辛い死の問題に対して、あえて向き合って決めておくべきなのだ。」
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